日本酒の味わいを巧みに操る燗の技術で、いつからか"お燗の魔術師"という異名がついた、高木晋吾さん。これまで、数々の名店で燗酒を提供してきた高木さんが、ついに自身の店をオープンしました。
落ち着いたカウンターで、燗酒に酔いしれる
東急田園都市線・池尻大橋駅の西口を出て、高速道路沿いを西へ歩くこと3分。「えんじゃく、」の看板が見えました。扉を開けると、木の温もりがあふれる店内で、着物姿の店主・高木晋吾さんが出迎えてくれます。
豊富な知識と経験でつけられた高木さんの燗酒をいただくと、誰もがその虜になってしまうことから、"お燗の魔術師"と呼ばれています。
店内はカウンターのみ。暖色系の照明に包まれ、落ち着いた雰囲気です。高木さんの話をつまみに、じっくりと燗酒に向き合える空間ですね。
日本酒のラインアップは「丹澤山」「竹雀」「十旭日」「長珍」「奥播磨」など、純米酒を中心に常時15銘柄60種類ほど。いずれも高木さんが現地に足を運び、長年親しくしている酒蔵ばかりです。お酒は、半合500円から注文することができます。
高木さんが使う燗どうこは、60℃と80℃の2種類。しかし「温度にこだわり過ぎず、お客様の好みに合わせて、美味しいものを提供することを第一に考えています」と、高木さんは語ります。
「お酒は嗜好品なので、『こうしなければいけない』という決まりはありません。冷やしたお酒を提供することもありますし、あまりお酒が飲めない方のために、梅酒もご用意しています。もちろん、ビールやワインもありますよ」
メニューに載っていないお酒も多いため、おまかせで注文するお客さんが多いそうです。
温度と熟成。飲み頃を見極める。
せっかくなので、高木さんのおまかせで日本酒と料理をいただきました。
最初に出てきたのは、かわいい豆皿を使った、バリエーション豊かな4種類のお通し。料理は高木さんの手づくりです。呑兵衛にうれしい「しじみのスープ」は、日本酒を飲む前の身体を優しく温めてくれます。
それでは早速、燗酒をいただきましょう。
最初にいただいたのは「長珍 ささにごり 生」(長珍酒造/愛知県)。長珍は、高木さんがもっとも力を入れている銘柄のひとつです。
「多くの酒蔵が、11〜12月に新酒を出すのに対して、長珍は1月末。かなり遅いんです。新酒ですが、適度に熟成させているため、生の旨味がありつつ濃すぎないのは良いですね」
冷やした状態で一口いただくと、米由来のきれいな香りと凝縮された甘味を感じます。このままでも充分に美味しいのですが、燗にすると、ガラッと印象が変わりました。
やや熱めにつけられた長珍の燗は、柔らかい口当たり。甘い香りがふわっと鼻の中に広がりますが、後味はすっと儚く消えていきます。幸せな感覚がじわじわとこみ上げてきました。
次にいただいたのは、2種類の「隆」(川西屋酒造店/神奈川県)です。どちらも備前雄町を使った純米吟醸酒ですが、一方は無濾過生原酒、もう一方が無濾過生酒。加水の有無に違いがあります。
燗にすると、じんわりと染み入るようなコクがあり、食事に合いそうな味わいです。特に、少し温度が下がってからの"燗冷まし"が実に美味しく、「狙った温度よりも熱めにつける」という、魔術師のテクニックを感じました。
料理といっしょにいただいてみましょう。
「旬野菜のお刺身、巽醤油の自家製醤油麹と」(650円)
旬の野菜をシンプルに、醤油麹につけていただきます。
隆のキレに、シャキッとした瑞々しい野菜や、醤油麹の旨味と熟成感が混じり合い、絶妙なコンビネーション。やはり、発酵食品と日本酒は相性が良いですね。
心が緩んできたところで、さらに味わい深い日本酒を。「奥播磨 袋吊り雫酒」(下村酒造/兵庫県)は、昨年の新酒を1年間熟成させたもの。乳酸系の酸味が特徴で、熟成酒らしい香ばしさもあります。
そんな奥播磨に合わせていただくのは「里芋と酒粕のグラタン(広島直送大粒牡蠣入り)」(950円)
香ばしいチーズの香りが、ヨーグルトを思わせる熟成香に絡みます。ホクホクの里芋と酒粕のコクが、奥播磨の濃厚な旨味を包み込み、ほっこりとした余韻を残してくれます。
日本酒のおつまみというと、塩辛いものを思い浮かべることが多いですが、「えんじゃく、」の料理は素材の味を活かした優しい味わいのものばかり。食べ疲れしない料理に、飲み疲れしない燗酒。身体に優しい飲み方の手本ですね。
そして、今回一番の驚きが「長珍 ひやおろし」。「ひやおろし」といえば秋のお酒ですが、なぜこの時期に?
