江戸中期の浮世草子「傾城色三味線(けいせいいろじゃみせん)」の中に、このような一節があります。
「くだんの大和屋が三年酒を、はったりと間をいたして、勝手から持ってまいれば、時分はよきぞはや盛りと、大盃は脇になって、中椀平皿後は錫鉢にて、あひの、又あひ、大あひと申し出て、むすびのしに小坂の焼き味噌」
大和屋は当時有名な酒屋ですが、その大和屋がわざわざ自ら燗をして持ってきたということから、この宴会はしかるべき人たちの集まりで、そこで使った酒は大和屋自慢の高級な三年酒で、お燗の温度にも気を配っていたことがわかります。
ところが、初めのうちこそ静かに大杯を呑み回していた宴席も、宴もたけなわとなるとそれではまどろっこしくなり、大杯は脇に投げ捨てて、杯代わりに料理が入っていた中椀や平皿、ついには杯洗に使う錫の鉢まで使って、旦那衆が手当たり次第に酒を注いだり注がれたりしながら、どんちゃん騒ぎをしている様子が目に浮かびます。
「宴座」と「穏座」の二部構成だった宮廷の宴会
さすがに最近は見られなくなりましたが、私の若いころの宴会には、地位や身分の上下を取り払い楽しむという「無礼講」というものがありました。
まず、来賓として招待された社長など然るべき立場の人が最初の挨拶をしました。全員で乾杯を済ませると、幹事役の「このあとは無礼講です。酒は充分用意しましたから、どんどん飲んで、交流を深めてください」という言葉で酒宴が始り、どんちゃん騒ぎで盛り上がったものです。
この日本人独特の宴会のルーツを、平安時代の「正月の大饗(おおみあえ)」など重要な宮廷行事にみることができます。
「拝礼の儀」を済ませると、招待客は威儀を正して酒席に付き、天皇から順に大杯が回される「宴座(えんのざ)」へと移り、全員でそれを粛々と三回飲み廻しまわして、「穏座(おんのざ)」へと移ります。
「穏座」は一転して、いわゆる無礼講の宴会となり、どんちゃん騒ぎは当然として、その場で飲んだり食べたりしたものを吐き戻したり、眠り込んだり、お互いがトラブルを起こすなどの醜態はすべて許され、宴会が済んだ後、それらの醜態を一切話題にしてはならないというのが決まりです。
外国人を驚かせた日本の宴会の作法
ところが、この「無礼講」のような日本特有の宴会のやり方は外国人には理解できず、室町時代にイエズス会の宣教師として来日したルイス・フロイスはその様子を、その著「日欧文化比較」に克明に描いています。
- すでに皆が泥酔に至るまで酒が回ってくると、たがいに盃の代わりに水鉢のような他大きな器を両手で持って飲み比べをする。
- 我々の間では、誰も自分の欲する以上に飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、他のものは酔っ払う。
- 我々の間では、スープや魚や肉などをよそった椀で飲むことは、吐き気を催すほどいやなこととされている。日本では汁合器(Xiru goqi)を空けてそれで酒を飲むのはごく普通のことになっている。
まさに「傾城色三味線」に書かれた宴会そのものですが、昭和時代の宴会を経験してきた人なら、必ず心当たりがあるでしょう。
(文/梁井宏)