新型コロナウイルス感染症の拡大によって、飲食店の営業時間の短縮や酒類提供の中止が続いている状況に対して、「獺祭」を造る山口県の旭酒造は、2021年5月24日付の日本経済新聞(以下、日経新聞)の朝刊に、意見広告「飲食店を守ることも 日本の『いのち』を守ること」を出しました。

今回の意見広告の意図や、私たち一人ひとりが今すべきことについて、旭酒造の桜井一宏社長に話をうかがいました。

「現状を考え直すきっかけをつくりたい」

2020年4月に緊急事態宣言が発令されて以来、1年以上にわたり厳しい営業制限に直面している日本国内の飲食店。

5月24日に日経新聞に掲載された旭酒造の意見広告は、現在の感染症対策に疑義を呈し、飲食店を守ることも「いのちを守る」という点で重要性に変わりはないという考えを示すものでした。公式ホームページにはその全文が公開され、PDFや画像データをダウンロードすることが可能です。

獺祭 意見広告

「現在の営業制限が合理的で感染症対策に本当に効果があるのであれば良いのですが、感染経路別患者数のパーセンテージにおいて、飲食店は最下位のわずか2.9%(※)である一方、営業制限によって苦しんでいる人たちがあまりにも多い。

さらに、闇営業や路上での飲酒を助長してしまっている側面もあります。本当に現状の感染対策で良いのかどうか、もう一度考えるきっかけをつくりたいと思い、今回の意見広告を出しました」

(※)出典:兵庫県「新型コロナウィルス感染症患者の発生状況」より

旭酒造の代表取締役社長・桜井一宏さん

旭酒造の代表取締役社長・桜井一宏さん

意見広告の仕掛け人である旭酒造・桜井一宏社長は、「私たちはなにも、飲食店が大切だからえこひいきしろとか、酒類業界の利益のために感染症対策を緩和しろなどと言っているわけではありません」と続けます。

「飲食店の営業と感染症対策、すなわち経済と医療を両立できる方法があるかもしれない。それを、みなさんで考えてみましょうというメッセージです。

新型コロナウイルスに関する議論は、『マスコミがいけない』『政府がいけない』『医師会がいけない』と、誰かを責める論調になってしまいがちですが、それは違います。前例のないことが起こっているので、みんなで考えて、知恵を持ち寄る必要があるんです。この意見広告がそうした新しい動きにつながることを、私たちは信じています」

多くの反響を集めた今回の意見広告。同じような考えを持つ人がたくさんいたにも関わらず、誰も言い出せずにいたことを、旭酒造が代弁したとも言えます。同社がこのように声を上げることができたのはなぜなのでしょうか。

「意見広告の中では『日本人的美徳なのか、飲食店から公には反発が少ないのが現状です』と書きましたが、制限を受けている立場、さらに協力金をもらっている立場からは言いづらいことがあります。また、飲食業界の中でも協力金が足りているところと足りていないところの分断が起こっており、団結して声を上げづらいのだろうと感じていました。

私たちは飲食店と利害関係にあるとはいえ、当事者ではありません。しかし、飲食店のビジネスがもっともよく見える立場にいます。飲食業界が声をあげるきっかけをつくるために、私たちができることをやりたいと思ったのです」

現場の声を聞き、街の現状を見て、意見広告の掲載を決意

意見広告のアイディアを思いついたのは、ゴールデンウィークに入る少し前のこと。栃木県産の山田錦で造った「ご当地獺祭」の発売に際し、試飲会のために現地を訪れたときのことでした。

旭酒造の山田錦

旭酒造では、需要が落ち込んでいる原料米「山田錦」を食べて応援するべく、全国の獺祭取扱店で販売している。

「農家さんは、昨年の稲刈りの時期までは、前年に収穫したものを売りながら米を育てている最中だったので、本格的なコロナ禍の影響を実感していなかったそうです。ところが、昨年の年末ごろから急に『来年分の米はいらない』というような話が舞い込んできたといいます」

そのあと、仕事の関係で東京へ立ち寄った桜井社長は、「街の火が消えたような印象」を受けたと話します。

「緊急事態宣言の影響もあり、東京へ行くのは2~3週間ぶりでしたが、街全体が疲弊していると感じました。それ以前から、社内で『飲食店に対してできることはないか』という話題は上がっていたのですが、実際に当事者の話を聞き、現場を見たことがつながって、意見広告を出そうという考えにたどり着きました」

飲食店で獺祭が提供されている様子

意見広告が掲載されたのは、ちょうど緊急事態宣言の期間が6月下旬まで延長されるかどうかの議論が話題になっていたころですが、特にこの時期に合わせる意図はなく、「遅くなるほど状況は変えにくくなるとわかっていました。もっとも早く世に出せるタイミングが5月24日だったのです」と説明します。

「飲食店や医療従事者が大変という感情面に引っ張られてしまうのではなく、経済面から冷静に捉える視線が必要だと考えて、掲載紙は経済活動に携わる読者が多い日経新聞を選びました。

