和食の世界遺産登録や、蔵元杜氏への注目の高まりを背景に、昨今の日本酒市場は大きな盛り上がりを見せています。小規模・少量生産の地酒人気が高まる一方で、量販店に常時並んでいる“どこでも買える手頃な酒”は、同じ日本酒であるにもかかわらず、どこかブームから切り離されているようにも感じられます。

業界をけん引する大手酒造の経営陣は、この時流をどんな思いで見つめているのでしょうか。菊正宗酒造の魅力に迫る特別連載の第5回では、同社の代表取締役副社長である嘉納逸人氏に「日本酒業界のいま、これから」というテーマでお話を伺いました。

今がまさに、日本酒業界の転換期

嘉納氏は大学卒業後、小売業界での実務経験を経て、15年前に家業である菊正宗に入社しました。当時と現在の日本酒業界を比べて「これほどまでに風向きが変わるとは思わなかった」と、嘉納氏は言います。

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「私が家業に戻った頃は、ちょうど焼酎ブームが始まったタイミングで、日本酒業界は苦境に立たされていました。営業として10年以上、各地を転々としながら打開策を模索していました。しかし、正直に言ってどこに突破口を見出だせるのか、なかなか見当のつかない期間が長く続いていて・・・。だからこそ、近年の日本酒業界の盛り上がりは、千載一遇のチャンスだと感じています」

3年前より現在の役職に就いている嘉納氏。業界を俯瞰する立場から見て、現在の「日本酒ブーム」の実態はどのように映っているのでしょうか。

「“ブーム”とは言われているものの、全体的に売上が伸びているわけではありません。海外への出荷量は増えていますが、国内での普通酒(大吟醸や純米酒など、特定名称酒に分類されない日本酒)の売上は今も減少し続けています。注目されている銘柄も、蔵元杜氏と呼ばれる若い造り手が醸すエッジの効いた酒が主流です。このように偏った要素はあるものの、業界に追い風が吹いているのは紛れもない事実。国内外からの日本酒に対する関心が高まっている今は、まさに“日本酒業界の転換期”です」

日本酒ブームの着火点は「食文化のアップデート」にあり

古くから日本の食文化には欠かせない存在として、人々に愛されてきた日本酒。なぜ、今になって再び注目をあつめるようになったのでしょうか。嘉納氏はブームの要因について、次のように分析しています。

「日本酒ブームの背景には多くの要因が絡み合っていますが、一番大きな要素は、海外での日本食ブームや“クールジャパン”の推進など行政の働きかけによって、日本人が自国文化を見直しはじめたことにあると思います。さらに、もうひとつの大きなきっかけが、“食の多様化の定着”ではないかと考えています。日本では戦後から洋食が家庭料理として定着するにつれて、ビールやワインなどの洋酒も日常的に飲まれるようになっていきました。食のスタイルの変容に伴って、和食離れ・日本酒離れが進んだのは必然の流れです」

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「今や洋食だけに留まらず、世界中の料理が身近に楽しめる時代です。それは日本だけでなく、諸外国でも共通して見られる傾向でしょう。“食の多様化”が成熟しつつある現代で、新たな食文化が開拓され始めています」と、嘉納氏は続けます。

「たとえば、『からあげ×ハイボール』は新しい提案でしたね。これまでは『からあげにはビール』がセオリーだったところに一石を投じ、見事に受け入れられてきています。さらに斬新な転換でいうと、『寿司×白ワイン』。生魚と白ワインの組み合わせは、生臭さが出てしまうためにタブーとされていましたが、プロの料理人や食通の間で“新たなマリアージュ”として認められつつあります」

