「固く凍っているため、歯を痛めないようにご注意ください」という注意書きでおなじみの氷菓「あずきバー」は、発売以来、40年以上に渡って熱い支持を受け続ける井村屋グループのロングセラー商品です。
三重県松阪市で創業した井村屋グループ(以下、井村屋)は、「あずきバー」をはじめとした和菓子や洋菓子、肉まんやあんまんなどの冷凍・チルド食品、スイーツショップの運営などを手掛ける総合食品会社ですが、2019年に三重県伊賀市の酒蔵・福井酒造場の事業を継承し、日本酒業界に参入しました。
なぜ、井村屋が酒造りに挑戦するのか。酒蔵としての方向性や、酒造りを通して生まれる事業全体への相乗効果について、井村屋グループ会長・浅田剛夫さんにお話を聞きました。
「外からの視点で酒造りをしてもらいたい」
浅田会長のもとに酒蔵の事業継承の話が舞い込んだのは、2018年のこと。親しくしている三重県四日市市の酒蔵・宮崎本店の宮崎会長から、設備の老朽化や後継者などの問題を抱える福井酒造場についての相談を受けたことがきっかけです。
「日本酒業界の外にいる私たちに相談した理由をたずねると、『これからの日本酒業界には、他業界の企業にも関わってもらったほうが、より多くのお客さまに楽しんでもらえるようになるための改革ができるだろう』というお話でした」
時を同じくして、三重県多気町では、複合リゾート施設「VISON(ヴィソン)」という地方創生プロジェクトが進んでいて、井村屋も、和菓子店「菓子舗 井村屋」として出店予定でした。
2016年に開催された伊勢志摩サミットをきっかけに、三重県の日本酒が世界的な注目を集めていたことを受け、浅田会長は「VISONに酒蔵を設けることができないか」というアイデアを思いつきます。
2019年、福井酒造場を訪問した浅田会長は、高い煙突や煉瓦造りの壁に囲まれた酒蔵と、周囲の歴史ある街並みに感銘を受けます。
「井村屋の創業は1896年。福井酒造場は、その4年後の1900年です。同じ三重県で、ほぼ同時期に菓子屋と酒蔵がスタートしました。三重県の起業家同士、そして食品産業の一員として、この伝統を絶やさない方向で協力できればという想いが芽生えました」
2014年に米澤酒造を事業継承した長野県の寒天メーカー・伊那食品工業の存在も「判断の後押しになった」と、浅田会長は話します。
「同社の塚越最高顧問とは個人的に交友が深いのですが、良い酒造りとともに地域活性化に熱心に取り組んでいる様子を見てきました。伊那食品工業さんが挑戦されたことが、我々にも回ってきたのかなと感じました」
福井酒造場の代表である福井寿仁さんから、「酒造りの伝統を井村屋に引き継いでもらえるならありがたい」という想いを受け継いだ浅田会長。福井さんは現在、井村屋グループの社員として酒造りに携わっています。
日本酒事業と菓子事業の相乗効果
日本酒事業への参入に際して、周囲からは「なぜ井村屋が酒造りをするのか」という驚きの声が多くありました。
「井村屋では創業以来、『特色経営』という命題を掲げていますが、これには人の真似をせず、オリジナリティを大切にするという意味が込められています。
もうひとつは、伊賀上野出身(現:三重県伊賀市)の松尾芭蕉の言葉である『不易流行』の教えです。これは、変えてはいけないことは頑なに守るが、変えるべきことは勇気をもって変えるという考えです。つまり、井村屋は新しいことをやりたがる体質がある会社なんですよね。
また、最近はコロナ禍などの時代の要請から、オンラインショップの体制も強化してきました。たとえば、酒蔵を訪れたお客さまが生酒を気に入ってくれれば、オンラインショップを通じてご購入いただき、新鮮な状態でお酒を楽しんでいただくことができます」
そのほか、酒造りの基本となる醪(もろみ)や酒粕などの副産物を菓子づくりに活用するというアイデアもあります。
「VISONにオープンした和菓子店では、酒蔵の話が持ち上がる前から、醪を使った酒まんじゅうの商品化の企画が進んでいました。酒まんじゅうは、地方の著名な和菓子屋さんにもありますが、全国的に販売されている有名なものは少ないのです。
長期間の保存に向かず、できあがったものをすぐに食べなければならないという制約があります。そこで役に立つのが、弊社の冷凍和菓子の技術です。近隣にある自社工場で製造直後に瞬間冷凍し、流通網を活用すれば全国に展開できます」
このアイデアから生まれたのが、「酒々まんじゅう 芳醸菓(ささまんじゅう・ほうじょうか)」という商品です。
「この酒まんじゅうの原料に、福和蔵の醪を使っています。ほかにも、酒粕は甘酒にすることもできますし、グループ会社の『井村屋フーズ』で酒粕パウダーに加工し、全国のパン屋さんをはじめ、食品メーカー様にお届けすることも可能です。酒造りがいろいろなかたちで既存事業に関与していくことは、食品ロスの対策にもつながります」
一見、意外に思える井村屋の酒造業参入。しかし、その企業理念やこれまでに培った技術、ネットワークがあったからこそ、事業継承という結論に到達したのがよくわかります。
日本酒業界特有のルールと参入ハードル
福井酒造場の事業継承を行うことになった井村屋は、酒造免許の譲渡と、醸造所を「VISON」のある三重県多気町に移転するための2段階の手続きを行いました。
