江戸中期の享保9(1724)年に山形県鶴岡市で創業した歴史ある酒蔵「佐藤仁左衛門酒造場」

経営不振と後継者不足のため、2009年を最後に酒造りが完全に停止していました。蔵を続けていくのが困難になり、廃業への道を辿っていきます。

"このまま酒造りが行なわれなければ、酒造免許を取り消す"という警告を受けてしまいました。そこへ支援を申し入れたのが、酒田市の「楯の川酒造」。社長を務める佐藤淳平氏は、経営が傾いていた自身の蔵を立て直した経験の持ち主でもありました。そのノウハウを活かして、佐藤仁左衛門酒造場の支援に手を挙げたのです。

支援に立ち上がったのは、同じ庄内の「楯の川酒造」

「こんなにも歴史のある蔵を失ってはいけない」

そんな思いで、佐藤社長は蔵人を派遣。造りの再開に向けて、準備を進めていきます。そして2012年、3年ぶりに仕込みが行なわれることになりました。以来、楯の川酒造から2名、以前働いていた蔵人5名が、仕込みの期間に戻ってきて酒造りをしています。

最初の年は税務署からの指示で、300石を仕込まなければならなかったのだそう。

蔵を存続させるためのノルマだからと、普通酒のみを必死に造りました。しかし、地元の祭事などでは飲まれるものの、全体の売れ行きは伸びず、多くの在庫を抱えることになってしまいます。

それでも、酒造りを続けていくための基盤ができあがりました。翌年は純米酒のみを60石。そして3年目からは、純米吟醸酒を含めた200石を醸しています。

現在の蔵を、楯の川酒造から派遣された高橋哲さんに案内していただきました。

仕込み水は井戸からポンプで汲み上げたものを、フィルターにかけて使用しているのだとか。

酒米は、楯の川酒造の契約農家から分けてもらっています。洗米機で洗って、仕込みの作業へ。

大小ある甑(こしき)。大きい方を使ったのは初年度のみだそう。2年目からは少量での仕込みに切り替えたため、今では小さいサイズしか使用していません。

麹室は天井と床を張り替え、電気をつけました。箱麹は新しく購入したそうです。

昔は、この小さな窓から入る明かりと豆電球1個のみで麹作業をしていました。夜は真っ暗だったようですね。

以前の枯らし場は2階にありました。ただ、湿気が多くて米の水分が抜けず、さらに移動距離が長かったために不要な菌も付いてしまう可能性があったので、新しい枯らし場を設えました。

仕込みタンクは6本。おおよそ5日に1本のペースで仕込んでいます。作業効率は悪いものの、そのぶんていねいに造れるのも事実。しかし今後を考えると、14本くらいほしいと話していました。

酒母タンクも小さいものを使用。仕込み蔵にすべてのタンクを入れて作業しています。

搾りは、昔から使っているというヤヱガキ式。多くの蔵で使われている搾り機と違い、作業がたいへんそう。

「重労働ですが、機材をすべてバラバラにして洗えるのは、清潔に保てる利点があります」と、話していました。しかし、洗う作業もまた重労働には変わりないでしょう。

瓶詰めや瓶火入れの機械は、麹室の目の前に。

すべてのスペースがとにかくコンパクトにまとまっているという印象で、少人数による少量仕込みに適した空間だと思いました。

ゆくゆくは、生酛と山廃のみに

冷蔵施設とは別に、新しく設置したという冷蔵庫。今年初挑戦した山廃造りの酒は、この中で保管しているそうです。

「初めてだったので、他の菌が付かないように隔離しました。ゆくゆくは速醸をやめて、生酛と山廃のみにしたいと思っているんです」と、話します。

実は高橋さん、楯の川酒造では営業担当。急遽、楯の川酒造の仕込みを手伝うことになったと思ったら、すぐに佐藤仁左衛門酒造場へ派遣されました。それが今では「奥羽自慢」の先頭に立って造りの指導にあたっているのですから驚きですね。もともとお酒が好きだったという本来の気質と、造りに対して誠実に向き合う熱心さがあるこそでしょう。

本当はもっと早くから山廃に手を出したかったようですが、佐藤社長からは「まだ早い」とお預け状態だったのだとか。5年目にしてやっと許可が下りて初挑戦。初めてとは思えないほど、完成度の高い仕上がりでした。これなら、全量生酛もしくは全量山廃という造りになるのは、近い将来のことかもしれません。

「奥羽自慢」への熱い想いとともに目標を掲げて蔵を存続させていく

高橋さんに、今後の目標をうかがってみました。

「最初の1年は、どうしても蔵を存続させたいという気持ちだけ。同時に、初体験のことが多かったので、とりあえず乗り切ったと精一杯でした。

今は、佐藤仁左衛門酒造場を将来性のある蔵にしていきたい。目標は600石。この環境で設備投資を進め、さらに良い酒を造り続けていくためには、そのくらいがちょうど良いと思っています」

佐藤仁左衛門酒造場の蔵元・佐藤仁左衛門さんは、もともと闘病中だったこともあり、酒造りを再開した翌年に亡くなってしまいました。

蔵元がいなくなった今も、楯の川酒造の佐藤社長や、指揮を執る高橋さん、そして蔵人たちの「奥羽自慢」に対する思いが、良い酒を醸してくれています。

きっと仁左衛門さんも「良い酒だ」と、天国で目を細めて言っていることでしょう。

(文/まゆみ)

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます