山形県酒田市で天保三年(1832年)から酒造りを営む楯の川酒造。2010年からは精米歩合50%以下の純米大吟醸酒の全量醸造に振り切り、国内はもとより、国外からもその酒を求めるラブコールが続いています。

その海外展開におけるキーマンが、同社で「マーケティングディレクター」の肩書きを持つ砥上将志さんです。このような肩書きを持つ人物がいるのは、一般的な酒蔵ではほとんど聞きません。六代目蔵元の佐藤淳平社長と共に、“世界を代表するSake TATENOKAWAを目指して”をテーマにした「TATENOKAWA100年ビジョン」のもと、経営企画、海外営業、ブランディング業務の3本柱を担っています。

わずか9年で海外事業の規模は44倍、26カ国に輸出をするまでになった楯の川酒造。彼らの姿と酒造りは、果たして日本の酒蔵にとって新たな羅針盤と成り得るのか。あらゆる角度から“Sake TATENOKAWA”に迫る連載第3回は、砥上さんの入社ストーリーと共に、海外×日本酒の側面にスポットライトを当てていきます。

最初の出会いは「ホームページを作ってほしい」

楯の川酒造の砥上将志さん

1979年生まれの砥上さんは、東京出身。楯の川酒造へ入社する以前のキャリアは、日本酒とは無縁でした。筑波大学大学院でデザインを学び、日本IBMへ入社。デザイン部門でグラフィックやパッケージを担当し、6年間を過ごします。ブランドコンサルティングを手がける企業へ転職し、大手菓子メーカーや家電メーカーなどを担当した後、海外へ留学。

「カナダのトロントに行きました。ワーキングホリデーを活用して、日本語の記事もあるフリーペーパーをつくる出版社でデザイナー兼編集者として働きました。1年ほど過ごし、次はニューヨークへ。帰国後はフリーランスデザイナーとして、印刷、デジタル、映像とさまざまな領域で仕事をしていたんです」

ここまで聞いても、まだ日本酒の雫すら見えません。しかし、砥上さんの中では「日本」への思いが、この2年間の海外生活のなかで、たしかに育まれていました。

「海外に住むと日本の良さがわかるとよく言いますけれど、本当にそうなんですよね。僕は海外へ出るまで、日本の価値観や商品、概念、文化が好きではなかった。だから海外へ移住するつもりだったのに、いざ生活してみたら、むしろカナダやアメリカの文化がしっくりこなかったんです」

日本でクライアントワークに取り組むうち、2010年6月に発注主の一人として出会ったのが、楯の川酒造の佐藤社長。「最初の依頼は『ホームページを作ってください』でした」と砥上さん。よくある請負仕事のはずが、新たな日々へ招かれるきっかけにつながりました。

国内営業の経験が、海外でも生きている

結婚を意識し始め、ライフスタイルにも変化を起こすべきだと感じていた砥上さんは、佐藤社長の招き入れもあり、2010年10月に楯の川酒造への入社を決めます。造りの全量を純米大吟醸に切り替える構想を練っていた頃でした。

「佐藤社長の頭には構想のたたき台があり、ちょうど中長期的な戦略を立てるタイミングだったんです。そこで、ざっくばらんに10年先、20年先の楯の川酒造をどんな会社にしていくか、というセッションに加わっていたんですよね。僕としても、今後の身の振り方を考える時期でもあり、佐藤社長も会社の基本方針や戦略を立てるメンバーに、僕のような経歴を持つ人が必要だと思ってくれたのでしょう」

楯の川酒造の「PHOENIX」

しかし、海外事業に勢いがつくのは、もう少し先のこと。日本酒業界に飛び込んだ砥上さんは、2015年までは国内向けの営業にも従事し、飲食店のニーズへの知見を貯めていきました。その当時、海外向けの売上は2009年の段階で250万円の実績。楯の川酒造としては売上高2億円ほどの規模でした。その後、全量純米大吟醸のニュース、そして高精白商品の投入などで、楯の川酒造の日本酒は次第にその価値を認められていきました。

「海外事業が盛んになり、僕は専業で就くことになりました。2018年には輸出規模が1億円と、250万円の時代からすれば実に44倍です。全体の比率からしても15%を占めるまでになりました。海外向けは基本的にBtoBですが、国内営業の経験も役立っています。飲食店さんのニーズやスタンスがわかっていて、その知識が海外でも生きているんです」

飲食店には、どのように勧めれば喜ばれるか。酒販店は、どういった酒が売りやすいのか。営業的なプッシュではなく、ヒアリングを土台にした問題解決型のアプローチで、「相手に貢献できる仕事」を続けてきたといいます。

そして、その成果は実を結んでいます。現在はアメリカ、シンガポール、カナダ、イタリア、台湾、イギリス、インドネシアといった国々に加え、世界26カ国へ“Sake TATENOKAWA”は運ばれています。

