兵庫県の中東部に位置する篠山市は、数多くの名杜氏を輩出した聖地のような場所です。

『〽︎丹波篠山 山家の猿が 花のお江戸で 芝居する』という一説で知られるのは、2015年に日本遺産として認定された「デカンショ節」。「デカンショ」の語源はいくつかあり、そのひとつは「出稼ぎしましょ」が短縮されたのではないかという説です。造り酒屋への出稼ぎは、江戸時代から始まりました。

「丹波杜氏酒造り唄保存会」のみなさん

今回は、"丹波杜氏のふるさと"とも呼べる篠山市について紹介します。

秦氏に由来する、丹波杜氏の始まり

山城国(現在の京都府南部)の一帯に勢力をもち、平安京の建設に深く関わった秦氏は、酒造りの神様として日本各地に松尾神社を分霊しました。篠山市の南西に位置する松尾山の一帯に移り住んだ秦氏の子孫が、丹波杜氏の源流と考えられています。

丹波杜氏記念館の展示物

以来、丹波杜氏は松尾神社と深い縁をもち、灘へ出稼ぎに行く道中や、明治時代になってから全国の酒蔵に指導を求められて出向いた際に、松尾信仰を広めていったといわれています。

山口の熊毛杜氏や愛媛県の越智杜氏、兵庫県姫路市飾磨地区の播州杜氏などと同じように、酒造りに深く携わってきた地元住民の末裔が杜氏集団となって、近代まで続いてきたのです。

日本各地に広がった丹波流

篠山市の中心にある篠山城。天守閣は残されていませんが、慶長14年(1609年)に建てられた大書院にある展示物などから、当時の様子を読み取ることができます。

篠山城城跡

寛延元年(1704年)から明治時代にかけて、青山氏がこの地を治めていました。江戸幕府の要職を務めた第4代藩主・青山忠裕は黒豆の生産を奨励。その煮汁の効用に着目し、「黒豆の煮汁を飲むと咳が止まる」というキャッチコピーをつくって、黒豆のブランドを高めました。

丹波篠山名産の黒豆

黒豆のブランドとして名高い「波部黒」の発祥である篠山市日置地区は、旬の季節になると多くの観光客でにぎわい、街道のあちこちで、農家自身による黒豆の路上販売が行なわれます。

後川稲荷神社の境内

篠山市から大阪方面へ向かうと、丹波杜氏が伊丹や池田などの酒造地へ行くために通った道が続いていきます。途中にある後川稲荷神社は、古くから摂津と丹波を繋ぐ交通の要衡だったため、行き交う商人の参詣でたいへんににぎわったのだそう。

丹波杜氏もこの神社に必ず立ち寄ったようで、きっと道中と造りの無事を祈ったのでしょう。

灘で名を馳せた丹波杜氏がさらにその名を高めたのは、明治に入ってからです。

大蔵省の醸造試験所が設立されたのが、明治37年(1904年)。当時の醸造技術は未熟とされていたため、酒造技術の最先端を誇った灘での酒造りを担う丹波杜氏による、直接の指導を嘱望する声が強く上がったのでした。

丹波杜氏史

『丹波杜氏史』によれば、明治35年(1902年)から明治44年(1911年)にかけて、64人の講師が中国・四国地方を中心に巡回したようです。関東や北陸、そして九州にまで赴いた記録が残っています。

その他、日本の化学を世界に轟かせた高峰譲吉博士の助手として大きな功績を残した藤木幸助氏を輩出するなど、当時の近代化に大きく貢献しました。

昔の酒造りを伝える記念館

篠山城から歩いて数分のところに、丹波杜氏酒造記念館があります。この施設では、4~10月の間のみ、各酒蔵で活躍している現役杜氏が館内をガイドし、時には酒造り唄を披露してくれるのです。

丹波杜氏記念館の展示物

ガイドを務める各杜氏の所属は以下のとおりです。

鳳鳴酒造の中川杜氏

取材で訪れた日に案内してくれたのは、丹波杜氏組合の会長・中川博基氏。地元・篠山市にある鳳鳴酒造の杜氏を30年近く務め、酒造歴は60年にも及びますが、今も現役で活躍しています。酒造りの説明だけでなく、酒蔵での生活や当時の思い出など、実体験に基づいた興味深い話を聞くことができました。

若いころは、他の丹波杜氏と同じように、灘で修行をしたのだそう。しかし、たくさんの出稼ぎ人が努めている灘の酒蔵では、なかなか杜氏のポストに就くことができませんでした。そんなときに、地元・篠山市で杜氏をやらないかという話がまわってきたのだとか。

かつて、丹波杜氏の間では「灘で杜氏になることこそ本懐」という空気もありました。しかし現在、灘にある大きな酒蔵では定年制が導入され、酒造りを長く続けることができなくなったり、杜氏そのものの権限が薄れていたりするのが現状です。「それに比べると、この歳でまだ杜氏として風を切っていられるので、良かったなと思っていますよ」と、笑顔で話してくれました。

丹波杜氏記念館での酒造り唄の実演

訪れた方々も、中川氏の話に聞き入っていた様子。酒造り唄の実演が始まると、館内にその歌声が響き渡りました。

篠山のおみやげに、音楽で醸された日本酒を

丹波杜氏記念館では、残念ながら日本酒の販売を行なっていません。しかし、中川氏が杜氏を務める鳳鳴酒造の直売店「ほろ酔い城下蔵」が、記念館から歩いて2分ほどのところにあります。寛政9年(1797年)に創業した当時の面影を残す酒蔵の見学と試飲を行なうことができました。

鳳鳴酒造の直売店「ほろ酔い城下蔵」

中川氏のおすすめは、音楽振動醸造法によって醸された「夢の扉」です。

音楽振動醸造法によって醸された鳳鳴酒造の「夢の扉」

仕込みタンクに特殊なスピーカーを取り付けて、四六時中、酵母に音楽を聴かせながら発酵を促した一品。音楽を聴かせることで、アミノ酸の生成が抑えられ、味がまろやかになるという実験データがあるのだとか。

聴かせる音楽はベートーヴェン、モーツァルト、デカンショ節の3種類。それぞれの曲が、タイプの異なるお酒のタンクにセットされています。さらに、巡回している中川氏の酒造り唄が加わっているかもしれませんね。

音楽を聴いて育った酵母で醸すお酒を堪能しに、杜氏の里へ遊びに行ってみませんか。

(文/湊洋志)

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