日本酒の原料は、米と米麹と水だけですから、米の良し悪しが酒の出来に大きく影響します。なかでも酒造りに適した米のことを、酒造好適米や酒米と呼びます。
今回は、日本酒好きのなかでも熱狂的なファンが多い「雄町(おまち)」の味わいや歴史、その特徴を探っていきましょう。
ジューシーでインパクトある個性的な味わい
「雄町」は非常に溶けやすいお米で、濃醇でしっかりしたコクと味わい深いお酒を生み出します。山田錦の味わいが同心円状に広がっていくとすれば、「雄町」は芯がしっかりとしたふくよかな旨みです。
同じ「雄町」でも、造り方によって幅広い酒質のお酒が出来上がるのも特徴と言えるでしょう。昭和初期は「鑑評会で入賞するには雄町の吟醸酒しかない」とまで言われるほどでした。
ジューシーでインパクトがある味わいになりやすいお米で、「雄町」で醸された個性あるお酒に魅了された人々は、「オマチスト」と呼ばれているほど。
2008年からは、「雄町」誕生の地であり、現在も生産量の9割を占める岡山県の酒造組合などが主催で、「雄町」を使用した日本酒のコンテスト「雄町サミット」が開催されています。
江戸末期に発見された、日本最古の原生種
「雄町」の歴史は古く、約160年前の1859年(安政6年)に旧備前国 上道群雄町村(現岡山市中区雄町)の篤農家によって発見されました。1866年(慶応2年)に「二本草」と命名され、1908年(明治41年)に岡山県の奨励品種となります。
穂丈が180㎝近くまで育つため倒れやすく、病害虫にも弱いため、戦後、農作業の機械化が進む中で、栽培が難しいと生産量が激減します。昭和48年(1973年)には作付面積が約3ヘクタールにまで落ち込み、幻の酒米と呼ばれるようになりました。
しかし、「酒一筋」を醸す利守酒造の4代目・利守忠義氏が、昭和40年代後半に雄町の復活へ動きます。栽培が難しいため渋る篤農家を説得し、栽培を再開。現在、「雄町」の中でもブランドとして知られる「赤磐雄町(あかいわおまち)」を生み出しました。
「山田錦」や「五百万石」を含め、多くの酒米は「雄町」の血統が受け継がれています。
日本最古の原生種である「雄町」で醸された日本酒が、現代の飲み手に熱狂的な人気を博す。日本酒の歴史を感じられるエピソードですね。この素晴らしい日本酒の文化を次世代に引き継いでいきたいものです。
(文/SAKETIMES編集部)