2011年3月11日に起きた東日本大震災。宮城県沖を震源とするマグニチュード9の地震は、東北地方の太平洋沿岸を中心に大きな被害をもたらしました。多くの尊い命をはじめ、家屋や街並みが奪われ、その傷は今も癒えることはありません。

それぞれの地元で長い歴史を刻んできた酒蔵にとっても例外ではなく、いくつもの蔵が移転や廃業を余儀なくされました。あれから10年。当時被災した酒蔵は、何を思い、酒造りを続けてきたのでしょうか。

逆境を乗り越え、未来への挑戦を続ける蔵を取材しました。今回は、宮城県の新澤醸造店と佐々木酒造店です。

新澤醸造店のピンチを救った、全国の蔵人たち

内陸にありながら、東日本大震災で激甚災害指定地域となった宮城県大崎市。激しい揺れによる家屋の倒壊や道路の破損、電気・水道・通信などの壊滅的な被害は、復旧までに長い時間を要しました。

新澤醸造店の被災の様子

「伯楽星」「あたごのまつ」で知られる新澤醸造店では、約140年にわたって酒造りを続けてきた蔵が全壊判定に。5代目蔵元の新澤巖夫さんは、当時をこう振り返ります。

「震災直後は、うちで働いていたスタッフの家族にも犠牲者が出たり、ライフラインが軒並みやられてしまったりして生活もままならない状況で、いろいろな手続きに奔走していました。その後、日本全国で東北の日本酒を飲もうという動きが出てきたため、倒壊しそうな蔵の中で酒造りを始めたのが4月ごろでした」

新澤醸造店 蔵元の新澤巖夫さん

新澤醸造店 蔵元の新澤巖夫さん

気力を奮い立たせ、酒造りを再開した新澤さんに手を差し伸べたのは、全国各地の酒蔵。日本酒蔵のみならず、焼酎蔵からの応援も駆けつけ、合計で47もの酒蔵が力を貸してくれました。

「みなさんといっしょに酒造りをしている間は、震災のつらさを少しだけ忘れることができました。そして、自然と勇気が湧いてきたんです」

新澤さんは協力に対するお礼として、当時、もっとも数字が小さいと言われていた精米歩合7%の造りに挑戦し、そのお酒を47蔵に届けました。あれから10年が経ちましたが、今年も特別な一本を醸して贈る予定だそう。これまでにつないできた縁が、新澤醸造店のピンチを救ったのです。

「ワンマン」から「チーム」へ

全壊判定を受けた蔵を前に、建て直すか、移転するかの決断を迫られた新澤さん。熟慮を重ねた結果、大崎市から約70キロ離れた川崎町で、廃業した酒蔵の跡地を買い取ることを決めました。

新澤醸造店 杜氏の渡部七海さん

新澤醸造店 杜氏の渡部七海さん

しかし、長距離の通勤ができる蔵人は1割ほど。募集を出しても、田舎ゆえになかなか人が集まらない状況が続き、母校である東京農業大学からの受け入れを始めます。そのとき入社したのが、入社から3年後、全国最年少となる22歳の若さで杜氏に就いた渡部七海さん。25歳になった現在も変わらず、新澤醸造店の酒造りの要を担っています。

「うちには昨日と同じことをする人はいりません。それは常に変わる姿勢がないと、良いものが造れないから。新入社員にも必ず意見を求めるので、自然と考える力が鍛えられていると思います」

新澤醸造店の仕込みの様子

加えて、新澤醸造店が重視しているのは利き酒の能力です。蔵人は毎日出社すると5種類のお酒のマッチングを行います。その後、60種類の利き酒を30分かけて3回行う、通称「サーキット」をこなし、徹底した利き酒の訓練を積むのです。

利き酒は、口に含む量を一定にしないと正確な判断ができません。現場での判断の精度を向上し、おいしいお酒を造るためには、「正しい味覚が備わっていなければならない」と新澤さんは話します。

