神奈川県西部・開成町にある瀬戸酒造店は、慶応元年(1865年)の創業。歴史のある酒蔵ですが、1980年に自家醸造を中断し、他の酒蔵から仕入れた酒の瓶詰めのみを行ない、細々と日本酒を販売してきました。しかし、後継者不在で存続の危機にさらされていました。
そこで、地域おこしの依頼を受けたコンサルタント会社がみずから酒造りに関わることを決め、酒蔵を一新。蔵での酒造りを38年ぶりに再開しました。
地元の米・水・酵母にこだわった酒造りを通して、開成町を元気にしようと走り出した、瀬戸酒造店の軌跡を追いました。
手探りで始めた、酒蔵の再生
38年ぶりとなる酒造り再開の仕掛け人は、東京に本社をもつオリエンタルコンサルタンツの森隆信さんです。
3年半前、地方創生の仕事に携わっていた森さんのもとに、とある依頼が飛び込んできます。それは「開成町に酒造りを中断している小さな酒蔵がある。この蔵が酒造りを再開できるようにコンサルティングしてほしい」というものでした。
森さんは早速、復活に向けて具体的なヒアリングをするために、瀬戸酒造店の蔵元に会いに行きました。しかし、蔵元の反応は「酒造りの復活には、補助金だけでなく自力の資金調達が必要になる。また、販路がほとんどないので、酒を造っても売れ残るリスクが大きい。後を継ぐ人もいないから、とても無理だ」というものでした。
蔵元の話に半ば納得して帰ろうとしたとき、ふとした思いつきで、蔵元に次のような質問を投げかけたのだそう。
「もし、うちの会社が代わりに酒造りをやるといったらどうでしょうか」
その返事は「そういうことなら、自由にやってもらって大丈夫ですよ。私もできるかぎり手伝います」でした。
しかし、お酒がほとんど飲めない森さんは、酒造りのことをまったくわかりません。すべてを一から学びながら、事業の計画づくりに着手します。知り合いのツテを頼って、東京農業大学・穂坂教授のもとに足繁く通い、相談にのってもらいました。
現在の日本酒市場は特定名称酒が拡大しつつあることや、瀬戸酒造店のある開成町は都心から近く、箱根への観光客が立ち寄ってくれる可能性が高いことなどから、事業として成り立つ可能性を再確認。オリエンタルコンサルタンツの新規事業として立ち上げる準備を進め、2年がかりで会社のGOサインを勝ち取ります。
杜氏が見つからない!
そして2017年4月、瀬戸酒造店はオリエンタルコンサルタンツの全額出資子会社となり、森さんがその社長に就任しました。
まずは「開成町は豊富できれいな水がウリ。その水で育てられた米と地元で採取された酵母で日本酒を醸すことで、真の地酒としてアピールしていく」という方針を固めました。
古くなった建物を全面的に建て直す前に、穂坂教授の支援を受けながら、蔵に棲みついている酵母を採取。また、開成町最大の観光資源である"あじさいの花"からも酵母を取り出しました。
酒造りの再開に向けて準備を進めているなか、難題が持ち上がりました。杜氏が見つからないのです。
「南部杜氏、越後杜氏、能登杜氏など、主要な杜氏組合に問い合わせて紹介をお願いしたのですが、該当者なしと言われてしまいました。それどころか『これから復活するような、先行きのわからない蔵に行こうという杜氏はいませんよ』とまで言われてしまいました」と森さん。
しかし、ダメ元でハローワークに求人を出すと、なんと1人の応募がありました。昨年6月のことです。
「彼に会って、すぐに直感で、うちの杜氏にぴったりだと思いました」と森さんが話すのは、現在の杜氏・小林幸雄さん(53歳)。以前、長野県の酒蔵で杜氏をしていた小林さんは、その後、西日本の蔵へ移りましたが、家族の住むところに近い関東地方の蔵に移りたいと考えていました。そんなときに、瀬戸酒造店の求人を見つけて、問い合わせたのだそう。
小林さんも森さんの人柄に惹かれて、すぐに意気投合。それから、森さんと小林さんの二人三脚で、新しい蔵に導入する設備を順次決めていきました。新しい井戸を掘って、良質な仕込み水を充分に確保するなど、2018年2月に醸造設備が整い、同年3月から酒造りが始まりました。
2階建てで延べ床面積500㎡の建物には空調が完備され、作業部屋ごとに温度管理をすることができます。造りは順調に進み、5月には38年ぶりの新酒が搾られました。6月に開催された開成町の「あじさいまつり」では蔵の直売所に新酒が並び、多くの観光客が生まれ変わった酒蔵のお酒を堪能したようです。
日本酒をきっかけに、地元を知ってもらう
瀬戸酒造店の新しいお酒は3種類。それぞれ異なるタイプで、魅力をアピールしていく方針です。
「酒田錦」は、地元に長年親しまれてきた銘柄。地域の米と蔵から採取した酵母で醸し、地元の酒販店・飲食店で提供していきます。「あしがり郷」は、あじさいから採取した酵母を使ったお酒。"開成町産"を強調し、蔵へやってくる観光客を対象に販売するのだそう。「セトイチ」は、酒蔵の技術をすべて投じて、多彩で個性的な味わいのお酒を次々と造っていく方針なのだとか。
3つの銘柄がそれぞれ明確な個性をもっているため、シチュエーションや気分に応じて飲み分けられそうです。
今回の復活はオリエンタルコンサルタンツの新規事業であるため、しっかりと利益を上げられることも大事ですが、森さんの目標はそれだけではありません。
瀬戸酒造店のお酒を美味しいと思ってくれた人が、開成町の水に思いを馳せ、日本酒だけでなく、米・野菜・果物など、開成町の農産物にも手を伸ばしてもらうことを期待しているのだそう。蔵のすぐ近くにある、町の重要文化財にも指定されている古民家「あしがり郷 瀬戸屋敷」の管理も担っているため、瀬戸酒造店と有機的に連携させて多くの人を呼び込むことで、地方創生に繋げていきたいと話していました。
瀬戸酒造店の新たな挑戦が、神奈川県の酒造業界と開成町の活性化につながることを期待しています。
(取材・文/空太郎)