ここ数年、「世界中で日本酒が注目されている」というニュースをよく見聞きするようになりました。実際、日本酒の輸出量は毎年右肩上がりで伸びているため、今後の成長が見込める産業として期待されています。
かつて、日本酒業界が大きく低迷していた時代。岩手県二戸市にある株式会社南部美人は強い危機感をもち、いち早く海外への輸出に取り組み始めました。今回、沖縄県で行われた日本酒の海外輸出に関するセミナーにて、5代目蔵元の久慈浩介氏に話を伺います。
海外展開を後押しした、日本食ブーム
─ 久慈さんに初めてお会いしたのは2004年。当時は焼酎ブームでしたね。
久慈浩介氏(以下、久慈):当時、焼酎ブームの真っ只中でした。国内は大手も地酒の酒蔵もみんな売り先が減ってしまい、大変な時代です。その状況に強い危機感があって、1997年に日本酒輸出協会を設立しました。あのころ、日本酒を海外に輸出しようと思っている酒蔵はごく少数でした。
久慈:90年代後半になると、蔵元みずからが日本酒の魅力を紹介するイベントが東京で盛んに行われていました。ある時、李白酒造(島根県)の田中前社長が「同じような日本酒イベントを海外で開催すれば、きっと美味しさが伝わるだろう」とおっしゃったんです。そのためには、蔵元自身が啓蒙活動をし、普及を図っていくべきだと。
この考えにすごく共感して、南部美人も海外輸出への取り組みに参加したのですが、最初は苦労の連続でした。現地に住む日本人は、日本酒について間違った情報をもっていることが多く、ようやくファンになってくれるころには駐在期間が終わって帰国してしまうような有様。キリがありませんでした。
海外進出において、やはり日本人以外の方々に飲んでもらうことが必要だと、その時に痛感しました。
─ まさに手探りで輸出を始めたんですね。現地の人々が日本酒に注目し始めるターニングポイントはありましたか。
久慈:2000年代の初めから日本酒が世界で注目され始めて、良い波を感じました。日本人がオーナーの日本料理店だけでなく、欧米発のおしゃれでハイエンドな創作日本料理店が世界各地で次々とオープンし始めたのが、ひとつの転換期といえるでしょう。有名無名にとらわれず、純粋に美味しいと思える酒を採用してくれるこれらの飲食店に積極的なアプローチをすることで、新しい扉が開けたと思います。
その次は、政府のクールジャパン戦略が大きな転換期です。2012年から、国家戦略として日本酒を「國酒」と位置付け、対外的に、しかも猛烈に推してくれるようになったことが絶大な変化をもたらしました。民間の努力だけでは、ここまでの変化は起こせなかったと思います。
世界中の大使館で日本酒が振る舞われるようになり、IWC(インターナショナル・ワイン・チャレンジ)のSAKE部門が立ち上がったのが2007年。それまでは考えられなかったことですが、国内の主要メディアが日本酒の輸出を追いかけてくれるようになりました。現在は各省庁がクールジャパンという名のテーブルにつき、それぞれの分野で日本酒業界を発展させるアイディアを出し合っている状況です。
─ ようやく民間と行政の足並みがそろったということでしょうか。
久慈:そうですね。何もない大草原で草をかき分けて道をつくったのが私たちだとしたら、賛同する他の酒蔵がいっしょに道を踏み固めて、ついには国を動かして高速道路ができちゃったみたいな。しかも、そこには強い追い風が吹いている、そんな印象です。
海外での日本酒への反応はとても良くなってきています。特にアメリカでは、新しい銘柄を歓迎してくれます。アジアでも、現地の商社がエッジのきいた銘柄を少しずつ輸入してくれるなど、日本酒の輸出はこれからも期待できると思います。
日本酒の輸出はまだまだ増やせる
─ ここ数年の日本酒人気について、どのように考えていますか。
久慈:日本酒はこの国に古くから存在するもの。いまそこに光が当たっているのは、その魅力を見直してもらっているということだと思っています。これは一過性のブームではなく、私は国内外で日本酒が再評価されているということ。日本酒はいま、世界中で待望されているのです。
久慈:平成29年度の清酒輸出額は約180億円。8年連続で過去最高額を記録しています。日本食の世界的な広がりを考えると、日本酒の広がりもまだまだ続くと思っています。少なくとも、現在の輸出量の10倍以上にはもっていけるでしょう。
臆することなく、海外市場へ打って出ることができれば、きっとチャンスはあるはず。日本食がビジネスになるということは、日本酒がビジネスになるということに他ならないし、その流れに乗っていかなければなりません。良い酒があって、志のある蔵元がいて、行政のサポートがあって今の市場がある。私たちももっとがんばらないといけません。
世界中で日本酒の語り部が育ってきていることも大きな要因でしょうね。日本酒について語りたい人がたくさんいる。これから、もっと増えていくと思います。
FacebookやInstagramなどのSNSでも、日本酒に関する数多くの投稿がされています。これは地方、都市、国境を越えた情報拡散力を味方につけたということ。日本酒のイベントで蔵元自身が銘柄をアピールし、ファンサービスに取り組んでいることもプラスに働いていると思います。私はゆるキャラ担当ですが(笑)。
「日本酒が好きだ」と言ってくれる人が増えていることを前向きに捉え、ファンのみなさんにしっかりとアプローチすることが大事ですね。
日本酒の「ナパ・バレー」だって夢じゃない
─ 最後に、これからの目標を聞かせてください。
久慈:うちの蔵がコーシャ(旧約聖書の戒律に基づいた、食に関するユダヤ教の規定)の認定を受けたことにも関係がありますが、宗教的な壁を乗り越えたいという思いはありますね。あらゆる宗教と食文化には深い関わりがあり、世界に数多ある食文化の数だけ、日本酒のアプローチできる市場があると考えています。
もうひとつは海外醸造の拡大です。海外進出を始めた当時、世界中でクラフトサケができるなんて、自分が引退した後の夢物語だと思っていました。しかし、日本にもワインの醸造所が数多くあるように、これからは海外で造られるサケが間違いなく増えるでしょう。20~30年後には、日本酒の「ナパ・バレー(※1)」が海外に生まれていると思います。
きちんとした醸造技術が伝われば、海外で生産するサケの質も上がります。現に、私も世界各地のクラフトサケをもっともっとサポートしたいと思っています。
だからといって、メイドインジャパンの日本酒の価値が下がることはありません。むしろ、日本酒市場が多様化してもっと裾野が広がれば、相対的に日本酒の価値が上がると考えています。日本酒の「オーパスワン(※2)」が生まれるのを心から楽しみにしているんです。
※1 カリフォルニア中西部・サンフランシスコの北側に位置するワインの指定栽培地域。世界的なプレミアムワインの生産地として有名で、高品質のワインをつくるワイナリーが集中している。
※2 カリフォルニアワイン業界を牽引する、世界屈指のプレミアムワイン。
高校時代にアメリカ留学で訪れたニューヨークの夜景を見て「いつかここで自分の造った酒を売りたい!」という夢を描き、それを見事に叶えた久慈氏。近い将来、地球上のどこを旅しても、キリっと冷えた大吟醸酒が飲めるような世界がやってくるかもしれません。日本酒業界の明るい未来を期待しましょう。
(文/沼田まどか)