日本酒の造り方には、さまざまな種類があります。

その中で最も高い技術が必要とされ、最も時間がかかる製法として位置づけられているのが「生酛(きもと)造り」です。

繊細な手間がかかるため、小さな蔵元で限られた量のみ作られているイメージの強い生酛のお酒。そのためか、一般的な消費者にはあまり知られていないかもしれません――日本の伝統的な生酛の酒造りを牽引しているのが、大手日本酒メーカーの菊正宗酒造であることを。

菊正宗酒造をディープに掘り下げる特別連載の第四回では、菊正宗で生酛の酒造りに携わる2人の丹波杜氏、渋谷享志(しぶやきょうし)さんと小島喜代輝(おじまきよてる)さんにお話を伺いました。無機質で工業的だと思われがちな大手酒造の職人が、どんな思いを抱いて酒造りに向き合っているのか。その胸のうちに迫ります。

生酛造りのカギを握る杜氏は「酒造りのマエストロ」

古くから酒造りには欠かせない存在とされてきた「杜氏」。言葉では知っていても、具体的にその仕事内容を理解している人は少ないように思われます。渋谷氏は杜氏の役割を「オーケストラの指揮者と似ている」と説明します。

渋谷享志さん(以下、渋谷)「酒造りには多くの人が、それぞれの役割を持って携わります。洗米をする人、麹(こうじ)をつくる人、酛(もと)を造る人、仕込みをする人・・・これらをひとつに取りまとめて、蔵元が目指す理想のお酒を生み出すのが杜氏の務めです。最終的にできあがったお酒に対して全責任を負う大変な立場ですが、酒づくりのマスターとも言える名誉ある務めでもあります」

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(丹波杜氏の渋谷享志さん。現在、菊正宗の生酛造りを一手に担う「嘉宝蔵五番」で、酒造りの指揮を執っている)

酒造りの工程のすべてを熟知しなければ務まらない、杜氏という大役。個人差はあるものの、30年から40年以上酒造りに携わって、ようやく一握りの造り手が至ることのできる境地だと言われています。

そして、杜氏は菊正宗が大事にしている「生酛」の酒造りでは、ことさら重要な存在になります。

渋谷「昔から、酒造りの基本は“一麹、二酛、三造り”と言われてきました。とりわけ、二番目の酛が上手にできなければその後の発酵はうまくいかず、お酒ができません。現在、洗米やお米を蒸したり冷やしたりする作業、仕込みの温度管理などは機械でできるようになっています。しかし、酛造りはいまだ手作業が必要な工程であり、中でも生酛づくりとなると、判断を人間の感性に頼る部分が大きいんです

生酛は、生身の人間にしか作り出せない

「生酛」とは日本酒造りの核となる酛を、自然の乳酸菌の力を最大限に利用して造り上げる手法です。生酛を造る工程の中で、一体どんな部分が機械に代替できないポイントなのでしょうか。

渋谷「生酛造りの肝となる作業が、酛踏みです。『半切り桶』と呼ばれる木桶の中に蒸米と仕込み水を入れて、それを米の粒感がなくなるまで踏んですり潰します。1シーズンの仕込みで、およそ10トンの蒸米を踏みますから、これだけでも相当な重労働になります」

ただ米をすり潰すだけなら機械にもできますが、酛踏みには「生身の人間の感性が不可欠だ」と、小島さんと渋谷さんは共に言葉を紡ぎます。

小島喜代輝さん(以下、小島)「その年の米のクセや気候を見極めて『今日はあまりドロドロにしないでおこう』とか、『今日はよくすり潰しておこう』と判断する必要がある。ここはどうしても、経験則のある人間がやらなきゃいけない部分です

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(菊正宗酒造の名誉杜氏を務める小島喜代輝さん。日本杜氏組合連合会の副会長、丹波杜氏組合の会長も兼任している)

渋谷「長年踏んでいくうちに、少しずつ理想的な状態がつかめてきます。感触で言えば、田植え前の田んぼに初めて水を張った時の、柔らかい土の感じに似ていますね。踏んでいる際に聞こえる音の変化も、重要な判断材料です。人によって体重や踏み方も違うので、一概に同じ時間踏めばいいというものでもなく・・・教えるのが難しい技術です」

生酛造りでは酛踏みのほかにも、蒸米を板にこすりつけながら餅状にして酛づくりに適した状態かどうかを確かめる「ひねりもち」や、酛を寝かせている間の温度調整のための「暖気樽(だきだる)」の操作など、酒の材料が人肌に触れる機会が多くあります。小島さんは、この“酒に触れる機会”こそ、伝統的な酒造りの真髄だと語ります。

小島「まず、見る。次に、香りをかぐ。そして、手で触れる。五感を研ぎ澄ませて日々向き合っていれば、発酵させている最中の酛の表面というか、“表情”で良し悪しが分かるようになります。酒は生き物ですからね

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(ひねりもちの様子、全身を使って蒸米を練り上げる)

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(ひねりもちで練られた蒸米。触感や伸び具合で状態の良し悪しを判断する)

