「淡麗辛口」文化で知られる新潟において「淡麗旨口」を掲げ、純米蔵として歩み続ける雪椿酒造。「全国新酒鑑評会」や「関東信越国税局酒類鑑評会」などで数多くの受賞歴を誇ります。昨年開催された日本酒の祭典「にいがた酒の陣2016」では、開場と同時に雪椿酒造のブースに多くの人が列をなし、品切れも続出。日本酒ファンからも熱い視線が注がれている注目の酒蔵です。
前回、雪椿酒造の小山社長に「手の届く酒造り」というこだわりをお伺いしました。今回はその酒造りの現場にお邪魔し、小山社長が「天性のセンスを持っている」と厚い信頼を寄せる杜氏の飯塚奏一さんに案内していただきました。
昔ながらの手仕事が光る、手間ひまをかけた酒造り
雪椿酒造は、JR信越本線加茂駅東口から伸びる商店街「ながいきストリート」の一角にあります。200年以上前(前身の丸若酒造のころ)から変わらずこの場所で酒造りをしていますが、敷地面積も限られているため、建物自体は非常にコンパクト。蔵の前や脇の小路を通りかかると、酒の香りがふんわりと漂います。商店街を歩く人たちは、このほのかな甘い香りをいつも楽しんでいるのでしょうか。
蔵の中へ足を踏み入れると、限られたスペースの中に、さまざまな機械やタンクがひしめき合っています。飯塚杜氏がまず案内してくれたのは、麹米の洗米工程。ここで早速、雪椿酒造の“手仕事”へのこだわりが光ります。この日の作業で使う米の全量は150kg。すべてを一度に洗米・浸漬するのではなく、10kg単位に分けて時間を計りながらの限定吸水です。
「うちのように小規模な蔵だと、米全量を一度にまとめて作業してしまうところも多いようです。他の蔵の方が見学に来たときに、10kgずつ洗米・浸漬している様子を見て驚かれますね。たしかに手間はかかりますが、ここで吸水の量を誤ると、これ以降何をやってもダメなんです。うちの蔵にとって、一番重要な工程です」(飯塚杜氏、以下同)
続いて蒸し米の工程へ。ここではまず少量の米を甑の中に平らに置き、蒸気が吹き出たところに新たに米をかぶせて蒸す「抜け掛け法」が採用されています。これによりムラのない蒸し上がりになるのだそう。こちらも手間のかかる作業ですが、酒造りに機械が導入される以前から受け継がれてきた伝統的な手法です。
酒母室では、タンクに断熱材が巻かれ、その下で電球の明かりが灯っていました。
「他の酒蔵さんで新しく機能的なタンクを見せてもらったこともあります。しかし、うちでは巻物や電球を使って保温する昔ながらの方法が、細かい温度調整など、一番制御しやすいんです。雪椿酒造では55度ぐらいの温度を保つ『高温糖化』の酒母を採用しています。そこに氷を入れて30度ぐらいまで冷やすと、酵母の格好の餌になるので、短期間ですっきりとした酒母が出来上がるんです。お酒によって酒母の作り方も変えますが、うちの場合は8割が高温糖化です」
未経験から製造責任者に!? 飯塚杜氏と酒造りの出逢い
伝統的な手仕事による雪椿酒造の酒造りの現場では、蔵人皆さんの丁寧な仕事ぶりはもちろん、時に笑顔を交わしながら楽しそうに働く姿も印象的でした。明るい酒造りの現場はどのようにして作られているのか、飯塚杜氏へのインタビューからその理由が浮かび上がってきました。
現在38歳の飯塚杜氏は群馬県出身。大学卒業後は一般企業に就職、新潟で勤務していました。その後、転職先として「新潟といえばやっぱり日本酒だろう」という考えから、未経験かつ知識もない状態ながらも日本酒業界で働くことを決意。県内のとある酒造メーカーに就職したことが、酒造りへの第一歩となったのですが……。
「会社に入った翌年、杜氏をはじめ製造に携わる人がみんな辞めてしまいました。洗米ぐらいしかやったことのない僕だけが蔵に残ったんです。みんなと一緒に辞めるのは簡単でしたが、せっかくだから続けたいと思い、入社2年目からいきなり製造責任者に。その後、新しい社員が入り、技術指導の先生にも来ていただいて、なんとか続けることができました」
飯塚杜氏にとっては思いもよらない展開でしたが、酒造りを覚えていく中で、そのおもしろさにどんどんのめり込んでいったと言います。そんな折、当時の雪椿酒造の杜氏が後任を探しており、以前から鑑評会などで面識があった飯塚杜氏に声をかけます。
「『ぜひ、うちに来てほしい』と言われましたが、一度お断りしました。自宅から通勤で1時間ぐらいかかるので、ちょっと遠いな……と思って(笑)。それでも熱心に誘ってもらい、平成23年から雪椿酒造の杜氏になりました。もうすぐ丸6年になります」
