10年連続で過去最高の輸出量を記録するなど、年々勢いを増している海外の日本酒市場。そのなかでも、最大の輸出相手国であるアメリカにて、17年も前から現地の人々に"SAKE"の魅力を伝え続けている酒販店があります。

それが、カリフォルニア州サンフランシスコの日本酒・SAKE専門店「True Sake」。まだSAKEの存在がほとんど認知されていなかったオープン当時から、アメリカの飲み手を育成してきたその歴史に迫ります。

アメリカ初の日本酒・SAKE専門店

True Sakeが店を構える場所は、サンフランシスコ市内のヘイズ・バレー。おしゃれなブティックやカフェ、レストランなどが立ち並ぶ、市内でも最先端を行くエリアのひとつです。

truesakeのあるエリア

同エリアのシンボルとも言える公園「パトリシアズ・グリーン」から道路を挟んで向かいの通り、人気アイスクリームショップ「Salt & Straw」がある区画を歩くと、目印となる青い看板と杉玉が見えてきます。ショーウインドウには、「America’s First Sake Store(アメリカ初の日本酒・SAKE専門店)」の文字が刻まれています。

True Sak

約400平方フィート(約38㎡)の店内には、所狭しとボトルが並べられています。その数、なんと300種類以上。スペースが限られているうえに、季節商品も取り扱っているため、ラインナップは目まぐるしく変化します。

17年間という歴史のなかで、小規模の卸業者を含む流通業者との多彩なコネクションを培ってきたTrue Sakeには、ここでしか手に入らない商品も多数。店舗はサンフランシスコの1店舗のみですが、全米42州に配送可能なオンライン販売も展開しています。アメリカ中のSAKEファンが利用しており、月に一度発行されるニュースレターの会員数は約2万人を誇ります。

情報が少ないなか、独学で日本酒を学ぶ

True Sakeを創設したのは、第1回「酒サムライ」叙任者として日本でも知られるボー・ティムケン氏。オハイオ州で生まれたボー氏が日本酒の魅力に目覚めたのは、南アフリカにいたときのこと。アメリカで大手金融企業に勤めたあと、南アフリカにてビジネスを立ち上げたボー氏は、あるとき現地の寿司バーにて、日本人の漁師から冷酒を勧められます。

ボーさん

True Sakeの創設者 ボー・ティムケン氏

「それまで、SAKEと言えばホット・サケ(燗酒)しか飲んだことがありませんでした。『温め忘れたんじゃないか?』と半信半疑で口にしてみると、衝撃的でしたね。フルーツと合わせているわけでもないのに、メロンや蜂蜜のような味わいがするんだから。あの吟醸酒が、私の人生を変えたんです」

南アフリカでのビジネスを成功させて事業を売却し、アメリカへ帰ったボー氏は、自分を虜にした日本酒について学ぶため、リサーチを開始します。しかし、当時はまだインターネットが普及しはじめたばかり。特に、英語の情報はほとんど手に入らない状況でした。

「情報が不足しているなか、私が行ったのは『ストリート・ラーニング』。何軒もの寿司バーに通い、寿司職人に質問をして、SAKEについて教えてもらいました。現在は教育を受けようと思えばいくらでも受けられる環境ですが、実際に自分で体験した方がもっとたくさんのことを学ぶことができる。私は『日本酒度』という存在を知る前から、自分自身で甘口・辛口のテンプレートを作り上げていったんです」

独学で日本酒を学び始めたボー氏は、同じくオハイオ州出身であり、後に同じ酒サムライ第1回叙任者となるジョン・ゴントナー氏に出会います。その後、ジョン氏の開催するセミナーを受講し、日本国内の酒造をともに訪問。ほどなくして、唎酒師の資格を取得しました。

"本当のSAKE"に出会える場所として

ストリート・ラーニングによる独学を経て、酒造訪問や資格取得により確固たる知識を獲得したボー氏。「この能力と情熱をどのように生かすべきか?」と悩んでいた彼がヒントを得たのは、サンフランシスコ市内の日系スーパーマーケットを訪れたときのことでした。

酒類コーナーに置いてある日本酒について、「これはどういうお酒なの?」と質問をしたところ、店員はなにも説明してくれなかったといいます。

「このとき、『SAKEの知識を持っている人がSAKEを売っているお店』は、まだないと気づいたんです」

truesake看板

「自分のようにSAKEに興味があって、もっと知りたいと思っている人はほかにもいるはず」。そう考えたボー氏は、そんな人々の「質問に答えられる場所」を作るべく、アメリカ初の日本酒・SAKE専門店「True Sake」を2003年にオープンします。

