岩手県の中部に位置する紫波町(しわちょう)は、南部杜氏発祥の地として知られています。1678年、近江商人・村井権兵衛(むらい ごんべい)氏が紫波町志和地区で酒造りを開始したあと、技術が南部に広まり、ここ紫波で南部杜氏の基礎がつくられました。

朝晩、夏冬の寒暖差がある盆地で、寒さが自然の冷却装置となり美味しいお酒を造ります。また、北上川流域にあり、米作りやフルーツ栽培も盛んです。

全量酸基醴酛を採用する廣田酒造店の外観写真

廣田酒造店の創業は明治36年(1903年)。初代・廣田喜平治(ひろた きへいじ)氏が蔵を譲り受け、紫波町で酒造りを始めました。代表銘柄は「廣喜(ひろき)」で、創業者の名前「喜平治」を冠した商品も製造されています。

「岩手の味」を生み出す米と水

廣田酒造店の銘柄ラインナップ

米どころの酒蔵として、酒造りに使用しているお米はすべて岩手の風土や水に合う岩手県産米が使われています。やわらかく、旨みのしっかりとした味が特徴です。大吟醸は、自社の隣にある田んぼで育てられている岩手県の最上級米「結の香(ゆいのか)」を使用。その他「吟ぎんが」「ぎんおとめ」、食用米の「ひとめぼれ」「銀河のしずく」などのお米も使われています。

水は、東根山(あずまねさん)の伏流水。くせがなくやわらかい水で、お酒にしてもスッキリした味わいになるのが特徴です。東根山の中腹には、湧き水で有名な水分(みずわけ)神社があり、 周囲を杉に囲まれた神社境内からは良質な水が湧きだしています。

おいしい水、米、適度な寒さが、「廣喜」の口当たりの優しさにつながっているのです。

造りを仕切るのは、初の女性南部杜氏

廣田酒造店の杜氏を務める小野裕美さん

廣田酒造店で酒造りを担っているのが、南部杜氏初の女性杜氏である小野裕美さんです。実家は味噌と醤油の醸造元ということもあり、雰囲気を同じくする酒造りに興味をもちました。東京農大醸造学科で醸造について学び、他の酒造会社に入社。その後、すべての行程に携わることができるこの蔵に転職しました。

「大変なことと、楽しいことも含めて、のびのびと活動している微生物と一緒になっておいしい酒を造ることができた時、達成感を感じます」と小野さんは話してくれました。また、廣田酒造店はアットホームな雰囲気でチャレンジもしやすいといいます。

風呂田酒造店に新設した麹室

お米の甘みを表現したい 全量を「酸基醴酛」に切り替えたきっかけ

29BYより「廣喜ブランド」は全量「酸基醴酛(さんきあまざけもと)」造りを採用しています。

「酸基醴酛」は江戸時代から伝わっている生酛系の造りの一種。高温の仕込み水で糖化した蒸米に、それぞれの酒の個性に合わせて選んだ乳酸菌を添加し、酒母を立てます。味わいに幅と奥行きがある、燗酒向きの酒ができると言われています。

「米の旨みをどう表現するのか? 米や東根山のいい水の味わいをしっかりと出すためにどうすればよいか?」と小野さんが考えていた時に出会ったのが「酸基醴酛」でした。小野さんはこの製法に出会った当時のことを、以下のように振り返ります。

佐瀬式の圧搾機の写真

「米の旨みの原点は生酛にあると思います。米の旨みを引き出す酒造りをするなら、やはり生酛だろうと考えたのです。しかし設備と人を考えると、全量生酛で造るのは困難でした。そんな悩みをかかえていたとき、醸造家仲間から江戸末期の古文書に記録のある『酸基醴酛』のことを聞きました。

酸基醴酛は確かに生酛なのですが、昔ながらの生酛と違い、酒母の完成までの日数が桁違いに早く、労力も軽減できる造りとのことでした。ただし乳酸菌を培養する環境が必要ということがわかり、県の技術センターに相談したところ、全面的に協力いただけることになりました」

「乳酸菌を選べること、乳酸菌によって味も香りも違うことなど、その様々な特徴が、“冷やでおにぎり、燗で炊き立てのご飯の旨み”を目指す廣喜の酒と合っていたので”酸基醴酛”を採用しました。これからもこの造りをもっと極め、微生物を自由に操れるようになりたいですね」

全量、酸基醴酛を採用している廣田酒造店の外観

「酸基醴酛を極める」という目標をもちながら、小野さんは日夜酒造りに励んでいます。

さらに「いつものお食事と共に楽しめるお酒。食事がおいしくてついつい進んでしまう、お酒もついつい飲んでしまう、楽しかった、と言ってもらえるお酒造りをしていきたい」と小野さんは言います。

廣田酒造店は、水と自社の乳酸菌による酒造りを武器に、試行錯誤をしながら蔵の職人たちとともに「全量酸基醴酛」という新たな酒造りに挑戦しています。「酸基醴酛」で醸したうまみいっぱいでコクのあるお酒を、常温で、お燗で、ゆっくりと味わってみてください。

(文/子星)

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