定着した食の多様性が“新たなマリアージュ”を生み出し、食文化のアップデートを促している――そんな流れの中で、日本酒の楽しみ方も大きな広がりを見せています。

「洋食化によって日常から遠ざかった日本酒ですが、今では『洋食×日本酒』の可能性も模索されるようになってきました。ヨーロッパでも、フレンチに日本酒を合わせるスタイルが市民権を得ています。また、これまで日本酒は“料理を引き立てる裏方”と位置づけられることが一般的でしたが、最近では日本酒自体の個性にもスポットが当たり、日本酒に合わせて料理を選ぶような楽しみ方も生まれています。『名脇役だった日本酒が、料理とW主演を張る時代になった』と言ってもいいでしょう。こうした食文化のアップデートが、日本酒ブームの土台を支えているのではないかと感じています」

日本酒が、料理とW主演を張る――そんな時代へのアプローチとして、菊正宗酒造は2016年4月より新ブランド『百黙(ひゃくもく)』をリリースしました。

「『百黙』は菊正宗酒造が130年ぶりに立ち上げた、日本酒の新ブランドです。ブームの流れで日本酒に興味を持ってくれた方が、『百黙』を通して菊正宗に振り向くきっかけになってくれると嬉しいですね」

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生まれたて新ブランド『百黙』の動向は、今後SAKETIMESでも詳しく紹介していく予定です

一過性の“ブーム”で終わらせないために

ブームの後押しを受けて盛りあがる業界の中で、菊正宗はどのような戦い方をしていくのでしょうか。「大手酒造として、今後どのような酒造りをしていくか」と尋ねると、次のように答えてくれました。

「例えばワインの場合、ブームのきっかけとなったのはプレミアムワインですが、それ以降にデイリーワインの普及が続いたからこそ、今も日常生活に違和感なく溶け込んでいると感じます。
ブームというものは唐突に、いとも簡単に終わってしまうものです。個人的にはワインの流れと同じく、ブームとして目に留まる機会が多いうちに、日本酒を再び日常に落としこむことが不可欠だと考えています。日本には『ハレとケ(“ハレ”は祝い事などの非日常、“ケ”は普段の日常)』という言葉がありますが、いま注目を集めているのは華やかな “ハレの酒”がほとんどです。けれども、“ハレの酒”は値段もそれなりにしますから、多くの人々にとって毎日飲めるものではありません」

だからこそ、今後は日常的に飲める“ケの酒”の存在が重要になってくる――そう受けた上で、「日常で気軽に楽しめる酒の品質向上が菊正宗の使命」だと、嘉納氏は語ります。

「私たち菊正宗が一貫して目指しているのは、日々の晩酌にそっと寄り添えるような、定番であり王道たる日常の酒です。今後、消費者の目がエッジの立った酒からデイリーの酒に向く瞬間が、必ずやって来ます。その時のニーズに応えられるよう、私たちは手頃で毎日飲める日本酒の品質向上に、たゆまず努めていきます」

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時流に乗ることよりも、創業当初と変わらぬ志で企業努力を重ねていく姿勢には、業界を支える老舗としての貫禄が感じられます。嘉納氏は、これまで通りの品質向上に取り組むと同時に、ブームを日常へ落としこむために考えるべきことがあると指摘します。

「現在の日本酒業界に不足しているのは、“ハレの酒”から“ケの酒”に下りてくる際の、通過点となる中間層の酒です。たとえば、『獺祭』で日本酒に興味を持った人が、そこからいきなり『菊正宗・本醸造』を燗酒で飲むような渋い選択をすることは、ほぼあり得ないでしょう。この“ハレの酒”と“ケの酒”の間をつなぐ架け橋となるような商品を増やし、日本酒を非日常から日常のものにしていくプロセスを整えることが、業界全体の大きな課題だと思っています」

日本酒を非日常から日常へ・・・菊正宗はそのためのアプローチのひとつとして、2015年9月より『純米酒 香醸』の販売を開始しました。

「『純米酒 香醸』は新酵母の力で精米歩合を高めずに、吟醸系の華やかな香りを実現しました。うまみと余韻のある純米酒らしい味わいが特長です。香醸で使用している新酵母は、研究所の女性研究員が中心になって発見したものなんです。酵母の発見、商品化までにはかなりの手間と時間を要しましたが、昨年ようやく形にすることができました。冷やして楽しめるお酒なので、手軽に日常的に飲んでいただきたいと思っています」

