関東信越国税局が主催する第87回酒類鑑評会が開かれ、同局管轄の6県(茨城・栃木・群馬・埼玉・新潟・長野)の酒蔵が出品した「吟醸酒の部」(出品数197点)で、ナンバーワンとなる最優秀賞を獲得したのは新潟県の樋木酒造(代表銘柄 鶴の友)でした。
樋木酒造はどのような酒造りをして、ナンバーワンに輝いたのか。杜氏である樋口宗由さんにお話をうかがいました。
常識にとらわれずに挑戦した新しい吟醸造り
― 平成8年春以来の最優秀賞受賞でした。
正直、してやったりという気分です。平成15年に杜氏に就いて以後も、毎年の造りで出てくる反省を糧に酒質の改善を重ねてきましたから、喜びもひとしおです。
― 最優秀賞を狙っていたのですか?
新潟県の杜氏さんたちは実力もあるし、向上心が強いんです。私だけでなく、多くの人が「優秀賞に興味はない。最優秀賞を狙う」と口を揃えます。僕も同様です。狙っていました。
―ナンバーワンを目指して酒質改善を進めてきたのですか?
吟醸酒のレベルはとても上がっているので、小さな工夫を重ねても勝てません。大きな変革をしなければと考え、3年前から麹を使う量を減らしてきました。種麹も変えました。吟醸酒用の種麹のまま麹米を減らすと、品が良すぎて味気なくなってしまうので、まったく別の種麹に切り替えました。そのうえで、造りの最後のところで工夫をして、香りよく味がしっかりしていてキレのいい吟醸酒を目指しました。結果はいい方向に進み、3年目の27BY(醸造年度)にはほぼ完成の域に入りました。それが評価されたのでしょう。新しい吟醸酒のスタイルを示すことができたと思います。
― 麹の使用割合を変えるのには勇気が必要だったのでは?
普通はやりませんよね。でも、立ち止まっていては酒の進化はおぼつかない。実は7年前に蔵元の許可をもらって、全量が麹米のお酒を造ってみました(通常は麹米の割合は20%前半)。すると、味わいが本当に個性的になる一方で香りが悪いことがわかりました。その経験から麹の量が香りに影響し、麹を減らせば香りはよくなるに違いない、と確信するようになりました。そこで3年前から麹米の使用量を大きく減らすことに挑んできたのです。蔵元が「好きにやれ」といってくれる人なので自由になんでもやっています。
― 酒米には新潟県が開発した酒造好適米の「越淡麗」を使ったのですね。
初めての酒米の場合はいつもそうですが、越淡麗を最初に使い始めた10年前も手探りでした。山田錦と同じ造りでやってみたものの、なかなかうまくいかないというのが県内の多くの酒蔵の感想でした。このため、栽培農家と酒蔵、県の醸造試験場が失敗も成功もオープンに情報交換をして努力を重ねてきました。10年目の節目にこうして越淡麗で最優秀賞を獲得できたことは、新潟県全体の努力を弊社が代表して評価していただいたと考えます。
― 蔵での肩書きを杜氏ではなく諸白(もろはく)研究室長としているのはなぜでしょう?
「鶴の友」には吟醸や大吟醸などの特定名称は表記していません。代わりに大吟醸には「上々の諸白」と表示しています。そこで杜氏に就任した際、名刺に載せる肩書きに「大吟醸(諸白)を研究する部署の責任者」という意味で「諸白研究室長」を使いたいと蔵元にお願いして、許可を得ました。
― 来年も頂点を狙いますよね。
もちろんです。新しい吟醸酒のスタイルを提示できたとは思っていますが、まだまだ伸びしろが残っています。香りの質が良くなっているので、来年の吟醸酒はさらにレベルを上げられるものと確信しています。連覇も夢ではないと思っています。
樋口さんは新潟の銘酒「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」はじめて飲んだ時にその美味しさに衝撃を受けました。「こんなに美味しい革命的な日本酒を俺も造ってみたい」との思いを強めて、すぐさま酒造の世界に飛び込みました。そして平成11年、樋木酒造に入蔵。前任の杜氏の下で4年間修業し、平成15年から杜氏になっています。現在43歳と脂が乗り切った印象で、今後は出品酒だけでなく、市販酒も進化していきそうです。樋木酒造の動向には目が離せませんね。
(取材・文/空太郎)