「今日は、日本酒を"Discover"していきたいと思います。日本酒には厚いカバーがかかって見えていない部分、つまり間違った認識で捉えられているところがあるんです」
「醸し人九平次」を醸す萬乗醸造の19代目・久野九平治さんによる日本酒出張セミナーは、"Discover"というキーワードから始まりました。
パリの三ツ星レストランでも提供されている日本酒「醸し人九平次」。兵庫県の黒田庄でみずから酒米を育てたり、フランスでのワイン造りに挑戦したり......その革新的な活動は日本酒ファンのみならず、同じ醸造家からも注目されています。
今回セミナーが行われたのは、SAKETIMES編集部のオフィス。参加したのは編集部のスタッフと、SAKETIMESライターの面々です。久野さんは、カジュアルなGジャン姿で登場しました。業界の最前線に立つ久野さんには、日本酒の世界がどのように見えているのでしょうか。
「日本酒の香味を決めるのは、原料である『米』」
「『米』『水』『麹』『酵母』のなかで、日本酒の香りや味にもっとも影響を与えるのは『米』だと思っています」と語る久野さん。日本酒と同じ醸造酒であるワインと比較しながら、日本酒に対する自身の考え方を話してくれました。
国内外問わず、多くのワイナリーでは、ワイン畑と醸造所をセットで捉えます。原料であるブドウが最終製品の香味に大きな影響を与えると考えているため、ワインの造り手はブドウを育てる土壌やその方法にこだわるのです。一方、日本酒の造り手が米作りから関わるケースはまだ少なく、多くの酒蔵は農家などから原料米を購入して日本酒を造ります。
日本酒の造られる発酵過程が非常に複雑なためか、日本酒はワインほど原料の特徴を感じるのが難しいと言われることもあります。それでも久野さんは「山田錦も五百万石も、みなさんにとっては同じように見えるかもしれません。でも、僕から見れば色も形状もまったく違う。その違いを感じながら酒造りをしています」と語ります。
「酒造りの現場に入って25年。やればやるほど、原料の特徴だけは人の力で変えることができないことを実感します。日本酒って、造り手のテクニックでなんとかなると思っている人もいるじゃないですか。でも、五百万石を山田錦に変えることはできません。もともと持っている原料の性質は変えられないんです。そんな、苦しみともいえるような制約のなかでお酒を造っているんです」
酒米の種類が増えたのは、第二次世界大戦以降。米不足を回避するために、寒い地域でも米が作れるような品種の研究が進められ、食用米はもちろん、さまざまな酒米が誕生したのです。「早生(わせ)や晩生(おくて)など、稲の生育サイクルが違うだけで性質がまったく異なることを知ってほしい」と、久野さんは話します。
しかし酒米の種類が増えても、その特徴についての理解がワインの世界ほど進んでいないのも事実です。
「ワイン造りに使われるブドウの品種を知っている人は多いのに、日本酒の酒米を言える人は少ない。それは日本酒のマーケットが銘柄優先になっているからです。銘柄を追いかけるマーケットは広がらないですよ。このままでは、将来的にマーケットが狭くなってしまうと思います」
酒蔵のドラマよりも、"田んぼのドラマ"
「今年は11月に台風が2回も来ました。そんなふうに毎年、田んぼにはドラマが起こるんです」
兵庫県の黒田庄で山田錦を、岡山県で雄町を育てている萬乗醸造。久野さんは、米が育つ水田の重要性について、みずからの経験をもとに語ります。
久野さんが初めて米作りを始めた2010年は、夏の国内平均気温が過去113年間でもっとも高く、埼玉県熊谷市では毎日のように気温が40度近くまであがるほどの猛暑の年でした。そのため、米の水分が飛んでしまい、非常に硬い米になったのだそう。
「2015, 2016年の9, 10月、兵庫県では太陽がほとんど出なかったことを覚えていますか?毎年、各地で天候のドラマがあるはずなのに、日本酒の世界ではそれが伝わってこない。ぼくたちは2016年から、フランスのブルゴーニュでワイン造りに挑戦しています。ワインの世界では、当たり前のように、その年のドラマがいち早く伝わってくるんです」
農業は天候との戦い。思い通りにならない自然に対して、どんな工夫をして米を育てていくか。その過程には、たくさんのドラマが生まれているはずです。
「ワインの醸造家は、ブドウ畑の話しかしない。この年はこういうブドウをこうやって育てた、と。もちろん蔵の中にも葛藤はあるけれど、彼らが一番葛藤しているのは畑の中。日本酒には、田んぼのイメージが浮かばないというジレンマがあります。それがなくならないかぎり、ワインと対等に語ることはできないと思うんです」
畑の中で四苦八苦しながらも、ワインの醸造家たちはいつも明るいのだとか。「彼らは詩人なんです。『この年は大地が割れたんだ!大地が割れて、すごいエネルギーが俺に降ってきたんだ。飲んでわかるだろ?』って。そんな話ばっかりです(笑)。苦労話はしないですよね」
原料を意識したテイスティング
「酒米の品種や産地、精米歩合。原料の要素ひとつひとつによって、日本酒の香味が変わります。米が主役であることを感じてもらうために、今日はブラインドで飲んでみましょう」
テイスティングするのは3種類の日本酒。どれも兵庫県産の山田錦を使用したもので、精米歩合は50%です。「原料と精米歩合を揃えてはじめて、蔵の個性が感じられる」のだとか。
どれもフルーティーな香りで、良い口当たり。1番目は、黄桃やオレンジのような心地良い酸の印象。2番目は、桃などの1番よりも少し甘味が強い熟した果物のようです。3番目は、グレープフルーツを思わせるフレッシュなスッキリ感。たしかに、同じスペックでも香りや味わいの広がりに違いがあります。
米の特徴がお酒の味にどのように現れるのか、久野さんに伺いました。
「山田錦は、ビー玉より少し大きいサイズの飴玉をなめているような、ツルツルとした立体感があります。雄町は、最初から最後まで角ばった立体感。五百万石は熟す前の固いみかん。少し平面的ですね」
ワインと肩を並べられるお酒にしたい
造り手がどれだけ米について語っても、価値を決めるのは一般の消費者たち。そのなかで久野さんは、日本酒に"教育の場"が足りていないと語ります。
実は「醸し人九平次」の出張セミナーを始めたのもその思いからでした。ブドウの品種が持つ特徴を知ってはじめてワインがわかるのと同じように、日本酒も正しい知識や新しい視点を獲得することで、感じられる味わいが変わるのかもしれません。
「海外で日本酒が盛り上がっているといっても、輸出額は150億円程度。フランスが世界各国にどれだけのワインやシャンパンを輸出しているのか知っていますか。年間1兆円ですよ。一方、日本酒の総売上は国内でも7,000~8,000億円。国内マーケットが年々小さくなっていくなかで、僕はこういった教育の場を通して、その流れに歯止めをかけたいと思っています」
フランスのカマルグで育てた米でお酒を造るなど、同じ醸造酒であるワインにヒントを得ながら、既存の枠組みを超えた新たな魅力を発掘しようとしている久野さんの言葉には、強い説得力がありました。
"カバー"のない正しい知識を発信することで、これまで見えていなかった日本酒の魅力が多くの人に伝わるのではないか。消費者としてだけでなく、ひとりの伝え手として日本酒とどう向き合うか。学びの多い時間になりました。
(文/橋村望)