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日本酒を一過性のブームで終わらせないように・・・嘉納氏の思いの裏側には、常に業界全体の成長への願いがこめられています。

「私は、日本酒業界が“職人の世界”になってはならないと考えています。これから業界を長期的に盛り上げていくためには、優秀な若い人材が自然と入ってくる環境にしなければならない。そのためには、業界全体の市場規模を拡大して、周りから『成長している業界』と思われることが重要で。ブームがデイリーに下りてくれば市場は大きく拡大しますし、“ケの酒”が定着すれば、“ハレの酒”のニーズも恒常的にキープすることができます。業界が成長して、新しい才能が入ってきて、定期的にイノベーションが起きる・・・こうした良い循環を生み出していけなければ、待っているのは緩やかな後退だけ。今、注目されているエッジの効いたお酒から、デイリーのお酒に落とし込んでいかないと、業界全体がニッチになってしまうという危機感があります。このままでは、産業としての未来はありません」

食への関心の先で、日本酒に出会ってほしい

菊正宗の愛飲者は中年から高齢層が大半で、ブームによって初めて日本酒に興味を持ったような若い世代には、まだまだ十分に認知されていないのが現状です。嘉納氏に「菊正宗の製品を若者に勧めるとしたら、どんな風に楽しんでほしいか」と伺ってみると、意外な答えが返ってきました。

「若い人たちに日本酒を好きになってほしいのはやまやまですが、それより“食”にもっと関心を持ってもらいたいですね。興味が日本酒のみに留まると、日本酒の本質的な良さがわからずに、そのうち飽きてしまう気がしていて」

古くから日本酒は“食事と一緒に楽しむこと”を前提に醸されてきました。だからこそ「食の延長線上で、日本酒に出会ってほしい」と、嘉納氏は願っているそうです。

「食への関心が高まれば、必ず日本酒にも興味がわくはず。なぜなら、多くの日本酒には“食事を引き立てる力”が宿っているから。菊正宗が追求しているのも『料理と調和し、料理を求める』本流の辛口です。和洋中どんな料理でも引き立てられる自負があります。食の探求の中で、自然と菊正宗の酒の魅力に気づいてくれたらいいなと思っています」

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嘉納氏の一連の発言からは、自社の発展を思う気持ちはもちろんですが、それ以上に業界や社会全体をフラットに捉え、よりよい産業や文化が根付くように・・・というスケールの大きい信念が感じられました。そんな感想を率直に投げかけると、少しはにかみながら、こんな風に答えてくれました。

「なんだか偉そうなことばかり言ってしまいましたが(笑)、つまるところ、目指しているのは“お客様の笑顔”でしかないんです。毎年、新酒ができ上がる2月には、お世話になっている人たちへの感謝の意をこめて『蔵開き』を開催しています。この日は近隣住人だけではなく、全国からたくさんの方々が来てくださるんですね。そこでお客様に新酒を振る舞うと、『今年もいい酒だね』なんて笑顔をもらえる。それを見ると、『また来年に向けてがんばろう』って思えるんです」

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取材時はちょうど蔵開きの開催日。数多くの来客で賑わっていました

目指すもの、目指すこと、目指す場所――そのすべてに一貫した矜持が宿っている嘉納氏。「“いいものをつくって、お客様を笑顔にすること”が一番の社会貢献になるはず」という同氏の考えは、日本酒業界だけではなく、ものづくりに携わるすべての企業に共通する真理だと感じました。

日本酒ブームの先には、一体どんな未来が待っているのでしょうか。一消費者として、菊正宗の歩みも含め、今後の日本酒業界の動向に目が離せません。

(取材・文/西山武志)

 

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