香港の日本酒マーケットについて、前編では、輸出金額や輸出量などのデータを中心にみていくなかで、現地の人々が高価格帯の日本酒をたくさん飲んでいるという、香港市場の"今"が明らかになりました。

後編では、実際の消費者に近い立場で日本酒を取り扱う方々にインタビューをすることで、香港の日本酒マーケットをさらに深く掘り下げていきましょう。

20年前からは想像できないほどの需要増

日本の食材を中心に取り扱うスーパー「city’super」。毎年、日本酒のフェア「Blissful Sake Moments」を行なっています。開催から19年目を迎える今年は、3月5日〜18日の13日間にわたって、19蔵140種類の日本酒が試飲・販売されました。

初めて開催したのは1999年。当時は、酒蔵の方々に香港まで来てもらっても、営業をかける酒販店や飲食店がほとんどなかったのだそう。しかし、今や香港の街中には、日本酒を扱うレストランがおよそ1200店もあります。また、イベントに来場するお客さんの日本酒に対する理解度も、格段に向上しているのだとか。

city’superで開催される日本酒のフェア「Blissful Sake Moments」

「イベントでは、現地の方々から味わいについての質問をよく受けます」そう話してくれたのは、今年のイベントに参加していた、南部美人(岩手県)の平野雅章さん。

「吟醸酒や大吟醸酒を求めるお客様が多いですが、私は純米酒をおすすめしています。南部美人の純米酒は華やかで旨味があるので、吟醸酒に近い造りをしていると伝えると、納得して購入してくれますね」

来場していたお客さんにも話を聞いてみました。SNSでこのイベントを知ったというクリービーさん。city’superをはじめ、さまざまな場所で日本酒を買うそうで、寿司や刺身といっしょに楽しんでいるのだそう。

いろいろなお酒を試飲しながらお気に入りを探していた彼は「来年もまた来たい」と、笑顔を見せてくれました。

パイオニア的存在の日本酒バーへ!

香港いちの繁華街として知られる蘭桂坊(ラン・カイ・フォン)は、ナイトライフの中心地。周辺には洋風の店が立ち並び、深夜にもかかわらず、多くの地元住民と観光客でにぎわっています。

このエリアで、6年前にオープンした「SAKE BAR 吟」。香港の居酒屋においては、パイオニアのような存在です。香港では、日本酒を瓶で提供するのが一般的ですが、グラスでの提供にこだわっています。オーナーの百瀬あゆちさんに話を伺いましょう。

「いろいろなお酒を飲んでほしいという思いから、グラスでの提供を始めました。香港には勉強熱心な人が多く、以前と比べて、マニアと呼べるほど日本酒に詳しい人が増えました。日本に行ったことがあるという人も多いですね」

お客さんが1回の飲み会で使う金額が上がったことも近年の特徴だそう。4人で来店した場合、500〜800香港ドル(約6,000円〜10,000円)の四合瓶を、平均で2本も飲んでいくのだとか。

週に数回、食事といっしょに日本酒を楽しむというお客さんは「百瀬さんのおかげで、美味しいお酒を見つけることができました」とうれしそうに話していました。

日本酒を通して、文化を学ぶ

香港では、日本酒関連のセミナーや勉強会も増えています。今回は、陶芸で酒器をつくって日本酒を飲むというワークショップを取材しました。この企画は、香港唯一の陶芸スタジオとして昨年オープンした「LUMP」に、city’superが声をかけて実現したのだそう。オーナーを務めるリズ・ラウさんに話を伺いました。

「"日本酒を陶器の器で飲む"という楽しみ方を提案しているのが、このワークショップの特徴です。陶器のつくり方だけでなく、器の形状によって、酒の味わいがどのように変化するかもいっしょに教えています。このワークショップを通して、日本酒や酒器を選ぶときの新しい視点を伝えたいですね」

それぞれのオリジナリティーを発揮しながら酒器をつくっていく参加者のみなさん。20代から50代まで、幅広い世代の男女が参加していました。手料理とともに日本酒を楽しんでいるというニコラス・キーさんとウェン・イーさんは「この器で日本酒を飲むのが楽しみ」と話してくれました。

酒器をつくった後は試飲会。お酒を提供した天山酒造(佐賀県)の七田謙介さん、朝日酒造(新潟県)の西山洋介さん、出羽桜酒造(山形県)の仲野あかりさんを囲みます。お客さんたちは3人の話に耳を傾けながら、用意された6種類の日本酒を楽しんでいました。

新しいアプローチに取り組む店も!