「良いものを出すことに対してどれだけウェイトをかけられるか。そこを徹底した集団でありたいんです」

蔵人の育成に熱心な新澤さんですが、「かつてはワンマンでした」と経営姿勢を振り返ります。変化が起きたのは震災以降。蔵の移転に伴い、酒造りができない期間があったときのことでした。

「被災していない蔵と比べて、1年間もブランクが生まれてしまったことは大きな問題でした。遅れを取り戻すためには、どんなに努力をしても足りないと。成長のスピードを上げるためには『チーム戦で戦うしかない』と思い、みんなの力を借りたのです」

新澤醸造店の仕込みの様子

今では、社員ひとりひとりが改善点を見つけてすぐに対応するため、1年も経つとまったく違うオペレーションになっていることもあるのだそう。その反面、自身の目が届きにくくなる不安はないのでしょうか。

「それ以上に反省したのが、過保護になっていたことでした。昔の私は『自分が管理しているから一流のお酒ができている』と、とんでもない勘違いをしていたんです。お酒も人も、いろいろな人から面倒をみてもらったほうが育つんですよ」

チームとしての強みを活かし、常にブラッシュアップを続けていくスタイルに変化したことで、新澤醸造店のお酒はさらに洗練された味わいになったのです。

ストイックに酒質を追求する

新澤醸造店を代表する銘柄のひとつである「伯楽星」。どんな料理も引き立てる、「究極の食中酒」をコンセプトにしている一本です。

甘みを減らし、限りなくクリアな味わいを極めていこうとする中で、蔵の移転も良い効果を生みました。川崎町は「水の町」と呼ばれるほど、水資源が豊富な地域。水量を確保できるようになったことが、酒質をレベルアップさせたのです。

新澤醸造店 川崎蔵

新澤醸造店 川崎蔵

「酒造りにとっておきの秘策はありません。ひとつひとつの工程に気を配り、違和感に気づけるかどうかが出来栄えを左右します。もしかしたら、私たちが感じた違和感は、飲み手の100人に1人しか気づかないものかもしれません。でも、それに気づいた1人は確実にプロ。私は、プロをごまかすような酒造りはしたくないんです」

出荷後、3~4ヶ月が経過した商品はすべて自主回収し、飲食店で飲んでおいしくないと感じた場合はすぐに出荷を停止するなど、フレッシュローテーションを徹底。さらには毎年、銘柄を400本ほど分析し、翌年の仕込みに反映するなど、より良い酒造りのために行う施策の数々は驚くほど戦略的でストイックです。

新澤醸造店「伯楽星」

新澤醸造店「伯楽星」

それでも、「まだまだ実力不足。もっと勉強したい」と話す新澤さん。その熱意はどこからきているのでしょうか。

「震災後、あの状況を乗り越えるためにすべてを懸けてきました。飲食店のメニューから『伯楽星』が消えることだけは避けたかったんです」

「社会が大きく動くときこそ、社長は健全かつ平常心でいなければならない」と話す姿は、まさに理想的なリーダー像。震災での苦しい経験は、自分を律し、高みを求めて前進し続ける原動力を新澤さんに与えたのかもしれません。

仮設蔵での酒造りに取り組んだ佐々木酒造店

名取市の閖上(ゆりあげ)地区にある佐々木酒造店もまた、震災によって、大きな方向転換を強いられた蔵のひとつです。

津波の被害にあった佐々木酒造店の外観

8メートルもの津波が街を襲い、港の近くにあった蔵は全壊。屋上に避難して九死に一生を得た蔵元の佐々木洋さんは、その場で「もう一度、この地に蔵を復活させる」と心に決めたといいます。

佐々木酒造店 蔵元の佐々木洋さん

佐々木酒造店 蔵元の佐々木洋さん(写真左)。写真下部にある、槽から出た日本酒を受けるタンクは新澤醸造店から譲り受けたものだそう。そのほか、さまざまな酒蔵からの支援があったと洋さんは話します。