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(タンク内で発酵する生酛。乳酸菌の作用で、沸騰しているかのように表面が泡立っている)

すべての労力は、飲み飽きしない“押し味”を醸すために

小さい蔵元が特色を出すために、生酛や山廃といった手間のかかる酒を少量生産する事例は少なくありません。しかし、伝統的な手法を守りながら、全国に数万本を出荷する規模で生酛の酒を生産しているのは、菊正宗のほかにありません。なぜ、高い技術力を誇る大手メーカーの菊正宗が、合理化の図れない手間のかかる酒造りにこだわるのでしょうか。

渋谷「今の酒づくりの現場からは、作業の合理化や衛生上の問題を理由に、酒に直接手を触れる機会がどんどん失われています。やろうと思えば、人の手をあまりかけずに酒を造ることもできるようになってきています。けれども、代々受け継がれてきた菊正宗の特撰以上の酒の特長――喉を通る時に感じられる、濃厚でコシのある旨味は、昔ながらの生酛造りでしか出せないんです。私たちはこれを“押し味”と呼んでいます」

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生酛でしか出せない“押し味”を持った菊正宗の酒は「どんな料理とも相性がよい」と、渋谷さんは続けます。

渋谷「キレのある辛口で、どんな料理とも相性がよい。お酒としての主張はしっかりしているものの、食事の味を邪魔することはなく、最後まで飲み飽きしない。『うまいものを食べると、菊正宗が飲みたくなる』『菊正宗を飲むと、うまいものが食べたくなる』といった食との理想の関係を追求するために、私たちは心血を注いでいます。最後の最後で譲れない味が、やっぱり手造りの部分に宿っているんですよね」

伝えたい思い、守りたい文化、そのためにできること

小さな地酒の蔵元でも、大手のメーカーでも、誇りと信念を持った造り手の「いい酒を届けたい」という願いは一緒です。小島さんと渋谷さんの言葉には、先人たちから継承してきた酒造りの素晴らしさを、少しでも多くの人に知ってもらいたい、伝えていきたい・・・という思いであふれていました。

小島「コンビニやスーパーでは、安いパック酒がズラッと並んでいますよね。そういうのを作っているナショナルブランドと呼ばれる蔵の酒を、全部同じくくりで『どこにでも売っていて、無機質なこだわりのないお酒だ』と捉えられてしまうのが、私たちとしてはとても悔しい。我々も、これだけ努力している。それはウチだけに限ったことではありません。どの蔵元もこだわりを持っていて、だからこそ、それぞれに味が違うんですよ」

渋谷「明治の初頭まで、日本の酒造りはすべて生酛で行われていました。この生酛を考案して広めたのが、私や小島の流派である“丹波杜氏”です。今の酒造りは、安定的に速く仕込みができる“速醸酛(そくじょうもと)”が主流になっていて、一から生酛での酒造りができる蔵元は、全国に数えるほどしかありません。生酛は日本の酒造りの源流であり、私たちの誇りです。自社の味を守るためだけでなく、文化を守り受け継ぐためにも、少しでも多くの造り手に生酛造りの技術を継承していきたいです」

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(仕込みに使う半切り桶。こうした酒造りに用いる道具も、修理を繰り返しながら長年にわたり受け継いでいく)

文化と技術の継承のため、菊正宗では会社や流派の垣根を超えて、生酛造りを後世に残すための取り組みもしているそうです。

小島「15年前くらいに、弊社が全国の杜氏を集めて、初めて生酛造りの講習会をやったんです。参加者には蔵の見学だけでなく、実際に造りの体験もしてもらいました。ただ、やる前に私はこの企画に反対していたんですよ。『そんなんしたら、菊正流の生酛造りが全部広がる。それはアカン』と。でも、講習会を企画した当時の生産部長がね、こんな風に言ったんです。『違うんだよ、おやっさん。1人でも多くの人に技術を持って帰ってもらって、生酛造りをやってくれる人を全国に増やすんや。それで“生酛の酒はうまいで!”って全国にもっと広がったら、本流のウチが生きてくるから』って。今では私もそう思ってます。守るためには閉ざすんじゃなくて、広めていかなアカンなと」

渋谷「菊正宗には、正当な生酛づくりを長年続けてきた蓄積がありますし、小島のような生き字引とも言える存在がいます。若い造り手さんで生酛に興味があったら、ウチの門戸を叩いてみてください。また、飲み手の皆さんにはぜひ一度、ここでお伝えしたことを頭の片隅に置いてもらいつつ、菊正宗の生酛の酒を飲んでみてもらいたいなと思っています」

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日本酒はともすれば、注がれた状態で目の前に出されると、すべてが同じように見えてしまうかもしれません。しかしながら、その透き通った薫り高いしずくには、造り手の並々ならぬ思いがギュッと詰まっています。酒造りの背景にある物語を知ることで、日本酒の味わい方はより深まるはずです。これから日本酒を飲む機会があったら、ぜひ口をつける前に、造り手の存在に思いを馳せてみてください。

(取材・文/西山武志)

sponsored by 菊正宗酒造株式会社

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