偶然飲んだ日本酒の美味しさに惚れ、その酒を造る蔵元に会ったところ、思いが一致して意気投合し、それまでの仕事を辞めて蔵の経営を引き継ぎ、43歳にして蔵元になった人がいます。
矢澤酒造店(福島県)の社長・矢澤真裕さんです。いくつもの偶然が重なって蔵元になった、その経緯を伺いました。
小料理屋で偶然出会った日本酒
矢澤さんが日本酒を好きになったきっかけは、20歳の時に見たドラマ『夏子の酒』でした。試しに飲んだ日本酒の美味しさに感動し、以来ずっと、和食といっしょに日本酒を楽しんでいたそうです。
そんな矢澤さんの運命が大きく変わったのは、2016年の春でした。矢澤さんは当時を次のように振り返ります。
「40歳になって、個性的な飲食店が並ぶ荒木町(新宿区)に行きつけの店をもちたいと思ったんです。しかし、敷居の高そうな店が多いことも事実で、吟味を重ねた末に選んだのが小料理屋『おろく』でした。
カウンターだけの小さな店ですが、女将に歓迎されたこともあって心地良さを感じていました。店には数種類の日本酒が置いてありましたが、そのなかに、日本酒に詳しい私でも初めて見る銘柄がありました。
それが、福島県の藤井酒造店(当時)が醸す『南郷(なんごう)』の純米酒でした。口にした瞬間に『なんだこれは!』と衝撃が走りました。豊かな米の旨味がパッと広がるのにサっと切れて、余韻は最小限。旨味たっぷりでいながら切れ味が抜群の味わいに、心が震えました」
矢澤さんは気に入った店ができると、短期間に足繁く訪問することにしているそうで、「おろく」にも毎週のように訪れたといいます。そのたびに南郷を味わい、「最高!」と声高に叫んでいたそうです。それを見た女将から「蔵元の義弟さんがうちの常連なので、紹介しましょう」と言われました。
顔を合わせて話に花が咲くと「義兄と3人で会いませんか」と提案されました。矢澤さんは「気に入った日本酒を造っている蔵元に会えるのは望外の喜び」と、快諾しました。
「南郷」を守りたい
この時、矢澤さんは思いもかけない話へと誘い込まれていました。実は、藤井酒造店の蔵元・藤井健一郎さんが蔵を引き継ぐ人を探していたのです。藤井さんは、当時を次のように振り返ります。
「地元向けの日本酒を中心としている酒蔵の多くが、地方の人口減少と高齢化によって、どんどん売上を落としています。うちは地元・矢祭町のファンに支えられ、他の酒蔵よりは落ち込みが小さかったのですが、ここ数年はそのテンポが速くなってきました。
息子はいるものの『これから日本酒のことを学ばせて、時間をかけて立て直す』なんて悠長なことは言っていられない。藤井家じゃなくてもいいから、この南郷を守りたいと思いました。そんな矢先、義弟から矢澤さんの存在を聞き、有力候補者かもしれないと感じたんです」
そして、同年5月に3人が顔を合わせました。矢澤さんは南郷のどこに惚れたのか、熱く語ったのだとか。それを受けて、藤井さんはどのような酒造りをしているかを話し、次第に意気投合していきました。「日本酒に対する考え方、これからの地酒のあるべき姿......すべての面で藤井さんと一致しました」と、矢澤さんは話します。
懇親の末、藤井さんは「そんなに日本酒が好きなら、自分で造ってみたらどうですか?」と切り出します。「やりたいのは山々ですが、製造免許は簡単に取れるものではありません」と矢澤さんが返すと、「うちの蔵を引き継いで、矢澤さんが南郷を造るのはどうでしょうか」と、本題を持ちかけました。
それまでの仕事を辞めて蔵元になることは勇気が必要ですが、矢澤さんの南郷に対する愛はそのハードルを乗り越えました。
蔵元としてのスタート
その後はとんとん拍子で話が進みました。その年の12月、藤井酒造店は矢澤酒造店に商号を変更し、経営権も藤井さんから矢澤さんへ移行。南郷に出会ってからわずか8ヶ月、43歳にして蔵元になりました。
藤井さんは、取締役顧問として関わることになりました。「自分も南郷ファンのひとり。旨味があって切れの良い酒質に磨きをかけても、それを変えることはありません」と、矢澤さんは話します。矢祭町以外での販売を加速するため、大都市圏で売れるような新製品の投入も進めています。
「日本酒を長く好きな人ほど、南郷の魅力がわかると確信しています。しかし、ビギナー向けのラインナップも必要。両方に目を配り、蔵の存続にも尽力していきたいです」と、意欲を見せています。
造りの期間は蔵の近くにある旅館で寝泊りし、造りが終われば、全国を回って南郷の魅力をアピールする。「自分の大好きな南郷のためですから、どんな苦労も厭わないです。これからも全力で走り続けます」と話す矢澤さん。今後の期待が高まります。
(取材・文/空太郎)