世界を代表する酒蔵を目指して、100年後のビジョンを掲げる「楯の川酒造株式会社」(山形県酒田市)。
酒質を年々向上させ、商品力を高めることで、ここ数年の売上高は年率2桁の伸びを達成。とどまることを知らない、その成長の軌跡を追いました。
試行錯誤を経てたどり着いた"全量"純米大吟醸
蔵を訪れたのは5月下旬。
空調設備が整えられた仕込み部屋には17本のサーマルタンクが並んでいます。まだ発酵している最中の醪がたくさんあり、フツフツと発酵のつぶやきが聞こえていました。
「お酒がすべて搾り終わるのは6月下旬。造りは昨年の9月末から始めたので、3季醸造の体制ですね。全量を純米大吟醸酒にしたのは7年前でした。米をかなり磨いたお酒も増えてきているので、ラインアップの平均精米歩合は45%以下です。今季の製造石数は約1500石(一升瓶換算で15万本)。7年前と比べると、3倍近くにまで増えました」と、蔵元の佐藤淳平さんは話します。
いまでは山形県を代表する酒蔵となった楯の川酒造。しかし、佐藤さんが東京農業大学を卒業して酒問屋で修業し蔵に戻った2000年秋、蔵の経営状態はひどいものでした。
売り上げはごくわずかにもかかわらず、その約10倍の借金があったそう。一刻も早い改革が必要でした。
日本酒の製造量が100石程度にまで落ち込む一方で、倉庫には大吟醸酒の不良在庫が山積み。さらに、関連会社のビール卸や地ビール店も赤字を垂れ流していたのだとか。
そこで佐藤さんは、不良在庫の処分や関連会社の処理を断行するとともに、特定名称酒を首都圏で売るために流通経路の開拓に乗り出します。酒問屋で修業していたときに酒販店回りをまじめにやっていたことが功を奏し、少しずつ取引先が増えていきました。どん底からの巻き返しが始まったのです。
2005年には生産石高がおよそ500石に。さらに、当時は日本酒よりも焼酎の方が人気だったため、粕取り焼酎の製造にも乗り出します。ところがこちらはまったく売れず、「ずっこけました」と佐藤さん。
売れ残った焼酎をどうしようかと考え、梅を漬け込んで梅酒にして売り出しました。これがなんと瞬く間に完売。「リキュールなんて邪道だ」と思っていた佐藤さんも考えを改め、2007年から山形県産の果物を使ったリキュールの本格販売に取り組みます。これが大当たりし、蔵の屋台骨になりました。
しかし佐藤さんは「本業である日本酒を、なんとかして成長軌道に乗せたい」と、蔵人と話し合いながら模索を始めます。
当初はアル添酒をやめて全量純米蔵にすることも選択肢にあったそう。しかし、「全量純米蔵は他にもあるから新しさがない。全量純米大吟醸にすれば、お客さんへのインパクトも大きく、蔵の本気度も伝わるのではないか」との結論に達しました。
覚悟を伝えた「TATENOKAWA 100年ビジョン」
当時、蔵は不況でしたが、市場で特定名称酒が盛り上がりを見せていたことも後押しし、「全量を純米大吟醸にする」と決意。さらに「100年後に世界中の高級日本食レストランで提供される日本酒になる」と宣言します。2010年のことでした。
そんな酒蔵の決意を内外に示すために掲げたのが「TATENOKAWA 100年ビジョン」。ここで目指したのは以下の5点です。
- 日本酒の美味しさで人々を幸せに
- 上質で愛される酒造り
- 2030年 世界を代表するSake TATENOKAWAに
- 社員の成長により、100年以上成長し続ける会社に
- 2110年 世界中の高級日本食レストランで提供される日本酒に
なんとも壮大な夢ですね。佐藤さんは「背水の陣で美酒を造り、販売し、新しいブランドを確立していくんだという気迫を伝えたかったんです」と話してくれました。
しかし、次の造り(平成22BY)から純米大吟醸酒のみにすることを宣言すると「『楯野川』がすべて高額なお酒になってしまうのではないか」と、反対する声が上がりました。
この反応を受けて佐藤さんは、値上げを最小限に抑えることを決意。もっとも売れていた「楯野川 清流」は、それまで60%精米の本醸造酒で販売価格は2,000円(1,800ml)。それを50%精米の純米大吟醸で2,200円(1,800ml)に留めました(現在は2,400円)。
他のお酒にも同様の価格付けをした結果、売り上げが落ちることはなく、新体制1年目も増収で乗り切ることができたのです。
蔵人が17時退社!?「楯野川」が生まれる環境
新体制2年目を前にして杜氏が辞めてしまったことをきっかけに、杜氏ひとりが造りのデータを把握し、責任を負うやり方から決別。蔵人全員で情報を共有しながら酒造りをする手法に切り替えました。
現在では蔵人が各自のパソコンやスマホから、仕込み中の醪に関するデータをすぐに把握できるようになっています。また、働く環境の改善にも力を入れ始めました。現在は冬場でも週休2日、朝7時過ぎに出社して、午後5時には退社するのが基本だそう。
「改革を進めてから、蔵の雰囲気がガラっと変わりましたね。"酒造りは人づくりから"と肝に銘じました」
酒質の向上と営業部隊の努力が両輪になって、数年前から成長軌道に乗っています。
樽酒の可能性を追求
佐藤さんが目指す「楯野川」はどんな酒質なのでしょうか。
「綺麗で透明感のある酒を造りたいですね。味や香りを抑え、酸味も少なめ。お酒の個性で売っていくのではなく、料理と合わせながら。呑み飽きせずに、気が付いたら四合瓶が空いてしまったというお酒でありたいですね」
経営にゆとりが出てきたことから、新しい酒造りにも取り組み始めました。特に、佐藤さんが強い関心を示しているのが木樽での貯蔵だそう。
今季は杉樽で貯蔵したお酒をデビューさせました。これから、フレンチオークやミズナラ、桜、栗などの樽酒も造る予定だとか。
「木の香りには特別な価値があると思います。日本酒の貯蔵に杉樽が使われていた歴史はありますが、他の木でできた樽を活用した例は多くありません。純米大吟醸の樽酒というジャンルを確立させたいですね」と、意気込んでいました。
現在、佐藤さんは38歳。「50歳になったら引退して、若い世代にバトンを渡します。それまでは全力疾走ですね」
楯の川酒造の挑戦に期待が高まります。
(取材・文/空太郎)