「うちの銘柄は『宝船 浪の音(ほうせん なみのおと)』。子どものころから「なみのおとさん」と屋号で呼ばれ、海のそばにいるのが当たり前でした。津波があったかどうかは関係なく、自分が帰るところは閖上であり、波の音が聞こえる場所。そこで酒造りをするのが自分たちの役目だと思いました」

そうは考えながら、被災した町で建物を建てられるようになるには時間を必要とし、すぐに同じ場所で蔵を再建することは叶いませんでした。そこで洋さんは、同じ市内に建設予定の仮設工場の入居者募集に迷わず手を挙げます。

「実際に仮設工場を借りたとして、酒造りができる環境をすぐに整えられるかどうかはわかりませんでした。ですが、閖上で再び酒造りをするためには挑戦し続けなければなかった。今できることをしなければと思ったのです」

佐々木酒造店の仮設蔵

佐々木酒造店の仮設蔵

2012年春、完成した仮設工場団地に行ってみると、そこにはガランとした体育館のような建物がずらっと並んでいました。中に入れば、排水側溝もなければ、水道は家庭用の口径、水場には小さいシンクがひとつだけある環境でした。

酒蔵を指導する研究機関の先生にも、「この環境で日本酒が造れるとは思えない」とまで言われたそう。ですが、洋さんには「現代の醸造技術があればきっと造れるはずだ」という楽観的なビジョンが浮かんでいました。

「私たちのノウハウが、今後、不幸にも被災してしまった酒蔵の役に立つかもしれない。それなら、前例がない仮設蔵での酒造りに挑戦する意味があるんじゃないかと考えました。災害による酒蔵の休業を防げるかもしれないと思ったんです」

2012年秋、こうして佐々木酒造店は仮設蔵での酒造りを始めることになったのです。

「今の環境で一番良いものを造る」

限られたスペースと限られた設備での酒造りは試行錯誤の連続でした。指揮を執ったのは、洋さんの弟で、杜氏を務める佐々木淳平さん。工夫を重ねるにつれ、次第に仮設蔵ならではの造りが少しずつ見えてくるようになります。

佐々木酒造店 仮設蔵の内観

仮設蔵は仕切りのないオープンスペース。酒母室のような専用の部屋はなく、緻密な温度管理が要求される酒母の仕込みは困難でした。そこで採用したのが、高温糖化酒母を用いた造り。酒母を高温で仕込むこの手法は、通常の酒母管理が難しい仮設蔵には適していたようで、佐々木酒造店の新たなスタイルとなりました。

「少し複雑ですが、お客様からは『震災前より今のほうがおいしくなった』と、はっきりと言われますね。昔の蔵は140年前の創業当時からの動線で、造られる酒も地元に愛飲されてきた本醸造酒が中心。よりおいしいものを造るというよりも、『宝船 浪の音』を造り続けることがすべてでした。仮設蔵では純米酒中心の造りに切り替え、少量の仕込みにしたことで、よりていねいな酒造りができるようになったと思います」

仮設蔵に移ってからは「昨年のおいしさを超えるにはどうしたらいいんだろう」と、積極的に酒造りに取り組めるようになったといいます。

「『こういう環境だからこんな味しか出せません』と諦めるのではなく、『今の環境で一番良いものを造るには何をすべきか』を考えるようになりました。苦労しているように見えたかもしれませんが、むしろ自分たちにとっては良い努力を重ねられる環境でしたね」

佐々木酒造店「宝船 浪の音(ほうせん なみのおと)」

佐々木酒造店「宝船 浪の音(ほうせん なみのおと)」

佐々木酒造店の復活をなによりも喜んだのは、地元・名取市の方々。「地元から酒蔵が消えなくてよかった。また『宝船 浪の音』が飲めてうれしい」などの声をいただき、たくさんの勇気をもらったそう。「震災を経験して、酒蔵はその土地の誇りなんだと感じました」と洋さん。

