米や麦などからお酒を造る場合、でんぷんを糖に分解する麹菌が欠かせません。一般的に日本酒には黄麹が、焼酎には白麹、泡盛には黒麹が使用されていますが、近年、意欲的な日本酒蔵が白麹を造りの一部に採用して、新しい味わいに挑戦するケースが増えています。
そんななか、多くの酒蔵が数ある商品のひとつとして白麹のお酒を造っているのに対して、3年前に酒母の仕込みに使う麹をすべて白麹に切り替えた酒蔵があります。
それが、青森県八戸市で「陸奥八仙」と「陸奥男山」を醸している八戸酒造です。全国初となる試みを決断した背景について、杜氏の駒井伸介さんに伺いました。
「教わっていない」からこそできる、合理的な酒造り
八戸酒造の杜氏・常務を務める駒井伸介さんは、現在37歳。専務である兄の秀介さんが家業を継ぐものと思っていたため、大学では経営学を学び、卒業後は大手食品メーカーに入社し、営業として働いていました。
「お酒を飲むのが好きでしたし、飲食店を回る仕事は楽しかった。蔵に戻るつもりはありませんでした」と、伸介さんは当時を振り返ります。
兄の秀介さんは2002年に蔵に戻り、営業を担当していましたが、造りは社員の南部杜氏に任せるという昔ながらのスタイルでした。しかし、社長である庄三郎さんは製造部門の抜本的な改革が必要と感じ、伸介さんに「蔵に戻ってきて、製造を担当してほしい」と連絡したのだそう。
そのとき、伸介さんは蔵に戻ることをすんなり決めたといいます。
「醸造の勉強はまったくしていませんでしたが、小さいころは蔵が遊び場でした。杜氏や蔵人にも可愛がってもらい、遊び感覚で麹室の作業や仕込みも手伝っていたので、酒造りに対して抵抗はなかったんです。会社の経営も大変な時期で、人手も足りていなかった。家業を存続させるため、八戸に帰ることにしました」
当初は、ほかの蔵での修行や、酒類総合研究所などの研究機関で研修を予定していました。しかし、そんな余裕はなく、すぐに蔵に戻り、南部杜氏の下で酒造りを学ぶことに。2008年の年末に入社し、2009年からは造りに入りました。
結果的に、このスピード感が八戸酒造に酒質改革をもたらしました。伝統的な酒造りを教わっていないことで、かえって先入観なしに作業をひとつひとつ吟味することができたのです。大手企業の営業部門に勤めていたことで、「意味のあることはやるけど、無駄なことはしない」という合理的な思考も磨かれていました。
しかし、最低限の人数で作業を行う毎日。伸介さんと杜氏を含めた4人で、冬場は休みを返上して半年以上働き詰めだったといいます。
「来る日も来る日も膨大な作業が待っていて、さすがにしんどかった。私は家業だから我慢できるものの、社員たちは続かないと思いましたね。そこで、機械に任せられるところは機械化して、『その作業が本当に必要なのか』『もっと別のやり方があるのではないか』と、作業工程を見直すことにしたんです」
麹造りは夜間作業をしなくて済むようにして、小仕込みにし過ぎることなく、タンク1本あたりの製造量を増やすことに。さらに、普通酒から大吟醸酒までの造りを統一することで蔵人の負担を減らし、衛生管理も強化しました。
こうして、看板商品「陸奥八仙」の酒質はだんだんと向上。評判も上がっていきました。
黄麹ではなく、白麹で酒母を造る
2013年から杜氏を務めることになった伸介さん。ある日、清酒用の黄麹ではなく、焼酎の製造に使う白麹で日本酒を造っている蔵の話を聞きます。
白麹はでんぷんを糖に分解する糖化酵素だけでなく、増殖の過程でクエン酸を大量に生成します。そのため、できあがった麹米を食べてみると、黄麹が栗のような香りがする甘い味わいなのに対して、白麹はレモンのように酸っぱいのです。
黄麹で酒母を造るとき、雑菌の繁殖を抑えて健全に酵母を増殖させるため、一般的には人工の乳酸を投入して強酸環境にする速醸酛を採用します。しかし、白麹で酒母を造ると乳酸を入れなくても強酸環境が作れると聞いた伸介さんは、合理的でシンプルな酒造りをするため、さっそく白麹を注文しました。
初めて蒸し米に白麹を振りかけたときのことを、伸介さんは次のように振り返ります。
「黄麹は黄緑色なのに対して、白麹は茶色なんです。振りかけてみると落下のスピードが速く、菌が付着した米には茶色い斑点がつき、いつもとは全然違う。とても違和感がありました。
製麴はほかの蔵の情報を参考にして、やや高めの温度で増殖させ、クエン酸がたくさん造られるようにしました。もし失敗してクエン酸が少なくても、酒母造りの段階でこれまで通りに乳酸を加えればいいと考え、軽い気持ちで始めたんです。結果として、最初からしっかりとクエン酸を出せて、ねらい通りの白麹ができました」
こうして完成した白麹の麹米を使って、酒母造りを始めました。すると、1本目から乳酸を投入する以上の酸度となり、酵母は健全に発酵して、黄麹で造ったときと遜色ない酒母ができあがったのだそう。この酒母で仕込んだお酒も、これまでの酒質とほとんど変わりませんでした。
「速醸酛で乳酸を入れるタイミングや量を間違えることはほとんどないが、それでも白麹で酒母を造ればそのリスクも消える。しかも乳酸を買う必要がなくなるから、コスト削減にもなる」と考えた伸介さん。2年間のテスト期間を経て、平成28BYからすべての酒母を白麹で造っています。
「どれを飲んでもおいしい酒」を目指して
取引をしている特約店にも知らせることなく酒母の造り方を変えたものの、酒質に対しての問い合わせは1件もなかったそう。
また、酒母用の白麹と段仕込み用の黄麹を麹室に混在させるわけにはいかないので、仕込み8本分ほどの白麹をまとめて造って冷凍保存し、その後に仕込み1本分ずつ黄麹を造っています。
さらに、すべての酒母を高温糖化酒母にしたおかげで育成期間は数日になり、酒母タンクをいくつも並べる必要がなくなりました。現在、仕込み蔵の一角にタンクが1本置かれているだけで、酒母室はありません。
「『陸奥八仙』は甘口や辛口、フルーティーなものなど様々なタイプがあるので、みなさんの好きな1本を見つけてほしいですね。そのために、なるべくわかりやすい酒質設計にして、『どれを飲んでもおいしい』と言ってもらえるよう、日々努力しています。効率と品質、そして再現性をこれからも突き詰めていきます」と話す伸介さん。
しかし、これは「挑戦しない」という意味ではありません。新しいことにはどんどん取り組んでいく方針で、1%しか米を磨かない「精米歩合99%」のお酒や、ワイン酵母やビール酵母を使った新しいタイプのお酒にも挑戦しています。
常に新しい発想で酒造りに邁進する八戸酒造。今後も目が離せない存在となりそうです。
(取材・文/空太郎)