スイス初のSAKE醸造所として2020年に誕生した「YamaSake」は、兄弟であるオリバー・ウェイベルとクリスチャン・ウェイベルが営んでいます。

日本の文化を愛し、その魅力を地元の人々に伝えるため、限られた環境の中で試行錯誤しながら酒造りをする「YamaSake」。その情熱がどこから生まれるのか、ウェイベル兄弟に話をうかがいました。

日本文化を追う旅の始まり

ウェイベル兄弟の日本文化を追う旅が始まったのは、1980年代まで遡ると言います。

いまでこそ、スイスでも日本食レストランをよく見かけるようになりましたが、寿司さえも食べられなかった当時、12歳と14歳だったふたりは、日本料理の本で見つけた巻き寿司を自分たちで作って楽しんでいました。

ある年のクリスチャンの誕生日、家族におねだりをして日本料理の店でディナーをしたふたりは、その味に衝撃を受けます。「これまで食べたどんなものとも違うと感じた」と語るオリバーはすっかり日本料理の虜に。以来、和食を作っては友人たちに振る舞うようになりました。

クリスチャン・ウェイベル(左)とオリバー・ウェイベル(右)

クリスチャン・ウェイベル(左)とオリバー・ウェイベル(右)

そんなオリバーが初めて日本を訪れたのは、2000年の初め。ようやく訪問した憧れの国で、日本酒に出会います。

「ラベルの文字が読めないこともあって、すべてがミステリアスでした。お酒によって、甘かったり辛かったり、口にするまで何が起こるかわからない。でも、ある時、『吟醸酒』と言われるものは『普通酒』と言われるものよりも甘いことに気付きました。そのときから、SAKEを探求する旅が始まったんです」

日本酒の奥深さに突き動かされたオリバーは、日本酒が何からできているのか、そしてどのように造られているのかを学び始めました。ビールを自家醸造した経験があるため、「スイスでSAKEを造るアイデアにたどり着くまでに、そう長くはかからなかった」と言います。

Yamasakeの外観

YamaSakeの外観

「美しい山や水など、日本とスイスがたくさんの共通点を持っていることも、スイスで酒造りを行う決め手になりました。世界中のほかの国と比較しても、日本ほどスイスに似ているところはないでしょう」

日本で見た美しい山々を、故郷のスイスと重ねたオリバー。そうして、ふたつの国の共通点を表現した「YamaSake」というブランド名が生まれました。

麹造りという大きな壁

兄のクリスチャンに協力を仰ぎ、SAKEを造るための準備に取りかかったオリバーは、酒造りがビールの醸造よりも複雑なことに気付きます。

「現地の日本酒の輸入業者に話を聞いてみると、スイスで酒造りに挑戦した人はこれまでに何人かいたそうです。しかし、誰ひとりとして完成させることはできなかった。そう聞いたとき、これは長い旅になるだろうと覚悟しました」

特に大きな壁となったのが麹造り。インターネットで検索すれば簡単な製法が出てくるとはいえ、「実際に造ってみると、いま何が起こっているのか、どうなると失敗なのかがわからない。湿度が高すぎたり、逆に乾燥したりするとどうなるのか。さながらミステリー・ボックスのようでした」とオリバーはその苦労を振り返ります。

麹造り

クリスチャンも、「まるで獣のようだと思いました。決まったとおりにやっているのに、おいしくなる時もあれば、そうでない時もある。感情を持った生き物に向き合っているようでした」と苦笑いします。

麹の造り方を知るために、オリバーは書籍を読み込み、ヨーロッパの醸造所が設けている発酵の講座やオンラインの授業を受講します。転換点となったのは、オーストリアで行われた味噌づくりの教室でした。

「味噌はよく食べていましたが、麹が使われていることは知りませんでした。教室では、水槽や保温マットを使う方法を教えてもらいました。そこから上手くいくようになったんです」(オリバー)

酒蔵の内観

そのほか、日本酒用の醸造機器はスイスで手に入れることがほぼ不可能なため、自分たちで手作りするだけではなく、国内で手に入るほかの製品用の機材を代用することもありました。

発酵した醪を搾ってお酒と酒粕に分離させるために、スイスの名産品であるチーズの圧搾機を使ったことも。しかし、それは上手くいかず、現在は水圧を利用したハイドロ・プレスを活用しているそうです。

地元の硬水を、あえてそのまま使う

「水の国」と呼ばれ、ヨーロッパ随一の高い水質を誇るスイス。国内の飲料水の8割をアルプスの源泉など天然水が占め、水道水はそのまま飲むことができます。

酒蔵のあるクノッナウは、チューリッヒ州の農村地帯にある人口約2,500人の小さな村。「YamaSake」はそんな地元の水を用いて酒造りをしています。

数値は約320〜330と硬水に区分されますが、ふたりは「水には手を加えたくない」と断言します。

「ヨーロッパにはフランスやスペインなどにも醸造所がありますが、ほかの国々は、水にもっと苦労していると思います。確かに硬水ではありますが、私たちは幸運にも良質の水を得られる環境にいました」(オリバー)

造りはじめのころは、思うような品質のお酒ができませんでした。原因は水の硬度にあることはわかっていたと話します。

「多くの人から、軟水器を使うべきだと言われましたが、そうしたくはありませんでした。水を加工することは、自然に逆らうこと。『YamaSake』の理念には反します。そのままの状態を保つために、ミネラル分は変えずに酒造りをしています。