「初代から伝わる『地酒はその土地の文化の液体化だ』という言葉があります。お酒はただ飲むだけではなく、神様のお供え物になったり、人々をつなぐ架け橋になったり、地元を元気にする源なんです。それを生み出すことができるのは、この町では私たちにしかできないこと。この土地に宿るストーリーを、お酒に込めて発信していきたいと思うようになりました」

震災を機に考えた「地酒のあり方」

仮設蔵での造りも5年を過ぎた2017年。閖上は区画整理が進み、佐々木酒造店復旧予定地の目途もついて、ついに、もとの場所に酒蔵を再建する準備が整いました。

設計チームにも加わった洋さんがこだわったのは、なによりも災害に強いことでした。また、最新の食の安心・安全を確保するために、原料処理や製造工程で適切な温度管理ができるようにし、仮設蔵で懸案だった排水用の側溝を、水はけの良いV字型のステンレス製にするなど、衛生管理やメンテナンス性にも気を配りました。

 

宮城県名取市閖上・佐々木酒造店の復活蔵外観写真

地元・閖上に新しく建てられた、佐々木酒造店の蔵

新しい蔵での酒造りは2019年から始まり、今年で2年目を迎えます。初年度は蔵のクセをつかむのに必死だったそうですが、現在は順調に進んでいるとのこと。

「今のテーマは、精米歩合を抑えた酒造り。米を削りすぎると、その土地で育った米の特徴を削ってしまうような気がしていて。地元を感じてもらえるようなお酒を造りたいと思っています」

佐々木酒造店

震災の直後から、蔵の再建をひたむきに目指してきた佐々木酒造店。地元・閖上で蔵を復活させた今、ひとつのゴールに到達したようにも思われます。災害に見舞われながらも、決してあきらめずにポジティブでいられたのはなぜなのでしょうか。

「あの日、震災によって、価値観や考え方が一夜にして変わりました。その後はゼロからのスタート。あとは這い上がるだけでしたね。どうしようもないことに時間を使うのはもったいない。自分がどれだけクリエイティブでいられるかが、人生を豊かにすると考えるようになりました」

実は、自社の商品を飲んでもらう機会が増えるにつれて、震災の被害を受けた酒蔵として語られることに悩んだこともあったそう。震災復興酒として発売した銘柄「閖(ゆり)」も、新たな蔵が完成するタイミングで製造を終えるつもりだったといいます。

そんなとき、指導してくれた先生たちから、「この地の震災と復興を語れる日本酒は『閖』しかない」という言葉をもらいました。そしてこの思いに応えるべく、「閖」を造り続けることに決めました。

「震災のことを誰も話さなくなってしまったら、きっとまた同じことが起きますから。あのとき、故郷・閖上や酒蔵で起きたこと、そしてそこからどのように再起を目指したのかを語り続けていくのも、私たちの役目だと思っています」

被災から仮設蔵での酒造り、そして念願の酒蔵再建を経て、洋さんが強く意識するようになったのは地酒のあり方です。

「お酒をきっかけに、閖上の食べ物や文化に触れてもらい、町全体が盛り上がるようなエリアブランディングに挑戦していきたい」と語る洋さん。復興にあたってたくさんの人にもらった温かな気持ちが、自分たちの生業の糧となっている。そんな感謝の思いが、この「宝船 浪の音」には込められています。

「震災から現在まで、たくさんのできごとがありました。それがお酒に溶け込んでいると思います。新しい蔵には無料の試飲スペースも併設しているので、復興した閖上を訪れていただいて、私たちの故郷を感じてもらえたらうれしいです」

宮城県名取市閖上の街並み

宮城県名取市閖上の街並み

東日本大震災以降、それぞれの場所で新たな一歩を踏み出した新澤醸造店と佐々木酒造店。どちらの蔵も失ったものは決して小さくありませんが、新しい気づきを得たこともまた確かです。彼らの力強い歩みを、これからも応援していきましょう。

(取材・文:渡部あきこ/編集:SAKETIMES)

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