「我々のような食品産業が通常行っているM&Aとはまったく違うという印象を受けました」と、浅田会長は、事業継承の手続きを振り返ります。
「実際の手続きは会計・財務担当の部署が行いましたが、その報告書を確認する中で、『なぜそんなルールがあるんだろう』と不思議に感じるものもありました。
もちろん、産業を守るために条件を緩めることができないことも理解できます。海外へ輸出される日本酒なども含め、一定の品質を保てる体制があることは重要なポイントでしょう。でも、新規参入のハードルが下がれば、日本酒業界全体でもっと新しい動きが出てくるかもしれません」
ルールを遵守しながらも、異業種からの参入とあって、浅田会長は酒造業の特殊な慣習に驚いたようです。
「我々が関わることで、少しでも日本酒業界に『こんなやり方もあるんだ』と考えていただける方々が出てこられたらおもしろいですね。小さな酒蔵ですが、業界の発展につながるようお役に立てればと思っています」
「福和蔵」の名に込めた想い
井村屋グループが手がける新たな日本酒のブランド名は、「福和蔵(ふくわぐら)」。福井酒造場の「福」と、井村屋の創業者・井村和蔵(わぞう)の「和蔵」を合わせた名前で、新しい事業への挑戦ながらも原点回帰することを表現しています。
「ロゴマークは、井村屋と福井酒造場の『井』であると同時に、井戸の『井』でもあります。かつて、井戸とは長屋の人々が集まる場所であり、生活の中心でした。点は米を表現しています。新しいデザイナーと出会い、素敵なロゴデザインとなりました」
福井酒造場では、これまで冬季の寒造りで日本酒を造っていましたが、福和蔵では四季醸造に切り替えました。これは小さな醸造所で一定の生産量を保つための、若手社員の発案です。
「幸運なことに、井村屋の社員の中に大学で醸造関連の勉強をしていた者が2人いました。大学で専門的に醸造を学んでいる人がいるかいないかで、できることは全然違いますから、ありがたいですね。彼らが、四季醸造の設備の設計に関わってくれました。
彼らは、三重県の清水清三郎商店さんと長野県の米澤酒造さんにご縁をいただいて、現場で酒造りを学びました。準備期間の1年半ほどは、技術者たちの養成期間になったんです」
いずれの社員もこれまでは菓子・食品の開発や生産に携わっていたため、「まさか井村屋で酒造りをすることになるとは思っていなかったでしょう。彼らも、新しいことに挑戦できるからと楽しんでいるようです」と、浅田会長は笑いながら話してくれました。
三重の地酒として、地元の食に寄り添う
福和蔵のある複合リゾート施設「VISON」のビジョンは、人々の心身と自然環境をつなぐこと。福和蔵の日本酒もまたテロワールを重視し、すべての原料に三重県産のものを使用しています。
仕込み水は、井村屋が販売するミネラルウォーター「めぐるる」と同じ水源のもの。三重県松阪市飯高町の香肌峡(かはだきょう)の森に育まれた湧水で、マグネシウムよりもカルシウムが多く含まれた、ミネラルバランスの良いやさしい硬水です。
「この水が本当においしいんです。飲むと口あたりがなめらかで、本当に硬水かと驚くようなやわらかさ。この水に出会えたのも、酒造りを始めるきっかけのひとつになりました」
米は、三重県産の「五百万石」と「神の穂」を使っています。今後は多気町の農家の方と契約し、米の栽培から行っていこうと計画しています。
「三重県には海があり、森があり、きれいな川があって、その自然に育まれた生産物があります。おいしいものが多いですよね。松阪牛や伊勢海老が有名ですが、米や野菜も素晴らしいんです。
たとえば、伊勢市は人口12万人の小さな町ですが、フレンチレストランが16軒もあります。シェフにたずねると、『食材が圧倒的に豊富だから、これを活用してみたい』と心がくすぐられるんだそうですよ。地元で良い循環ができるのは、SDGsの考え方にもあっています」
そんな多彩な三重の食材に合わせる福和蔵の日本酒は、「すっきり旨口」を目指して造られています。
「醸造チームの社員と、目指すお酒の味わいについて話し合ったとき、食事の邪魔をしない味にしようという話になりました。すっきりして飲み心地がよく、どんな料理にも合う『食中酒』。現代は健康への要望が強いですが、『お酒を飲むことで食事が楽しくなる』という意味での健康的な役割が評価されていけば良いと思っています」
福和蔵で造る日本酒は、純米酒と純米吟醸酒の2種類。いずれも生酒と火入れをそろえています。
「今後は、純米大吟醸酒やスパークリング酒にも挑戦したいと考えています。しかし、まずは純米酒と純米吟醸酒をしっかり認めていただけるようになってからですね」
食品メーカーとしての強みを活かしながら、日本酒の可能性を切り開く井村屋グループ。120年にわたり培った高い技術と広いネットワークを活用し、新しい取り組みへ前向きに挑む姿は、日本酒業界全体に活気を与えてくれます。
(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)
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