和食ブームの切り口では、海外市場は切り拓けない

楯の川酒造の砥上将志さん

酒蔵であれば是が非でも欲しい海外販路。砥上さんの経験では「日本食や和食のブームとは本質的に違うところにポイントがある」といいます。

「海外では、まだ日本酒を飲んだことがない人が多い。10人いれば3人は未体験で、5人が経験あり、残りの2人は富裕層で嗜みもあるといった印象です。だからこそ数字の持つ力は非常に強く、『米を磨けば磨くほど雑味がなくなってきれいになります』という特徴も話しやすいんです。飲みやすいものであるほど歓迎されますから、キレよく美しい楯野川は合いますね」

海外マーケットで「日本酒消費の土台」となるのは、和食よりもあらゆる国で親しまれるワインであると砥上さんは見ています。特に富裕層であればそれは顕著であり、精米歩合1%で4合瓶10万円のプレミアム商品をもつ楯野川にとっては、ワインと同列で語りやすいことは大きな武器です。

「アルコール文化が進んでいる国から見ると、高価格帯のラインナップとしてはウイスキーも強い。いま、日本のウイスキーは非常に良いイメージを持たれていて、人気も高まっているからこそ、その切り口でも受け入れられやすくなっているようです」

100年後を見据えているからこそ、命を賭けて向き合いたい

楯の川酒造の砥上将志さん

しかしながら、砥上さんは現在の役割を「たまたま」だと話します。たしかに来歴から見れば偶然性の強いキャリアではあります。ただ、一貫して心に持つのは、自分が関わっていたいと思えるほどの意志でした。

「僕がやりたいことの根っこにあるのは、イノベーションを起こすことですね。真っ白なフィールドのところへ進めるチャンスがあることが大事。それが酒田にある酒蔵だった。海外展開は伸ばし方のノウハウも貯まり、もっと伸ばしていける自信を深めているところです。ただ楯の川酒造としては、まだ売上高8億円ほどの規模ですから、地に着いたことも、大きなビジネスの話も、両輪で進めることが重要。僕だけが大きい絵を描きすぎても、蔵の現場と乖離してしまいますから」

たとえば、フランスの人気バンド「PHOENIX」とのコラボレーションは、砥上さんがとりわけ力を入れて進めてきたプロジェクト。これも一過性の話題作りで終わるのではなく、楯の川酒造のグローバルな展開を加速させるアクションとなっています。

2017年にはじまったPHOENIXとのコラボプロジェクト。バンドのワールドツアーに同行し、各地のライブ会場でコラボ日本酒を提供。世界中にSAKEの魅力を広める活動となっている。

豊富な経験とグローバルなビジョンで蔵を牽引する砥上さんですが、まったく異なる世界から「日本酒」という新しい領域へ来たからこそ、「まだまだやれることがある」と大きな未来像を描いています。

「給料をもらって過ごすだけなら別のところでも働ける。でも、今はこの仕事に命を賭けています。佐藤社長は同年代ですが、彼は大きな器を持つ人で、そういう人とは大きく関わらないともったいないと思うんです。会社や市場のポテンシャルに気づいて可能性を感じるからこそ、なるべく経営者視点を持って、僕も携わるようにしています。今後は世代交代もして組織化を推し進めるつもりです。やる気のある人を採用してどんどん任せていきたいですね」

楯の川酒造の砥上将志さんが、佐藤淳平社長にプレぜンをしている写真

今回の取材当日、砥上さんがふいに、佐藤社長へ向けて「次世代の楯の川酒造はこの企画に掛かっている!」と熱いプレゼンテーションを行うシーンも目にしました。その言葉のひとつひとつを受け止め、うなずく佐藤社長。この本気の打ち合いこそが、次なる展開の礎となっていくことは想像に難くありません。

PHOENIXバンドメンバーと楯の川酒造の砥上さん

PHOENIXメンバーと砥上さん。今後も新しい企画を続々と仕掛けていく予定だ。

「僕らは100年後を明確に目指しているからこそ、100年後がどうなっているのか、本当に楽しみな会社なんです。僕の子供どころか、孫の孫の世代ですから。その地点まで見届けられるかもしれないことは、とてもわくわくすることです。遠い先を見てやっていきたいと思っています」

山形県酒田市、庄内地方に根を下ろす、楯の川酒造。いち地方の酒蔵が100年先を見据え、自分たちの酒にポテンシャルを感じ、世界に悦びを届けている。数十年前までなら大手酒蔵ですら夢のような話だったことが、現実に起きつつあります。その変革は、日本酒業界外から招かれたプレーヤーだからこそ導けるものでもあるのかもしれません。砥上さんの次なる仕掛けは、日本酒業界に不在であったピースを埋める、その一手になっていくはずです。

(取材・文/長谷川賢人)

sponsored by 楯の川酒造株式会社

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