なんと、こちらのお酒は高木さんが秋に仕入れて、自身で熟成させたものなのだとか。
「ひやおろしだからといって、秋に飲まないといけないわけではありません。最近は、熟成の足りないひやおろしが多く、さらに寝かせることでより美味しくなる場合もよくあります。実は、店でも自家熟成を行なっているんですよ」と、自慢の日本酒セラーを見せてくれました。
扉を開けると、日本酒がぎっしり。
実はこのお店、以前はワインバーだったのだそう。居抜きで借りることができたため、もとあったワインセラーをそのまま日本酒セラーとして利用しているのです。提供するお酒は飲み頃になるまで、ここでじっくりと熟成させています。
寝かせることで、より円熟した味わいが生まれるのも日本酒の特徴ですが、お店で自家熟成をするのは気軽にできることではありません。
「日本酒を寝かせると、当然ながら現金化するのが先延ばしになります。熟成酒に力を入れている酒蔵の多くがそうであるように、お酒を熟成させるには資金繰りが大変なんです。しかし、自分のお店を持った今、これは"資産"だと自信を持って言い切ることができますね」
昨年8月にオープンした「えんじゃく、」。お店の成長とともに、じっくりと熟成していく日本酒の味わいに胸が高鳴ります。
最後に、注文を受けてから焼き上げるという名物「飛騨牛ローストビーフ 自家製すだち酢とオニオンソース」(1,800円)をいただきました。飛騨牛は、肉卸業を営む親戚から仕入れているそうです。
甘酸っぱく香ばしいオニオンソースを添えていただくと、噛み締めた瞬間に肉汁があふれ、極上の香味と旨味が口の中いっぱいに広がります。
こちらの料理に合わせたのは「冨田 20BY」(諏訪酒造/鳥取県)。熟成酒ならではの香ばしさ、キャラメルのようなほろ苦さ、じわりと舌に広がる甘味。10年という歳月を経たお酒は、角がすべて削ぎ落とされ、とてもまろやかな口当たりです。
飴色のオニオンソースは、香ばしい熟成香と相性抜群。日本酒と肉が口の中で出会い、旨味のパレードが続きます。
"お燗の魔術師"は、どうやって誕生したのか?
"お燗の魔術師"として知られている高木さん。どのような経緯で、日本酒の世界に飛び込んだのでしょうか?
「もともとは、日本酒が好きなただのサラリーマンでした。大学生のころに、近所の酒屋でアルバイトしていたことをきっかけに日本酒が好きになり、社会人になってからもよく日本酒を飲んでいました。燗酒と出会ったのは、29歳のとき。とある料理店で、金目鯛の蕪蒸しに合わせて、天遊琳の燗を飲み、あまりの美味しさに衝撃を受けました。でも、それですぐに燗の世界へ飛び込んだわけではないんです。
30歳のときに会社を退職して、岐阜県にある実家で、家業である肉卸の会社を手伝ったあと『好きなことを仕事にしよう』と、再び東京へ戻ってきて、酒屋や飲食店で修行しました。もともと理系ということもあって、ハマりやすい性格なので、燗のことを徹底的に追求していました。
37歳のときに『うつらうつら』という店で燗番をしていたころ、いつの間にか"お燗の魔術師"と呼ばれるようになっていました。最初は抵抗がありましたが、今では『それで覚えてもらえるなら』と、開き直っています(笑)」
若く見える高木さんですが、今年でなんと40歳。大学生のころから日本酒に慣れ親しんできたということで、日本酒歴はおよそ20年。かなりのベテランです。
ちなみに「えんじゃく、」という店名には、どんな思いが込められているのでしょうか?
「えんじゃくは漢字で『燕雀』と書きます。『ツバメや雀のような、小さな鳥』という意味です。転じて『小さいもの』『未熟者』という意味もあります。"自分はまだまだ未熟者"という戒めと、"鳥のようにこれから羽ばたいていくぞ"という希望を込めて、この店名にしました。末尾の『、』は、画数の都合もありますが、成長途中という意味も込めて、句点『。』ではなく読点『、』をつけました」と、高木さん。しかし、この話にはまだ続きがありました。
「今のが表向きな理由なんですが、実は『竹雀』の大塚酒造と地元が近く、蔵元も同世代なのでとても仲が良いんです。それで、店名に『雀』の文字を入れたかったんですよ」
そう微笑みながら、燗をつけてくれる高木さん。いちばんの魔術は、日本酒への深い愛情なのかもしれません。
◎店舗情報「えんじゃく、」
- 住所:東京都世田谷区池尻3-19-3 ベルエアー 2F
- 電話番号:03-6805-4070
- 営業時間:18:00~24:00
- 定休日:不定休
- 席数:カウンター13席
(文/真野遥)