いまとなっては、精米歩合や酵母、温度など、ほかの原因が絡み合っていることをより理解しています。最終的な味を決める要因は、水だけでなく、複合的なものです」(クリスチャン)

日本酒と同じクオリティのSAKEを造るために

2020年夏、初めての商品となる「YamaSake Nr.1 Craft Sake」をリリース。いまだSAKEの認知度が低いスイスの市場に向けて、隣国のイタリアで栽培された米と、醸造協会が海外向けに頒布している乾燥酵母を用いて造られました。

YamaSake Nr.1 Craft Sake

商品設計について、「スイスの人々の多くは、SAKEは蒸留酒であり、アルコール度数が高く、熱燗で飲むものだと思っているので、そのイメージを変えるものを造る必要がありました。スイスでは白ワインがよく飲まれるので、彼らの好みに合わせて、アルコール度数は11%に設定し、スイスの伝統料理であるチーズに合うような味わいを目指しました」(オリバー)

ほかにも、ふたりはスイスの人々にSAKEを受け入れてもらうためにあらゆる努力を重ねています。

「スイスの人々は、何も言わないとワインの味わいを期待して飲むので、ひと口飲んだだけで『失敗したワインだ』と思われてしまいます」(クリスチャン)

そこで、ふたりはSAKEの味わいを表現したアロマ・ホイールを制作しました。円形の図の中に、フルーツやハーブ、ナッツなどの味わい表現の例が記載され、視覚的に味わいを理解することができるアイテムです。

この図を用いて、香りや味わいを説明することで、「想像していた味とまったく違った」ということを防げるようになりました。

地元・スイスの食材を愛するミシュラン星つきレストランのシェフたちからも気に入られている「YamaSake」。ところが、スイス人の味覚に合わせて造った第1弾のSAKEは、スイス在住の日本人からは厳しい評価を受けたそうです。

「テイスティングをした彼らはがっかりしていました。日本の人々は礼儀正しく、なかなか本当のことを言ってくれないのですが、『地元の人に興味を持ってもらうにはいいけれど、公に取り扱うことはできない』とはっきり言ってくれる人もいました」とオリバーは話します。

SAKEを知らないスイス人に向けて造ったものは、日本の人々には受け入れてもらえない。日本で飲んだ日本酒に憧れて酒造りを始めたふたりにとって、これはショッキングな事実でした。

「スイスの大手スーパーマーケットは、私たちのお酒を積極的に取り扱ってくれましたが、料理酒のパックといっしょに並んでいる。棚に置かれていたとしても、お客さんがそれを何か理解していないのであれば意味がないことに気付きました」とクリスチャン。

ふたりは、レシピや材料を改良し、日本から輸入される日本酒と同じクオリティのSAKEを造る方法を模索し始めました。

日本文化を伝えるアンバサダーとして

酒質を変えるにあたり、あきらめなければならなかったのは、地元に近いイタリアの米を使うことです。ヨーロッパには酒造りのための精米設備が整えられていないため、「YamaSake Nr.1 Craft Sake」には90%精米のイタリア産の食用米が使われていました。

「いくつかの精米会社に『何%まで精米できるか』と尋ねたんですが、『何を言っているの?』とまったく話が通じない。機械の電源を入れたり、米の量を測ったりすることはできても、『米を削る』ことの意味は理解されていないんです」(オリバー)

地元での入手が困難だと理解したふたりは、やむを得ず、アメリカのカリフォルニア州から精米された米を仕入れることを決断します。アメリカは、大手酒造メーカーを中心に酒造りの長い歴史を築いていたため、精米設備が整えられているのです。

「自分たちで酒米を育て、精米することも考えましたが、その資金を集めるにしても、まずはスイスの市場を開拓しなければなりません。日本人コミュニティや日本食レストランから評価されるような商品を造り、安定した売上を確保できるようになったら、いつか地元での米づくりができるかもしれませんね」と、クリスチャンは展望を語ります。

そして造られたのが、2021年5月にリリースされた「Craft Sake – Spring 2021 Edition」。ほんのりと柑橘のアロマが香る、アルコール度数14%のお酒です。ふたりは「日本人コミュニティのみなさんにも、もう一度試してもらいたい」と意気込みます。

Craft Sake – Spring 2021 Edition

「私たちは、長い間、日本の食べ物を愛してきました。自分たちのことをメーカーではなく、日本の文化をスイスに伝えるアンバサダーだと思っています」と語るクリスチャン。

その一環として成功を収めているのが、麹や酒粕の販売です。通常、スイスで手に入るのは乾燥麹のみ。日本から輸送されてくるものは値段も高価になってしまうため、彼らの造る新鮮な麹は多くの人に歓迎されています。

「麹にはたくさんの常連さんがいて、現地の日本人からも『スイスで新鮮な麹が買えるなんて!』と喜んでいただいています。こうしたお客さんからのフィードバックは、酒造りへのモチベーションにもなっています。

麹は、お酒が苦手な人など、SAKEとはまったく別の角度から市場にアプローチできるのも強み。発酵に興味がある人やプロのシェフだけではなく、肉が好きな人にも評判で、普通のステーキが麹のおかげで奇跡的においしくなったという熱狂的な感想もいただきました」とクリスチャンは嬉しそうに話します。

自分たちの商品がまだ発展途上であると受け止めながらも、愛する日本の文化を母国で広めることを目標に、切磋琢磨するオリバーとクリスチャン。ふたりの情熱が地元の人々に愛されるSAKEへと実を結ぶ日も、そう遠くはないのかもしれません。

(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます