今宵もまた、文学作品から酒肴のお膳立て。池波正太郎の時代小説『剣客商売』(新潮文庫)の一遍「約束金二十両」にあった印象深い料理を再現し、晩酌を楽しみましょう。
登場人物は主人公である老剣客・秋山小兵衛と、小兵衛がひょんなことから剣で立ち会った同じ老剣客・平内太兵衛。立ち合いの結果は相討ちとなり、それを機に互いの腕前を認め合ったふたりは心を通わせることになりました。
後日、太兵衛は近所のお百姓からもらった大根を手土産に小兵衛宅を訪れ、温かなもてなしを受けます。
大根の思わぬ美味しさと、酒の酔いもあって「頑是ない幼児のように見える(同書)」とふたりの様子が描写されています。太兵衛の口からは冗談も飛び出し、その後は屈託のない会話が続きます。
良い酒と旨い料理。それは小兵衛の得意なもてなしがあってのことです。読むこちらの心まで温まる思いがします。
『剣客商売』は、昭和から平成にかけて役者が入れ替わり、4度ドラマ化されています。「約束金二十両」では、藤田まことさんが小兵衛を、宍戸錠さんが太兵衛を好演されています。
出汁のみで煮たシンプルな大根に山椒を添えていただく
小兵衛がもてなしたのは、出汁のみで煮た大根に山椒をかけただけの極めてシンプルな料理。食通とされる秋山小兵衛ならではのもてなしです。なによりもこれを描いた作家・池波正太郎さんの食に対する「粋」が感じられます。
まずは山椒の実をごりごりとすってみました。
瓶詰の粉山椒にはない鮮烈さで、えも言われぬ良い香りがします。
昆布出汁でじっくりと煮て柔らかくなった大根に、先ほどの山椒をふりかけて食べてみました。
少量の山椒が、大根のふくよかな風味を引き立てています。山椒は小粒でもぴりりと辛く、まさに身体は小さくても才気にあふれ侮れません。実に美味しく、秋山小兵衛の言う「こうして食べるのがいちばん」に偽りはありませんでした。
「大信州 槽場詰め純米吟醸生」でさらに食を誘う
大根の旨みと相性を図るなら、味わいのある純米酒。あるいは山椒の香りを考慮すれば純米吟醸という選択も良いでしょう。
肴をもうひと口、もうひと口と誘うような酒には、余韻のあるお酒を期待するか。いや、ここはキレを重視するか。
そんな考えを酒屋に相談すると、「新酒という手がある」とのアドバイス。なるほど、細かいことよりも酒の鮮烈さに任せてみよ、ということでしょう。
選んだのは「大信州 槽場詰め純米吟醸生」
こちらのお酒は、いわゆるロゴがデザインされたラベルはありません。
"槽場詰め"は、"ふなばづめ"と読みます。
昔ながらの酒造りでは、発酵した醪(もろみ)に含まれる酒と酒粕を分離するために、醪を綿の布袋に流し込み、これを大きな「槽(ふね)」と呼ばれる箱の中に積み重ね、重りなどで圧力をかけるという方法を取っていました。舟の形に似ていることからその名が付けられ、これを設置した場所が「槽場」です。
ちなみに、袋の中で粕と分離した清酒が流れ出る部分を「槽口(ふなぐち)」と呼びますが、蔵人は自動圧搾機による搾りが主流になった現代でも、同じ言葉を使っています。
搾られた清酒はその後、おり引き、濾過、火入れなどの工程を経るのが一般的ですが、槽口から出た清酒をその場で瓶詰したのが槽場詰めです。「槽口詰め」と呼ばれる酒も、おおむね同じ意味となります。
「大信州」の"槽場詰め"は酒屋のスタッフが蔵に赴き、自ら槽場で瓶に詰めるのが特徴です。
出汁の旨みと自然に寄り添う軽快な甘み
やんわりと程よい果実のような香りから、微炭酸のようなピリリとした口当たりが実に爽やか。無濾過であるため一定の複雑味を予想していたのですが、旨みがすっきりとまとまり、味わいは軽快です。開封直後の独特な口当たりは時間が経つとおだやかになり、甘みが増幅したようにも感じます。甘いと言っても、それは軽やかなものであり、昆布出汁や根菜独特の旨みとごく自然に寄り添います。
気になっていた山椒との相性ですが、酒のフレッシュさと山椒のスパイシーさが反発もなく、仲良く手を組んだ、そんな印象です。
山椒の香味は日本酒と合うというのが新たな発見でした。
この酒となら、出汁を含んだ大根に柚子味噌をかけて、というのも楽しそうですね。
(文/KOTA)