香港で日本酒を提供する店は、人々が集う中心地・中環(セントラル)に多くあります。そんななか、中環から少し離れた場所に、新しい日本酒バー「酒林」がオープンしようとしています。お客さんの多い中心地ではなく、なぜこのエリアにオープンすることを決意したのでしょうか。オーナーのボリス・ウーさんに、話を聞きました。

「中環は地価が高いので、それがお客様への提供価格に反映されてしまいます。この場所なら、中環の8割くらいの価格に抑えることができるんです。手に取りやすい価格帯にすることで、香港の人に、もっと日常的に日本酒を飲んでほしいですね」

高価格帯が主流の香港で、新しいアプローチを試みるボリスさん。吟醸酒や大吟醸酒だけでなく、小さい酒蔵のお酒や純米酒、生酛造りの酒など、広範囲のお酒を取り扱います。

「生酛を初めて飲んだときに、とても驚いたんです。その衝撃は、自分にとって大きな変化になりました。香港には、まだ自分の好みを知っている人が少ないんです。そんなお客様に、ぴったりのお酒を選んであげたい。そんな思いから、お客様とコミュニケーションが取りやすい、カウンターのみの店にしました」

「日本酒には、伝統とモダンの両面が同居する」と語るボリスさん。升やお猪口だけでなく、ワイングラスで酒を提供したり、洋食とのペアリングを提案したり......日本酒のさまざまな価値観を伝えていきたいのだそう。店内でセミナーを開催するなど、教育にも力を入れていきたいと話していました。

"総合体験"を提案する日本酒の最先端

中環にあるトレンディーなスポット「PMQ」。おしゃれなショップやカフェなどが並ぶ建物の2階に、2017年にオープンしたばかりの「SAKE CENTRAL」があります。

SAKE CENTRALは、日本酒を中心に日本の食文化を紹介・提案するショップ。展示や販売、バー、セミナーなど、総合的な顧客体験を提供する新しい形態の店です。

取材当日、神楽坂の日本料理店「ふしきの」による酒器の展示・販売が行われていました。5年連続でミシュランの一つ星を獲得した名店です。香港で酒器展を開くのは、今回が3回目とのこと。

オーナーの宮下さんは、香港の高い嗜好性に大きな可能性を感じているといいます。本質的な良さを理解し、しっかりと対価を払った上で生活に取り入れようとする人が多いのだそう。興味深そうに酒器を手に取って、宮下さんのていねいな説明に耳を傾けているお客さんの姿に、日本酒の魅力が世界に広がっていく未来が見えたような気がしました。

SAKE CENTRALでは、現地の需要を開拓することに重点を置いているそうです。そのためには「お客様と同じバックグラウンドをもった店員が、みずからの感覚・言葉で伝えることが重要」であると、ディレクターの遠藤隆史さんはいいます。

ディレクターの遠藤隆史さん(左)と、店長のマッテオ・セラボロさん(右)。背後に見えるのは、店内に8台並ぶ冷蔵庫。生酒や吟醸酒などが冷蔵・陳列されている

「たとえば、日本酒の味わいを表現するときに使われる『辛口』『甘口』は、香港や欧米の人にはあまり伝わりません。お客様が飲み慣れているワインなどと比較するなど、共通の文化的背景をもって伝えることで、しっかりと日本酒の魅力を伝えられると考えています。

さらにSAKE CENTRALでは、付き合いのある卸業者の方々にも、テイスティングコーナーでお酒を提供してもらっています。お客様の欲求を体験することで、消費者と接点のない卸業者も日本酒の知識を身に付けてほしいですね。私たちは、提供する側を含めて、香港全体の日本酒リテラシーを向上させたいと考えているのです」

遠藤さんは「バーはプレゼンテーションの場」と話します。お客さんと対峙することで、日本酒をどのように楽しんだらいいのか、実体験のなかで知ることができるのです。

店内のバーを訪れていたリリーさんは、SAKE CENTRALに来て、日本酒を好きになったのだそう。「スタッフが熱心にわかりやすい説明をしてくれます。もともと、日本酒にはあまり興味がありませんでしたが、今ではよく通っていますね」

店内でていねいな説明を受けて納得し、バーで実際に体験してファンになる。そして、そこで見つけたお気に入りのお酒を購入することで、その体験が自宅でも再現できる。そのすべてをひとつの店舗内で実現したSAKE CENTRALは、他に類を見ない総合体験をお客さんに提供しています。

変化していく、香港の日本酒市場

日本酒の市場が成熟しつつある香港。「city’super」「SAKE BAR 吟」「酒林」「SAKE CENTRAL」......紹介したそれぞれの店は、一見するとまったく異なるスタンスですが、「より多くの人に、日本酒を知ってほしい、飲んでほしい」という思いは共通していました。

香港への日本酒の輸出量が伸び悩んでいる現在。まさに、香港の日本酒市場は分岐点にあるといえるでしょう。随一の繁華街・蘭桂坊や中心地・中環で感じられた香港の爆発的なエネルギーが、日本酒市場に対して、どのように向けられるのか。期待せずにはいられません。

(取材・文/古川理恵)

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