平成23年といえば、蔵が全量純米へ完全移行した年。雪椿酒造は、新しく迎えた飯塚杜氏とともに、純米蔵としてスタートを切りました。それとほぼ同時期に、飯塚杜氏は新潟清酒学校に入学。新潟の若き酒の造り手を育てるこの学校に、働きながら3年間通って見事首席で卒業しました。未経験からスタートした酒造りの才能を、みるみる開花させていったのです。
目指した味わいは、本醸造酒と純米吟醸酒の“いいとこ取り”
そんなユニークな経歴を持つ飯塚杜氏をはじめ、現在雪椿酒造には9人の蔵人がいます。1人は分析専門。残り8人でローテーションを組み、1日置きに醪を1本ずつ仕込む「半仕舞」で酒造りを行っています。
蔵の最大の特徴は、何といっても純米吟醸規格以上の酒しか造らない純米蔵であるということ。これまでご紹介してきたように、雪椿酒造では洗米や麹造りをはじめ、昔ながらの伝統的な方法を用いた手仕事を大切にしています。それだけ手間ひまをかけてこだわるのには、淡麗辛口文化の新潟にある純米蔵だからこそのプライドがあります。
「最近では“新潟=淡麗辛口”というイメージが定着し、日本酒ファンにとっては一般的になりましたよね。僕個人としても全量純米蔵としても、淡麗辛口に反発するつもりはありませんし、真逆の酒を造ろうと思っているわけでもないんです。『淡麗辛口を少し進化させた“淡麗旨口”』、それを雪椿酒造のスタイルとして確立していきたいと考えています。淡麗辛口を否定するわけではありませんが、一方で、その中に埋もれたくないとも思っています」
飯塚杜氏いわく、以前の雪椿酒造のお酒は「純米らしい味わいだけど、ちょっと重くも感じた」とのこと。改良を重ね、現在は新潟の淡麗さ・スッキリ感を残しながら、そこに旨みが乗った純米酒を目指しているといいます。そのために、べたべたした甘みが出ない麹造りや、極力日本酒度をプラスに寄せない温度管理などを意識し、日々の酒造りに取り組んでいるそうです。
「ぜいたくを言えば、単体で飲んでもおいしくて、食事と合わせても杯が進むようなお酒が理想ですね。うちでは純米酒しか造らない純米蔵ですが、味わいは本醸造のスッキリさと純米吟醸の旨みを合わせたような、“いいとこ取り”のお酒を目指したいです」
こだわりの酒造りは、前回もご紹介した「純米大吟醸 越乃雪椿 ほのほ」や「純米吟醸 越乃雪椿 雪椿酵母仕込」、「純米大吟醸 月の玉響」などのお酒に生かされています。特に「月の玉響」は"鑑評会向け"と飯塚杜氏が称するほど、蔵の醸造技術が集約されたお酒です。山田錦を40%まで精米し、泊まりがけで麹の湿度・温度を管理。濾過も加水も一切していないため、味があってフレッシュな飲み口が楽しめます。
幸せな気持ちで麹に触れば、麹も幸せになる
新潟の純米蔵として走り続ける雪椿酒造。飯塚杜氏は、今後の酒造りについても明確なビジョンを語ってくれました。
「今はやや甘みのある味わいですが、今後はもう少しボディのあるお酒を造りたいです。山廃の醪を作ってブレンドしたり、小仕込みで造っている『月の玉響』の品質を落とさずに大きい発酵タンクで仕込んでみたり……いろいろな方法を模索しているところです。今がゴールにならないように、やれることはどんどんやって、次のステップに進んでいきたいですね」
新しい挑戦には、仲間の協力が必要不可欠です。これまで技術面でのこだわりや蔵の特徴を伺ってきましたが、中でも一番のこだわりを聞くと、「蔵の雰囲気づくり」であると飯塚杜氏は断言します。
「うちの蔵は、社長含めみんなフラット。お互い言いたいことが言えるし、楽しくのびのびと酒造りに取り組めています。その雰囲気が、結果的に酒の味に反映されると思うんです。ストイックでいかにも職人気質という杜氏さんもいると思いますが、もし自分がその人と一緒に働いていたら、萎縮してしまってのびのび働けないかもしれません。 造り手の気持ちは酒造りに影響すると思うんです。幸せな気持ちで麹に触れば、麹も幸せになる。そうすると、より美味しいお酒ができると僕は信じています」
飯塚杜氏のその言葉は、奇しくも前回のインタビューで小山社長が語った「純米のお酒は蔵の個性がダイレクトに出る」という言葉に通ずるものがあります。蔵人たちが和気あいあいとしながらも真摯に酒造りに取り組む姿勢、淡麗辛口の一歩先である“淡麗旨口”を目指す純米蔵としての熱意が、雪椿酒造のお酒の味わいとして表れているのではないでしょうか。
雪椿酒造は、2018年3月10日、11日に開催される「にいがた酒の陣2018」にも、もちろん出展します。ぜひ、より洗練された純米酒を目指す雪椿酒造の"淡麗旨口"の酒を味わいに、新潟まで足を運んでみてください。
(取材・文/芳賀直美)
sponsored by 雪椿酒造株式会社
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