その店名には、「ホット・サケしか知らなかった自分のような人が、"本当のSAKE"に出会えるように」との思いが込められているそう。

また、True Sakeは17年もの間、日本酒に対して知識や関心がある業界の人々ではなく、まったく知識を持たない一般のお客さんだけを相手にしてきました。輸入業者・卸売業者・小売業者の役割が明確に線引きされているアメリカにおいて、レストランやバーなどの飲食店は、卸業者から直接お酒を購入するのが通例。そのため、酒販店の顧客は一般の消費者のみとなるのです。

2003年当時の日本酒の輸出金額は、現在の約6分の1にあたる約39億円。SAKEが一般の消費者にほとんど認知されていなかった当時の状況を、ボー氏は次のように振り返ります。

「誰も興味を持たなかったし、試そうともしなかった。ホット・サケに対してのネガティブなイメージも強くて、『ショットで飲むんだろう』『アルコール度数が高いんだ』と批判されることも。そんな人たちを、まずはゼロ地点まで引き上げるところから始まりました」

「わからない」を変える、地道な努力

そんなサンフランシスコの人々に対して、ボー氏が行ったのは"武装解除"でした。

「日本語が読めないアメリカの人々にとって、SAKEのラベルにはなにが書いてあるのかさっぱりわかりません。正体が不明だから、SAKEのボトルを敬遠してしまう。私の仕事は、彼らの心の壁を壊すことでした」

日本語を読めない人にも理解できるよう、純米や吟醸、大吟醸などのカテゴリごとに色分けしたリボンをボトルにつけて、「ソフトな赤ワインが好きな人におすすめ」「スタウトビール好きに」など、身近なお酒を例として取り入れた紹介文を作成。お客さんに対してはキャッチーな周辺情報を語り、だんだんとお客さんの心をつかんでいきました。

また、True Sakeでは、プロフィール情報を登録したお客さんに対して、購入した商品を記録するサービスも行っています。日本酒の銘柄は、アメリカの人々にとっては覚えづらいもの。「銘柄を覚えていなくても買ったものがわかる」と好評なんだとか。

今でこそシステム上でデータを管理していますが、オープン当初はなんと手書きで行っていたといいます。

「レジカウンターの後ろにベルベット地の本が4冊並んでいて、たとえばお客さんが『私はグレーの178番』と言ったら、グレーの本を出して番号のページを探すんです。『この前は本醸造のお酒を買ったね。どうだった?』『結構おいしかったからAかな』と、お客さんにお酒を評価してもらったら、好みを分析して次のお酒を提案する。4冊の本に、約600人のデータが載っていました」

ボー・ティムケン氏

「『100点満点で点数をつけてくれればわかりやすいのに』と言われることもあります。それでも、大切なのはお客さん自身に評価をしてもらうこと」と力説するボー氏。

「『最も素晴らしいのはこのお酒。みんなこのお酒を買うべきだ』と決めたがる人も多いけれど、自分にとってのチャンピオンは自分で決めるべきです。だから、私は自分の好みではないSAKEも取り扱っているし、『どのお酒がお気に入り?』と聞かれても答えないことにしています」

「SAKEのブームはまだ一度も来ていない」

True Sakeは、毎年「日本酒の日(10月1日)」の直近の土曜日に、一般向けのテイスティングイベント「SAKE DAY」を主催しています。国内外の酒造メーカーや卸業者と連携して、250種類以上の日本酒・SAKEを試飲できることが人気のイベントです。14回目を迎えた2019年は、過去最高となる900名を動員しました。

テイスティングイベント「SAKE DAY」

「SAKE DAY」の様子

True Sake自体、利用者も売上も年々伸長し、勢いを増しているように見える海外市場。しかし、ボー氏は「SAKEのブームはまだ一度も来ていない」と言い切ります。

「私には『ワインのように、ケース単位でSAKEを買うお客さんがいるか?』というベンチマークがありますが、これには程遠いのが現状です。SAKEはまだ、アメリカのメディアにメインストリームとして取り上げられたことはないんです。スーパーボウルにSAKEの広告が出るまで、私は休むつもりはありません」

True Sakeの創設者 ボー・ティムケン氏

アメリカで日本酒がほとんど知られていなかったころから、現地の人々の視点に寄り添い、飲み手を育ててきたTrue Sake。その瞳は、日本の内側からは見えない世界をひたむきに見つめ続けています。

「SAKEの未来はまだ誰にも描かれていませんが、それは素晴らしいことだと思っています。なにが起こるか誰も知らないということは、SAKEが世界中のお酒の王者になれるかもしれないということですから」

(取材・文/Saki Kimura)

sponsored by True Sake

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