国税庁の発表によると、平成26酒造年度で、純米酒や吟醸酒などの特定名称酒の割合が清酒の総生産量の三割を超えました。ワイングラスで呑むのに適した吟醸酒・米を限界まで磨いた大吟醸酒・濃厚な味わいの無濾過生原酒など、個性豊かな日本酒が市場で盛り上がりを見せています。

各酒蔵がエッジの効いた商品を売り出す時代。そんな中で、岐阜県羽島市の酒蔵・千代菊株式会社は、自らの酒を “平凡の銘酒“と標榜し、変わらぬ飽きのない味わいの酒を造り続けています。この時代にあえて“平凡”を謳う背景には、どんな歴史や背景、理念があるのでしょうか。千代菊株式会社 取締役会長の坂倉吉則さんにお話をうかがいました。

278年の歴史をもつ千代菊株式会社

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酒蔵には、100年以上の歴史をもつ企業が数多く存在します。江戸時代から現代に至るまで、生活環境・政治・社会情勢は様変わりしてきましたが、そうした歴史の流れのなかに千代菊もありました。

「千代菊は2018年に創業280年を迎えます。初代の坂倉又吉が羽島に腰をすえたのは1597年、まもなく関ヶ原の戦いが始まる時代です。代々『又吉』と名乗り羽島にて農家や林業を営んでいたのですが、1738年に7代目が酒造りを開始し、代表銘柄『薄紅葉』を造ったのが酒蔵としての創業となっています。その後の1806年、鎖国していた日本に黒船が到来し、世の中が不安に包まれた時代に、9代目坂倉又吉が『わか国(=菊)の弥栄』を祈って蔵の酒を『千代菊」と命名し、販売しました」

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その後も関東大震災で酒蔵が全壊したり、世界大戦で深刻な米規制があったり・・・歴史の変遷とともにさまざまな危機もありましたが、千代菊は創業して一度も酒造りを辞めた年はありませんでした。
激動の時代のなかを生き抜いてきた千代菊。当然、日本酒にもそれぞれの時代のなかで流行り廃りがありました。そうしたトレンドを追いかけることなく、あえて自分たちのお酒を“平凡”と称する背景にはどういった理念があるのでしょうか。

「酒蔵としての千代菊が目指すのは、 “平凡の銘酒”です。このフレーズは、1924年に14代目が千代菊のあり方を後世に伝えるためにつけました。平凡とは、『ありきたりでつまらない』という意味では決してなく、『生活の中にとけ込み、いつの時代にも愛される』ということ。仕事の後や休日に癒しの一杯として『千代菊』を楽しむ、父が飲んでいる姿を見て、子も『千代菊』を手に取る。飾ることなく、日常で飲まれ、次世代に自然と受け継がれるお酒でありたいと思っています」

自社ブランドを、世代を超えた長い目でみているからこそ、“変わらない味わい”にこだわっているのですね。

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さらに坂倉さんは「『千代菊』は地元・羽島の方々にとって“故郷の酒”でありたいと思っています。たとえ羽島から離れた方でも、地元に戻って来た時には『千代菊』が飲みたくなる、そんなお酒であることが理想ですね。そのためにも、食事と合わせて飲み続けられる味に仕上げています」 と語ってくれました。

千代菊が目指しているのは、言うなれば“おふくろの味“かもしれません。おふくろの味は、普段は“当たり前”にあると思っているものですが、一度離れてしまうととても恋しくなるもの、食べるとやっぱりホッとしますよね。 “平凡の名酒”という発想は、まずは地元の人に愛されるべき酒でありたいという思いと繋がっています。

地元の人に誇りを持ってもらいたい ― 地元産へのこだわり

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“地元の地酒”へのこだわりを持ち、地域の交流にも力をいれている千代菊。具体的には、どのようなことに取り組んでいるのでしょう。

「羽島産の水と米を使うことで、地元の方々に”真の地酒”としての誇りを持ってもらいたいと考えています。千代菊の酒造用水は、地下128mから汲み上げる長良川の伏流水を使用しています。米も可能な限り、羽島で育ったものを使用しています。具体的な取り組みとしては、地元と一体となった酒造りを行っていて、たとえば田んぼに殺虫剤や除去剤を使用する代わりにアイガモを放して稲作をする『アイガモ農法』を実践しています。これを『羽島体験プロジェクト』として、参加者の方に田植えから稲刈り、仕込みまで体験してもらっています。みんなで植えた苗がアイガモとともに大きく育ち、最終的に自然の恵みをいっぱいに受けて育った米ができる様子にいつも感動しています」

