新潟県加茂市の全量純米蔵・雪椿酒造。手仕事による"淡麗旨口"の酒造りを目指し、米の旨みがシンプルに感じられるお酒を主流とする酒蔵です。しかし、"自社の得意分野"に留まらない、チャレンジングな銘柄も製造しています。それが「越乃雪椿 雪椿酵母仕込」。その名の通り、県木であり加茂市の花でもある「雪椿」の酵母を使ったお酒です。

花から採れた酵母でお酒を造れるなんて、華やかでロマンチック!……ですが、そこに至るまでには地道な努力と長い時間が費やされたといいます。蔵の名を冠した雪椿酵母仕込みのお酒はどのようにして生まれたのか、その道のりを取材しました。

自然界にある無数の酵母の中から清酒酵母を採取

そもそも、日本酒造りに使われる酵母とはどのようなものなのでしょうか。詳しいお話をうかがうため、食品科学・応用微生物学を専門に、国酒(清酒、焼酎、泡盛)酵母を研究している東京農業大学・門倉利守准教授の研究室を訪ねました。門倉先生こそ、雪椿の花から酵母を分離することに成功した功労者。実は雪椿酒造の小山社長も、「雪椿酵母仕込」の開発に携わった前杜氏の二宮一行さんも、この研究室のOBです。

「酵母というのは、自然界のありとあらゆるところにいます。一番多いのは土の中で、他にも花や木、川辺の砂利などにもついている。過去には富士山や屋久島で採れた例もあります。その中でもアルコール発酵する酵母のことを、学術的には『サッカロマイセス・セレビシエ』(以下、セレビシエ)と呼びます。

世界の分類学的には、ビール酵母やワイン酵母、そして清酒酵母もすべて一括りにしてセレビシエと呼ばれているのですが、私の研究室では、セレビシエと清酒酵母を明確に区別し、『清酒酵母は他とは違う独自性を持った酵母である』と提唱しているんです」

門倉先生によれば、清酒酵母は1895年に日本で初めて分離に成功し、研究者が「サッカロマイセス・サケ」という、セレビシエとは異なる酵母として命名。ところが当時の分類学はヨーロッパで発展していたため連携がうまくとれず、結局現在に至るまで清酒酵母はセレビシエに分類されているといいます。

「日本酒を造るために酵母を取ろうと思っても、セレビシエというグループとして酵母を分離してしまうといいお酒ができない。おいしい日本酒を造るには、セレビシエとしてではなく清酒酵母の分類指標に乗っ取って分離する必要があります」

学生とともに酵母研究に取り組む醸造微生物学研究室

門倉先生によれば、遺伝子による酵母分類学上セレビシエと清酒酵母の最も特徴的な相違点は、ビタミンのない培地(培養環境)で育つか否か。清酒をはじめ国酒酵母はビタミンがない培地で生育できますが、セレビシエは育ちません。そうした違いを理解せずセレビシエとして分離操作を進めてしまうと、酒造りに適していない酵母を分離することに繋がり、おいしい日本酒にならないというのです。

「清酒酵母がいるかどうかはやってみないとわからないし、いたとしても上手く分離できないこともある。むしろ上手くいく方が少ない」と門倉先生は話します。現在、門倉先生の研究室で分離した酵母を使って商品化した日本酒は、雪椿酒造のお酒を含め3種類。いずれも酵母を取り出すまでに1年以上の月日がかかったといいます。

現在、全国で造られている日本酒のうち、約8割で日本醸造協会の頒布する「きょうかい酵母」が使用されていると言われていますが、自然物から分離できる清酒酵母はそれとは違った個性が必要だと門倉先生は考えます。

「品質の安全性・安定性を考えれば、きょうかい酵母を使ったお酒ももちろんいいのですが、どうしても香りや味わいが似たお酒ができてしまう。それでいいなら、わざわざ手間をかけて自然界から酵母を分離しなくてもいいですよね。きょうかい酵母とは違った特徴があって、かつおいしいお酒を造ることを目指して自然界から酵母を採るわけですが、それを実現させるのはやはり大変なことなんです」

ひと口に「酵母」といっても、それを採取するまでには専門的な知識と技術、多くの時間が費やされます。そうして自然界からひとつひとつ見つけ出された清酒酵母が、日本酒の可能性をさらに広げているのです。

蔵の裏山で採取してから3年、野性味あふれる雪椿酵母のお酒が誕生

門倉先生のお話からは、自然物から清酒酵母を分離するのは気の遠くなるような作業であることが理解できます。実際に、雪椿の花から酵母を取り出すまでにも約3年かかったのだとか。雪椿酵母仕込みのお酒を開発するまでの経緯を、雪椿酒造の小山譲治社長に伺いました。

雪椿酒造の蔵のすぐ裏手にある、自然豊かな加茂山公園。その一角にある雪椿園には約100種・1300本もの雪椿の木が植えられ、毎年2月ごろから春先にかけて真っ赤な花が開き、美しい景観が広がります。

