昨年末、「獺祭」を醸す旭酒造と世界的に有名な料理人であるジョエル・ロブション氏が、共同でフランス・パリに複合店舗を出すことが発表されました。
このプロジェクトには、旭酒造が取り組む、パリにおける市場開拓のエッセンスが凝縮されています。旭酒造で欧州を担当している飯田薫さんに話を伺いました。
伝統や見えないタブーが海外進出の足かせに
パリを中心に欧州全土で獺祭を売り込むべく、各国の輸入会社とともに卸先へ営業に行き販路を広げるなど、精力的に市場開拓を目指す飯田さん。彼女が旭酒造の一員として担っているミッションは「獺祭の浸透」。詳しく言えば、日本酒に対するハードルを下げて、フランス人にワインを選ぶような感覚で自然に獺祭を飲んでもらうようにすることです。
このハードルの高さについて飯田さんは「日本酒は日本の伝統やアイデンティティーと切っても切れない関係にある。でも、海外市場ではそれが足かせになることもあります。形式張った"見えないタブー"がたくさんあるのです」と話します。
たとえば、飲み方。夏になると日本ではキンキンに冷えたビールを飲む人が増え、フランスではロゼやシャンパンがよく飲まれるようになります。しかし、日本酒はアルコール度数がやや高いこともあってか、なかなか候補に挙がらないのが現実でしょう。
夏に日本酒を楽しんでもらうためにはどうしたらよいのか?
飯田さんは試行錯誤を重ねるなか、セーヌ川に浮かぶペニッシュ(ボート)にて行われたイベントで、ひとつの着想を得ました。日本酒を提供するブースの隣では、南仏スタイルの"Piscine"(プールの意)でロゼを出していたのです。氷をグラス一杯に詰め、ワインをキンキンに冷やして飲むこのスタイル。あるお客さんに「日本酒も"Piscine"できないの?」と聞かれて氷をひとつ入れてみたところ、これがなかなか美味しかったのだそう。
もちろん、これはお酒を選ぶ飲み方かもしれません。獺祭の場合、お酒を口に入れた瞬間からフィニッシュまで味がストレートに続きます。たとえるなら、六角形が相似形のまま小さくなっていくようなグラデーション。そのため、氷が溶けるか溶けないかという状態であれば、獺祭のもつ味のパンチはまったく損なわれません。"Piscine"スタイルを取り入れてから、そのイベントでは獺祭がものすごい勢いで飲まれたのだとか。
これが日本だったら「そんな飲み方は邪道だ」というような捉え方をされるかもしれません。しかし、欧州ではそもそも「日本酒」に対する固定観念がない。欧州に日本酒を浸透させるなら「日本酒はこうやって飲むもの」という伝統的な飲み方を押し付けるのではなく、現地の飲み方に順応させてしまえばいいと、飯田さんは話します。
あるイベントでは、フランス人のマダムがワイングラスに入った獺祭を飲みながら「このワインは......」と話し始めました。飯田さんは「彼女たちの中では『日本酒』という概念がそもそもなくて、ワインと同じなんだ」と気付き、そのまま"ワイン"として獺祭の説明をしたと言います。
フランス人からフランス人へ。日本酒の魅力を伝える発信拠点へ
パリでも和食が浸透してきているものの、日本酒を買ったり飲んだりできるお店は一部の日系レストランに限られています。日本酒を扱う卸会社も日系企業がほとんどです。ジョエル・ロブション氏との共同出店は、そんな現状を打開するための突破口。「日本人に向けて獺祭を売る」のではなく「フランス人に獺祭を飲んでもらう」ことを目指しています。
ジョエル・ロブションは、フランスでは知らない人がいないくらいの知名度。そんなフランスを代表するレストランで、獺祭が和食だけでなく、フレンチにも合うことを発信する。そうすることで、日本酒に対するハードルを下げていきたいのだと、飯田さんは語ります。
飯田さんの目標は、10年以内に「獺祭」を日本酒の代名詞にすること。
「ワインについては、日本人でもボルドーのシャトーマルゴー、シャンパンならヴーヴ・クリコなど、代表的な銘柄をいくつか言えますよね。でも、フランス人で日本酒の銘柄を言える人はとても少ないのです。どんな銘柄もひとまとめにして『日本酒』。『好きな日本酒は?』と聞いたときに『獺祭』と言ってもらえる。そこまで待って行きたいですね」
独自路線で海外進出を進める旭酒造。ジョエル・ロブションとの共同店は来年春オープン予定です。
(文/金子 剛)
参考文献:
『逆境経営』(桜井博志著 / ダイヤモンド社)
『勝ち続ける「仕組み」をつくる 獺祭の口ぐせ』(桜井博志著 / KADOKAWA)