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「このプロジェクトは地元だけでなく全国各地からも参加者が来るようになっています。酒造りを田植えから体験することで、千代菊へ愛着を持つと同時に羽島を故郷のように感じてほしいと思っています。他にも、年に2度の新酒開きの際に、地元の方を招いたお祭りを催しています。毎回およそ3000人もの方々が参加し、酒蔵は大盛況です」

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「また最近では、地元の方に酒蔵をより身近に感じていただくため、毎月酒蔵でコンサートを催しています。 地元から海外アーティストまで、さまざまなジャンルのミュージシャンをゲストとしてお招きしています」

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3000石という規模の生産量を誇りながらも、千代菊のアイデンティティは地元にある。だからこそ、より一層地酒たらんとする意気込みを、具体的な取り組みからも感じ取ることができますね。

独自の3季醸造で「千代菊」を広げていく

“羽島の地酒”であり続けることにこだわることは、“地元だけの流通に限定する”ことを指すわけではありません。岐阜・羽島の地酒としての魅力を、日本、そして世界中に広げるために精力的な活動も行っています。関東・関西の大都市圏をはじめ、海外への販路拡大にも動いています。

「現在、『千代菊』の流通は、岐阜県内が4割、東海・関西地域3割、都心3割です。さらに、グローバル展開にも挑戦してきました。1970年の大阪万博出展時には、ラベルを「十二単のお姫様」に変更し、海外からの注目も集めたんですよ。

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大阪万博に出店された「十二単のお姫様」ラベルの千代菊

また、同時期にハワイへの流通に力もいれていました。ハワイの大手スーパーに私自ら飛び込みで営業をし、その1週間後にスーパー全店に『千代菊』が並ぶということもあったんです。岐阜・羽島の魅力がつまった千代菊を、地元以外でも味わってもらうこと。これも大切にしていることです」

味のトレンドや時代を追いかけすぎることはないという坂倉さんですが、一方で消費者への安定供給を行うための醸造設備の投資も積極的に行っています。

「千代菊では3季醸造を行っています。ナショナルブランドは設備投資で4季醸造を実現していますが、私たちは、千代菊の蔵の限られた設備でよりたくさんの方々に日本酒を飲んでいただくために、10月に新米を使った生酒『新米新酒』を季節限定発売するのですが、この『新米新酒』このというネーミングとコンセプトは当社が創作したものでして、おそらく日本で初めてのものだと思います。現在は1年のうち5, 6月以外は日本酒を造り続けています。さらに、現在は代表銘柄『千代菊」が製造の8割を占めている一方で、新たな銘柄も開発しており、『千代菊』と同じように “平凡の銘酒”としてのあり方を常に模索しています」

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千代菊の蔵内。広々とした空間に貯蔵タンクが整然と並ぶ

既に愛されている「千代菊」を安定的に生産する一方で、新銘柄を開発し、さまざまな”平凡の銘酒”のあり方も探求している千代菊。今後の目標はどういったものなのでしょうか。

「日本酒が “当たり前のもの”になってほしいですね。かつて日本酒は、造れば売れる時代もありましたが、洋酒や焼酎など他のお酒が出てきて消費量は落ちました。しかし今は地酒ブームとともに、ワインを飲んでいた若い世代が日本酒を手にとるようになり、日本酒が再発見されている時代です。ブームを一過性にせず継続し続け、再発見を当たり前にし、日本酒がどの家庭でも日常的に飲まれるようにしていきたいです。その中で千代菊は “平凡の銘酒”を探求し続け、生活の中の “平凡なシーン”にいつもある存在になっていたいと思います」

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千代菊は、“平凡の銘酒”として伝統と誇りを守りつつ、日本酒を “当たり前”にする未来を模索する、哲学者のような存在でした。

地元産の原料にこだわり、かつ消費者が参加できるイベントを通じて“売り手・買い手”の垣根を超えて『千代菊』というお酒を浸透させていく。これが、千代菊株式会社の求める地酒の姿なのでしょう。あくまで地元・羽島を優先しながら、3季醸造やグローバル展開などさらなる次の一手に挑戦し続ける千代菊の姿に、”地域に生きる地酒蔵”のモデルケースとなりうる可能性を感じました。

(取材・文/石根ゆりえ)

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