東京・神楽坂の本多横丁から少し奥まったビルの2階に佇む「ふしきの」。日本酒と料理、器の三位一体を体験できる、ミシュラン一つ星に連続で選ばれている和食の名店です。
店内に進むと、カウンターには鳥取県智頭の杉の木が、天井には屋久杉が使われ、美しく凛とした雰囲気。茶室のような木のぬくもりと、コンクリートというモダンな印象のバランスが絶妙な空間です。
京都の料亭出身の料理長・荒巻吉男さんの美しい会席料理と、その料理を引き立てる日本酒のペアリングによって、2011年のオープン当初から「予約が取れない店」と言われてきました。
さらに近年は、新しい日本酒の提供方法「四次元SAKEペアリング」を提案したり、形が異なる3客の酒器「asobi sake ceramics」を制作し、酒器の形による味わいの違いを伝えたりするなど、日本酒を嗜む人たちに常に驚きや楽しさを教えてくれているお店です。
そんな「ふしきの」を、創業者で日本酒文化をこよなく愛した・宮下祐輔から引き継いだ女将の宮下幸子さんと料理長の荒巻さん、日本酒の提供を受け持つ武田幸大さんにお話をうかがいました。
お弁当でも店と変わらぬ体験を
新型コロナウイルス感染拡大の影響を、ほかの飲食店同様に受けていた「ふしきの」では、いち早くテイクアウトを始め、3月にはzoomによる日本酒の楽しみ方や料理の話をするオンラインミニワークショップも行なっていました。
お弁当は日本酒と酒器をセットにして、「ふしきの」の提案する三位一体を自宅でも体験できるような仕組みです。
現在は、お客様の来やすい時間帯を考慮して営業を再開し、お弁当の販売は終了していますが、「料理人としてもお弁当をやって良かった」と荒巻さんは振り返ります。
「修行していたころは、お客様へお店で提供する料理に触れることはできません。まずは仕出し、お弁当の盛り付けなどが主な仕事です。そんな初心に戻れるとても良い機会でした」
おせちのような感覚で作っていたというお弁当は贈り物に利用された方も多く、このお弁当がきっかけで「ふしきの」へ来店するお客様も増えたようです。
「お弁当を召し上がってくださった方もそうですが、現在は外食される状況も変わったため、以前よりも予約が取りやすくなり、初めてのお客様がとても増えました」と、幸子さん。
「ふしきの」の変わらない料理は、常連のお客さんも新規のお客さんも魅了しています。
料理を引き立たせる日本酒ペアリングの極意
「日本酒の持つ魅力や奥深さがとても面白いです。日本酒の味わい、手法、考え方、さまざまなことを学びながら実践しています」と語るのは、料理に合わせて日本酒を提供する武田さん。
日本酒は、食中を考えて香りの穏やかなもの、食事に寄り添うもので選んでいるそうです。
先付けの「渡り蟹の酢の物」は、しっとりとした食感で、少量のかにみそがアクセント。優しい酸味で味が調えられています。武田さんは「鶴齢」をぬる燗にして提供します。
「最初に口にするお酒。寒い外から来られるので、身体になじむ温度にしてお出しします」
飲みごたえのある深い味わいで、アタックの力強さと後から立ち上るフルーティーさのバランスがよいお酒。火入れですがフレッシュ感もあります。ぬる燗にして軽く温めることで、丸みを帯びて抵抗なく口に入り、身体も気持ちもほぐれるようです。
上品に味付けされた「子持ち鮎 有馬煮」は箸で崩れるほど柔らか。卵の食感が心地よい一品です。
あわせるお酒は「報徳娘」。東京では「丹沢山」の方がなじみがあるかもしれませんが、地元で販売されていた銘柄の復刻ラベルです。4年熟成酒を加水し、アルコール14度に調えています。
アルコール度数は低めですが物足りなさがまったくないのは、熟成酒だからでしょう。熟成香はわずかで口当たりは軽やかな印象を受けます。
「子持ち鮎は薄味に仕上げてあります。なので、お酒も軽やかな低アルコールのものにしました。温度も料理と合わせて常温です」
これから出てくる料理の期待がさらに高まる組み合わせです。
会席料理の中でも心浮き立つ八寸。
個性的な器を組み合わせているのにも関わらず、全体が同調しています。そこに盛り付けられた料理は、どれもしっかりと仕事をしてあることが感じ取れ、しばらく眺めていたくなるほどの美しさです。
芳醇な香りのカラスミ。熟成されたちり酢が添えられた滑らかな食感のあん肝。松風はレバーのコクが味の奥行きを出し、くるみの香ばしさが印象的です。胡麻和えは、柿やサツマイモといった旬の食材が使われています。さまざまな食感と味わいのものが凝縮されている、感動的な一皿です。
八寸に合わせるお酒は、「日置桜 転 強力」。鳥取県の酒米「強力(ごうりき)」は、一度は姿を消した品種ですが、約30年前に原種保存されていた種が発芽したことにより復活しました。
武田さんは60度にまで温度を上げ、杯に注いだ時に若干温度が下がり酸が立つように燗をつけていました。酒器は「asobi sake ceramics」で提供します。
「同じ銘柄ですが、酒器の3種類の形状により味わいが変わります。それぞれの料理に合わせて飲んで欲しいです」と、武田さん。
酒器の形が変わるだけでこんなにも味わいが変化するのかと驚かされます。まずは料理を口にし、ふくよかさを加えるのか、すっきりと洗い流しリセットするのか、自分の好みで楽しむことができる組み合わせを探せます。
長期休業を経ても変わらぬ「ふしきの」
「古酒がお好きな方がいらっしゃるので、対応できるようにいくつか取り入れています。あとは、何本か熟成させてみようかと思って。そういう意味でも取り扱う銘柄の種類は増えていますね」
日本酒を担当する武田さんからは、お酒を楽しめる場をつくろうと試行錯誤している様子がうかがえます。
「料理長やスタッフが体験の質を守りながらも、自分の方向性も取り入れ、攻めの姿勢になっているのがうれしいですね」と、幸子さん。
荒巻さんが作る料理はとても上品で食材の味わいを存分に引き出し、いつ来ても変わらない安心感があります。
「とにかく手を抜かないこと、それが一番です。今までは料理が先にできあがり、それに合わせてお酒を提供してもらっていましたが、今後はお酒を前提とした料理も良いかもしれません」
実直で何の濁りもない荒巻さんの料理。1品1品にていねいな仕事がされていて、隙がないほどです。
そこに、お酒に合わせた1品という新たな提案が加われば、「ふしきの」での三位一体の体験はさらに進化することでしょう。
席についた瞬間から最後まで、すべてを委ねることができる「ふしきの」。
日本酒を楽しみ、空間に癒され、笑顔で余韻に浸りながら帰路につける体験がそこにはありました。料理と日本酒と器の三位一体を堪能する、そんな心安らぐ「ふしきの」へ足を運んでみてください。
(取材・文:まゆみ/編集:SAKETIMES)