琥珀の美しい色合い、力強い香り、重厚な甘み。新酒にはない独特の魅力を持った古酒や熟成酒を専門に扱う酒販店「いにしえ酒店」は、以前は東京・杉並区方南町にありましたが、2021年5月に品川区に移転し、新たな形で営業を始めています。
古酒や熟成酒の圧倒的な品揃えや、店内にあるすべてのお酒を1杯200円から試飲できるシステムは同様ですが、新店舗のコンセプトは、なんと「酒を売らない酒屋」。この思わず二度聞きしてしまいそうな驚きのコンセプトは、どのようなビジョンや考えから生まれたものなのでしょうか。
移転オープンからもうすぐ1年を迎える「いにしえ酒店」店主の薬師大幸さんに、お話をうかがいました。
イベントスペースが加わった新生「いにしえ酒店」
古酒・熟成酒が専門の非常に珍しい酒屋ということで、これまで日本酒ファンから熱い支持を得ていた「いにしえ酒店」の新しい店舗は、JR品川駅から徒歩約10分の「SHINAGAWA1930」にあります。
さまざまな異業種が集まり、交流を深め、つながりを生み、シナジーを起こす場ということを目指してつくられた「SHINAGAWA1930」は、築90年以上の古民家建築群をリノベーションした複合施設。
物件更新のタイミングで新たな物件を探していた時に「SHINAGAWA1930」の古民家と出会った薬師さんは、この場所をすぐに気に入りました。山手線から徒歩圏内というアクセスの良さも希望通りの条件です。
「歴史や人のエネルギーを感じさせる古い建物が、古酒の持つイメージにぴったりでした。たくさんの人が出入りして、いろいろな人がお酒を通じて関わっていくことでシナジーが生まれたらおもしろいなと思っています」
まさに、新生「いにしえ酒店」にぴったりな場所です。現在の店舗は、1階が古酒や熟成酒の販売所。2階がセミナーやイベントなどを行える「いにしえLABO」という構成で営業を行っています。
この2階のスペースを使って、「みんなで古酒や熟成酒を体験できるようなコンテンツをつくっていきたい」と薬師さんは話しますが、その想いの裏には酒販店を取り巻く厳しい現状がありました。
「日本酒は、販売店が小売価格を自由には決めづらい商材です。オープン価格で販売したり、小売価格を上げたりすることも、簡単にはできません。そういう制約があるため、酒販店は売ることにすべてのパワーを注いで、おのずと薄利多売にならざる得ないんです。
たとえば、1000円のお酒を1本売って、250円の粗利が残るとします。この250円のなかから、人件費や光熱費、家賃を支払って、最後にどれだけの利益が残るのか。このような状態で酒を売ることだけ注力していたら、誰も幸せにならないんじゃないかと思いました」
前店舗の方南町時代には、「どうやって日本酒を売るか」ということを常に模索していた薬師さんですが、品川に移転するときに「この考え方を辞めた」といいます。
そして、新店舗のコンセプトとして掲げたのが「酒を売らない酒屋」でした。
「お酒をただ売るんじゃなくて、買ってもらえるというところに繋げるまでの仕組みが必要だと思いました。お酒にまつわるコンテンツを用意して、みんなで楽しんで、その中で古酒や熟成酒の存在を知ってもらう。気に入ったら購入してもらい、他の誰かとお酒を一緒に楽しむという文化をつくる。これからは、そういう仕事をしようと思ったんです」
「答え」ではなく「体験」を提供する
2階の「いにしえLABO」では、現在、日本酒ナビゲーター講座やチーズの講座、ペアリングや日本酒の味わいの変化を参加者自らが試せる実験コンテンツなどが行われています。
過去の単発イベントでは、クリスマスの時期にシュトーレンと日本酒を合わせたり、苔を愛でながら日本酒を楽しんだりする企画も行われたのだそう。
「古酒や熟成酒を楽しむ機会に繋がれば、テーマは何でもいいんです。『お店として、このテーマを盛り上げよう!推していこう!』ということではなく、偶然お店で出会った人同士で盛り上がって「あ、それ面白いね!」と自然な流れで始まるのがいいですね」
薬師さんがコンテンツ企画で大切にしているポイントは、「答えを事前に用意しない」ことです。
「たとえば、熟成酒とチーズのペアリング講座だったら、一般的に合う/合わないと言われる組み合わせでも『本当にそうなのだろうか?』と、疑問をもってもらいたいんです。
チーズは熟成酒に合うとは言われているけれど、ウォッシュタイプやハードタイプなど、チーズにはさまざまな種類のものがあります。それをテンプレートとしてひとくくりにされてしまうのが、なんだかもどかしくて。
たとえば、熟成酒にフレッシュチーズを合わせて『やっぱり合わない』って思っても、そこにスパイスを少し加えるとなぜかうまく合ったりします。だから、お客さんにも自分で試してもらって、『これは違うな』とか『これは良いな』とか、自分だけの結果を経験として持ち帰ってもらいたいです。世間的に『最高』と言われているペアリングでも、必ずしも万人に合うとは限りませんから」
「いにしえ酒店」の体験コンテンツはSNSなどを通じて知られていき、参加者が着実に増え続けています。なかには、いわゆる「日本酒好き」ではない参加者も多くいるのだそう。
「日本酒そのものというよりも、日本酒と組み合わせるテーマや食材に興味を持ってくれるお客さん。日本酒は詳しくないけれどイベントに参加するのが好きというお客さん。インスタグラマーだというお客さんもいましたし、お酒が飲めないけれど参加したいという方もいらっしゃいました。『日本酒が大好き!』という方でないほうが、実は多いかもしれません」
そんなお客さんに対しても薬師さんが伝えたいのは、「日本酒には熟成という文化がある」ということ。
「日本酒は長期熟成をすることができるから、押し入れに眠っていたお酒もちゃんと飲むことができるんです。それを知ってもらうための体験の場を、もっと増やしていきたいと考えています」
テーマパークのような酒屋を目指して
2021年5月、コロナ禍真っ只中の苦しい時期に移転オープンした「いにしえ酒店」ですが、薬師さんは「まだまだやりたいことがある」と語ります。
「売ることに主眼を置くのではなく、まずはお客さんに知ってもらい、面白がって、楽しんでもらうことで、結果的に販売につなげ、その体験をさらに別の誰かに伝えてもらう。そういう関係性を継続してつくっていきたいです。いにしえ酒店が目指すのは、テーマパークのような存在。いうなれば『いにしえワンダーランド』ですね」
「酒を売らない酒屋」という驚きのコンセプトの先にあったのは、「いにしえワンダーランド」という心躍るビジョンでした。日本酒と飲み手を結ぶ酒販店の新しい在り方を示す「いにしえ酒店」は、その歩みのスピードを緩めません。
(取材・文:髙橋亜理香/編集:SAKETIMES)
◎店舗情報
- 名称:いにしえ酒店
- 住所:東京都品川区北品川 1-21-10 SHINAGAWA 1930 B棟
- 営業時間:平日16:30~19:30 / 土日11:00~18:00
- 定休日:月曜