今宵もまた、文学作品から酒肴のお膳立て。池波正太郎のエッセイ集『食卓の情景』(新潮文庫)で、蕎麦と酒の良い関係に触れながら、池波先生が知人から教わったという蕎麦料理を味わってみます。
こちらは、蕎麦と蕎麦屋の歴史に触れながら酒との関係を語る話の書き出しです。作品は、先生の蕎麦に対する信条やこだわり、それにまつわる体験談などが綴られたもので、蕎麦好きなら必見。
私も、蕎麦屋に立ち寄った時にビールを頼むことはよくありましたが、作品を読んでからは先生を真似て酒を頼むように。少し遅い昼どき、あるいはちょっと早い夕刻、蕎麦屋で一杯やることは休日の過ごし方のひとつになりました。
蕎麦屋酒、実に良いものです。この作品は蕎麦屋でのくつろぎ方を教えてくれます。
この「蕎麦屋酒」という言葉は、かつては書生として池波先生の傍にいた佐藤隆介氏の『池波正太郎直伝 男の心得』(新潮文庫)で書かれていたものです。
蕎麦と酒、といっても先生は蕎麦を肴に呑んでいたわけではなかったようです。蕎麦屋では、まず焼海苔か板わさ(たまに鳥わさ)で燗酒を1,2本。そのあとで「もりを2枚」というのが池波流だったそう。酒は常に2本までで、それ以上だらだらと飲み続けることは決してしないとも。
そんな先生が作品中で紹介した「蕎麦のうす焼」。ますます興味がわいてきます。
シンプルながらも奥深い蕎麦料理
おなぐさみに、私が信州の知人から教えられた蕎麦の[うす焼]というのを紹介しよう。
蕎麦粉をとろりと溶いてフライパンへながしこむ。
大きさは好みにしてうす焼にし、これを引き上げ、その上へ、ショウガとニンニクをおろしたものと味噌をねり合わせておいたのを塗るようにして置き、きざみネギを入れ、二つに折って熱いうちに食べる。ちょいと、うまい。
池波正太郎 「蕎麦」『食卓の情景』新潮文庫より
末筆の一言に、池波先生がいかにこれを気に入っているかが伝わってきます。
今回の逸品は蕎麦。使うのは蕎麦粉のみ。そして、味付けは練り味噌という極めてシンプルな料理です。さっそく、今年の新蕎麦粉を手に入れ、やってみました。ちなみに、粉と水の割合はおよそ2:3です。
結論から言います。旨い!
たいへんに美味しいです。蕎麦と練り味噌が相性良く、ふくよかな味わいとなりました。一見すると素朴ですが、新蕎麦を使い、その出来立てを食べるのはなんとも鮮烈。練り味噌は生姜やニンニク、ネギのおかげでややスパイシーでもあります。さて、これにはどんな酒が合うでしょう。
「山形正宗 純米吟醸 秋あがり」でうす焼の味わいを包み込む
うす焼の味わいを分析すると、蕎麦は素朴でありながら複雑性のある味。そして、練り味噌は率直に塩気や辛味を伝えてくる。また、両者は香りも魅力です。
これに合わせる酒は、蕎麦の香味を包み込むような穏やかで柔らかなものを選ぶか、練り味噌が加わることを考慮し旨みがしっかりしつつキレの良いものを選ぶか・・・。最終的に、蕎麦と練り味噌どちらにも相性の良い汎用性がある「山形正宗 純米吟醸 秋あがり」に決まりました。
香り・飲み口ともに優しく爽やか。と思いきや、あとから旨みと酸味が手を組んでぐぐっと迫ってくるような飲み応え。秋あがり特有のまろやかさもありますが、この場合はふくよかと言った方がしっくりきそう。
うす焼とともに味わってみると、蕎麦と練り味噌の余韻が、酒とスムーズに溶け合います。蕎麦の余韻とは同調し、ゆっくりと消えていく感じ。練り味噌の余韻は、酒の旨みを膨らませる仕事をしているようです。酒自体のキレは良いのですが、酒と肴の美味しい関係が口の中に記憶として長く残ります。
素朴な味わいを装いながら、実は複雑性のある「蕎麦のうす焼」。この酒肴に対して「山形正宗」は、懐の深さで見事に包み込んだ、というところでしょうか。
(文/KOTA)