福井県吉田郡永平寺町にある吉田酒造有限会社。福井県の誇る大河・九頭竜川が流れる、もともとの人口が3,000人余りという旧上比志村にある、家族経営の小さな酒蔵です。

創業は文化3年(1806年)。「白龍」や「游」などの銘柄を醸してきました。同じ永平寺町には「黒龍」の黒龍酒造や「越前岬」の田邊酒造があり、県内有数の酒処として知られている地域です。

吉田酒造周辺の広大な自然

吉田酒造の女性杜氏・吉田真子(まこ)さんは、平成29醸造年度(29BY)に同蔵での酒造りを始めました。近年、女性が杜氏を務めるケースはそれほど珍しくありませんが、全国最年少の若さで就任した真子さんは特に注目されています。

小さな蔵から誕生した25歳の女性杜氏

吉田真子さんは蔵元の次女で、今年25歳。童顔のチャーミングな女性です。29BYの造りは3月21日に甑倒しを迎えました。その後、営業やイベント、酒造りの研修などで全国各地を精力的に飛び回りながら自社田の作業を手伝い、次の造りに備えています。

全国最年少の女性杜氏、吉田酒造の吉田真子さん

初めての造りについて、真子さんは「何とか終わったという気持ちです。造りに関しては、自分の精一杯をつぎ込みましたが、まだまだだなと強く実感しました」と話しています。

経験なしから飛び込んだ、酒造りの世界

学生時代、真子さんは蔵へ戻って酒造りをするつもりはありませんでした。「子どものころから蔵に入ったこともなかったので、酒造りのことは何も知りませんでした」と、当時を振り返っています。

しかし、父・智彦さんの体調がすぐれず、母・由香里さんから蔵へ戻ってきてほしいという要望があったため、2015年春に関西大学経済学部を卒業した後、そのまま同蔵に入社。1年目から酒造りを手伝っていました。もともと、同蔵は大手の酒蔵にお酒を卸す桶売りを行なっていたそうで、現在も地元消費が中心です。杜氏は毎年、季節労働で雇っていました。

「白龍」を醸す吉田酒造の外観

真子さんが蔵に戻ってから、大きな転換期が訪れます。2015年12月、27BYの造りをしている最中に、6代目の蔵元である智彦さんが54歳の若さで逝去してしまいました。そして、翌年の造りでも高齢の杜氏が腰を痛め、シーズン途中で地元に帰ってしまうという未曽有の危機に陥ったのです。杜氏が不在になってからの約2ヶ月半は、真子さんが代理を務め、何とか乗り切ることができました。

そして、杜氏のいなくなった29BYの造りをどうやって進めていくかという話になります。その時、全員で支え合って経営していこうと家族が一致団結。社長である母・由香里さんは28BYの造りが終わった後に「蔵の方針をよく理解している真子に、杜氏をやってほしい」と、真子さんに声をかけました。

名杜氏の教えを受けて、杜氏になることを決意

真子さんは27BYの造りが終わった2016年5月から、広島県にある酒類総合研究所で約1ヶ月半、短期の研修を受けたのみで、酒造りに精通しているとはいえません。そのため、杜氏のオファーを受けてからも、なかなか決心がつきませんでした。

その後、日本地酒協同組合の紹介で、2017年5月から北海道上川郡上川町の新設蔵「上川大雪酒造」の試験醸造を手伝うことになり、経験豊富な名杜氏・川端慎治氏の教えを受けました。

上川大雪酒造の川端慎治杜氏

上川大雪酒造・川端慎治杜氏

蔵が存続できるかどうかの瀬戸際ということで、真子さんは本当に良いお酒を造るために必死でした。川端杜氏は「吸収が速く、質問してくることがいちいち的を射ていました。この子はセンスがある」と感じていたそうです。

杜氏補佐としての毎日で、彼女の酒造りはメキメキと上達。酒造りの奥深さに触れたことで、「7月に試験醸造の研修が終わって、初めて杜氏になろうと思えました」と、当時を振り返ります。

緊張とプレッシャーの日々

昨年6月には真子さんの姉・祥子さんと、その夫・大貴さんが蔵へ戻ってきて、家族総出で蔵を支える体制が整いました。そして、真子さんを中心に10月から酒造りを開始。酒造りに使う米を育てている地元の農家たちが、農閑期に酒造りを手伝います。

これまで外部から杜氏を雇っていた吉田酒造にとって、吉田家から誕生した初の杜氏となる真子さんは当時24歳。蔵を背負うプレッシャーが相当なものであったことは想像に難くありません。

「ちゃんとお酒になってくれるかどうか、飲めるものなるのかどうかという毎日でした」

麹を振る吉田真子杜氏

1本目のタンクが搾り終わるまで眠れない日々が続き、「最初に搾ったときのことは、緊張であまり覚えていません」と、真子さんは話します。由香里さんは「やっとの思いで1本目ができあがって、純粋に『良かったな』と思いました」と、当時の感動を語っていました。祖母の澄子さんは、思わず涙をこぼしたそうです。

吉田酒造の目指すお酒は、自分たちの田んぼで作った米の力を最大限に引き出し、クリアで飲み飽きしない、かつ米の旨味を感じられる食中酒。真子さんは「まだまだ、自分がイメージしているお酒にはなっていない。それは、次の造りに向けた課題です」と、今シーズンの造りにまったく満足していない様子でした。

父の夢「永平寺テロワール」

真子さんが杜氏になってから全量純米酒の蔵となった吉田酒造。永平寺の水・米・人で醸したお酒を「永平寺テロワール」として、売り出しています。すべてを地元のもので醸す、まさに「郷酒」。これは、智彦さんの夢であり、吉田酒造が抱いてきた長年の理想でもありました。

自社田の中で永平寺テロワールのお酒を持つ吉田真子さん

約14ヘクタール(2018年現在)の自社田では、智彦さんが早くからチャレンジしてきた有機栽培の山田錦、そして五百万石を育てています。来年からは、福井県の食用米で、酒米としても使われている華越前を栽培する予定です。

そんな自慢の米を使うことで、さらなる酒質の向上を目指しています。川端杜氏からの「酒造りのやり方はひとつじゃない。自分のやり方を見つけなさい」というアドバイスがあったのだとか。

5月下旬から約1ヶ月、真子さんは再び、上川大雪酒造の手伝いをしていました。来期への準備にも余念がありません。「29BYは考える余裕すらありませんでした。データはしっかりと採っているので、課題を生かして、より改良していきたいと思っています」と、真子さん。

前列左から由香里社長、真子さん、祖母・澄子さん、姉・祥子さん、姉の夫・大貴さん。後列は蔵人の皆さん

前列左から由香里社長、真子さん、祖母・澄子さん、姉・祥子さん、姉の夫・大貴さん。後列は蔵人のみなさん

酒造りの経験がほとんどない状況から、一家を背負う杜氏の立場になった真子さん。彼女が醸したお酒は、上川大雪酒造で研修したこともあってか、県外では特に北海道で人気が高まっています。

今後、全国的に「白龍」の名が知られることになるでしょう。最年少女性杜氏の成長を日本酒ファンみんなで見守っていきたいですね。

(取材・文/木村健太郎)
(写真提供/吉田酒造有限会社)

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