「2005年、前杜氏の二宮が『県木であり加茂市の花、そして蔵の名前でもある雪椿の花を使った酒造りができないか』と考えたのが始まりです」

小山社長と二宮さんは、公園を管理している加茂市の許可を得て雪椿の花を採取し、東京農大へ送付。門倉先生によれば、雪椿のように湿気のある環境で長く咲いている花は比較的、清酒酵母が取れやすいそうなのですが、それでも「はじめは酵母が取れるかどうかはまったくわからなくて、本当に運よく探し当てることができた」と小山社長は語ります。

門倉先生の研究室で酵母を培養・分離して試験醸造をおこない、出来の良いものを二宮さんが蔵へ持ち帰り、2008年2月に仕込みを始めました。そして、二宮さんが雪椿の花を門倉先生に託してからおよそ3年後、2008年4月にようやく「越乃雪椿 雪椿酵母仕込」が完成したのです。

細かい温度調整などを除き、雪椿酵母での酒造りは、レギュラー商品の純米大吟醸のそれと大きな違いはないそう。それでもはっきりとした違いを感じられる個性の強さに、2011年から着任した飯塚泰一杜氏は目を見張りました。

「最初に雪椿酵母にふれたときにすごく魅力を感じて、『この酵母を使って全部の酒造りができればいいな』と思いました。でも、レギュラーの純米大吟醸が目指しているのは幅広くいろんな世代に飲んでもらえるお酒だったので、雪椿酵母はそういうタイプとはちょっと違ったんです」

一般的な酵母菌は温度が下がればだんだんと活動が弱まるため、その性質を利用して仕込みを行うのに対し、雪椿酵母は発酵力が強く、温度を落としているのに発酵が進むなど、「野性味がある酵母」だと飯塚杜氏は評します。

初めはその個性の強さから扱いに苦労したものの、一昨年蔵の設備を一新して温度管理のしやすい環境が整ったこともあり、徐々に安定していいお酒が造れるようになりました。昨年の秋には関東信越国税局のコンクールに雪椿酵母仕込のお酒を初出品し、見事純米の部で優秀賞を受賞。「一歩前進したなと思った。でも、ちょっとできすぎですよね」と飯塚杜氏は笑顔を浮かべます。

日本酒らしくない? 独特の個性を持つ雪椿酵母仕込みのお酒

雪椿酵母は現在も蔵の中で培養が続けられていますが、商品の生産量としてはまだ少なく、今年仕込んだ全タンク86本中雪椿酵母仕込みは5本ほど。その中からこの夏新たに商品化が決まったのが、40%精米、山田錦だけを使った純米大吟醸です。これまでは雪椿酵母の個性の強さから、山田錦との相性はあまり良くないと判断されてきたのですが、「今年1本、オール山田錦で仕込んでみたんです。思った以上にいい出来になりました」と飯塚杜氏は自信を覗かせます。

特別に、雪椿酵母仕込みの従来商品と、10月に発売予定だという"オール山田錦"純米大吟醸の飲み比べをさせてもらいました。

まずは従来商品から。第一回目の取材で試飲したときと同様、ほのかにハーブのような香りを感じさせ、独特の酸味と甘みがバランスの良い一杯です。初めて口にする人は、まずこの香りに驚くといいます。

続いて、精米40%のオール山田錦をひと口。こちらも雪椿酵母のすっきりとした香りはそのままに、飲み口がよりまろやかに仕上がっています。たしかに個性はあるのですがクセが強い味ではないので、よく冷やして夏の暑気払いに、そして秋の夜長のお供にも合いそうです。

「酸があるけど日本酒らしい甘さもあり、バナナとか果物っぽい香りがするのが雪椿酵母仕込みの特徴。きょうかい酵母の7号酵母と近い香りがしますが、やっぱりちょっと違うんです。お酒を飲んだ業界関係者の人たちからも『いい意味で日本酒っぽくない』とか『今のお酒の概念で括れない』と言われました。日本酒に使われる表現だと、当てはまるものがないのかもしれませんね」と飯塚杜氏は評します。

日本酒を飲み慣れた人も一目置くほど、独自の味わいを生み出す雪椿酵母は、「雪椿酒造」という酒蔵を強く印象付けるお酒に成長しました。現在は新潟駅でお土産として販売されたり、加茂市の和菓子ブランド「京屋」で雪椿酵母の酒粕を使ったチョコレートやジェラートが作られたりと、地元の厚い協力を得ながら展開を広げています。新潟を訪れた際は、ぜひこの唯一無二の味わいを堪能してみてください。

雪椿酵母が見つけ出されるまでの3年間、前杜氏の二宮さんは決して諦めることはありませんでした。その姿を見て、門倉先生も根気よく酵母の発見まで向き合ったといいます。新潟県の県木、そして加茂市の花の名を冠する蔵として、このとき小山社長や二宮さんは雪椿酵母の実現に並々ならぬ熱意とプライドを抱いていたのではないでしょうか。地元を背負い、酒造りへの情熱を傾けることで生まれた雪椿のお酒は、いずれ加茂市の、そして新潟の顔になる日も近いかもしれません。

※雪椿酒造は東京農大花酵母研究会加盟蔵ではないため「雪椿酵母」は「花酵母」には含まれません。

(取材・文/芳賀直美)

sponsored by 雪椿酒造株式会社

[次の記事はこちら]

連載記事一覧