私たちは山口県という地方に住んでいるのでよくわかりますが、実は地方の飲食店も東京などの大都市と同じような状況に直面しています。これは、本社が東京にある企業の場合、その地域の感染状況に関係なく目に見えない自粛圧力がかかります。それにつられてか、全体に飲みに行きにくい雰囲気が漂ってしまうのです。

結果的に自粛を強いられてしまうにもかかわらず、こうした飲食店は、緊急事態宣言の対象エリアではないために協力金をもらうことができません。日経新聞は企業のリーダーの方々が多く読んでいるので、そうした問題に目を向けていただけることも期待しています」

「ローカル経済」が支える日本の食文化

桜井社長は、ひと口に「飲食店」といっても、そこに関わる人々が多岐にわたることを問題視しています。

「農業や漁業の生産者、卸売業や酒販店といった納入業者や物流業者など、飲食店に関わるあらゆる業種がどんどん疲弊していっています。飲食店が廃業することで連鎖倒産が起こる可能性もあるでしょう。

また、飲食店で働いているアルバイト、パート、社員のみなさんも、リストラに遭い、仕事を変えることを余儀なくされています。飲食店は関わる人間や業種が多く、その影響の大きさは計り知れません」

意見広告の中では、『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』(冨山和彦・田原総一朗共著/角川新書)の一節を引用しながら、「ローカル経済圏」という言葉を用いて、街における飲食店の重要性を説いています。この「ローカル経済圏」とは、具体的にどのようなことを指すのでしょうか。

「ローカル経済圏とは、首都圏に対する『地方』を指しているわけではなく、その地域に密着した経済圏を意味しています。首都圏でも、たとえば有楽町だったら有楽町、八王子だったら八王子といった特定の地域ごとのローカル経済圏が存在します。

飲食店があるかどうかで、その地域に対する満足度や住民の定着率が変わってきます。気に入った飲食店があるからとその地域に住んでいる人たちは当然いますし、その周辺にある小売店や、地域密着型のイベント業、観光業などが合わさって、地場に密着した経済圏を形成しています。それらすべての人々が疲弊していっているのが現在の状況なのです」

飲食店で獺祭が提供されている様子

桜井社長は、飲食店の危機により、日本の食文化が停滞する可能性も指摘します。

「『飲食店は一度閉店しても、またオープンできる』という意見もありますが、大きな資本のあるところはまだしも、ご夫婦二人や個人でやっているお店がもう一度立ち上がるというのはハードルが高いことです。

その地域の食文化とは、そこで暮らす人々の価値観や思いをもとにできあがってきた象徴的な部分が大きいので、新しいお店ができても、その文化もいっしょに引き継げるかというと難しい。これまで日本は食を通じて自国の文化を世界に発信してきましたが、その優れた点がリセットされたり、パワーダウンしたりすることが起こりえます」

質が高くリーズナブルで、世界からも高く評価される日本の外食産業は、トップダウンによって生まれたものではなく、個々の飲食店やお客さんという街場のコミュニティがつくってきた文化。それが、このコロナ禍で壊されようとしています。

コロナ禍で日本酒業界に起きた変化

コロナ禍で海外輸出を大きく伸ばしている旭酒造ですが、飲食店での酒類の提供制限により、日本国内の売上は低下しているといいます。

しかし、「あまりそのことを言ってもしょうがないと思っています。飲食店さんのほうが大変ですし、お酒は嗜好品ですから、無理に飲めと要求できるものでもありません」と冷静な桜井社長。日本酒業界にとって飲食店は「お客さんにお酒の魅力を伝える窓口」になっていたと分析します。

「これまでは、『飲食店で飲んでおいしかったお酒を自分でも買ってみよう』という流れがありました。飲食店が、日本酒の多様性を支えてくれていたんです。いま、その流れがなくなりつつあります。

コロナ禍の中でクラフトビールやワインの需要は伸びましたが、日本酒や本格焼酎の売上は低下したというレポートがあります。日本酒に『家飲み』のイメージがないというのは、業界にとって耳の痛い現実です。それがわかったというのは大きいですよね」

桜井社長は、そうした今回の影響を「必ずしも悪いことではない」と前向きに受け止めています。

「飲食店の需要に過剰なまでに適応しようとした結果、日本酒業界で少量多品種の商品開発の流れが加速しすぎた部分があると思っています。本来、すべての酒蔵がこの風潮に対応できる技術力があるとは限りません。また、バリエーションが多すぎるがゆえにレギュラー商品の魅力がお客さんに伝わりにくく、酒蔵もその需要を掘り起こしづらいという関係になっています。

飲食店に頼りすぎていたことを自覚し、個人のお客さんに飲んでもらうにはどうしたらよいのか、どうすれば入り口をつくれるかということを、酒蔵と酒販店が改めて考えていく。それは、コロナ禍がもたらした大きな課題だと思っています」

みんなで乗り越えるために知恵を出し合う

多くの人が言い出せずにいたことを、日本酒業界だけではなく社会全体を代表し、はっきりと明言した旭酒造。この意見広告によって勇気を与えられた人は少なくないはずです。今後、私たちが具体的に取り組んでいくべきことはどのようなことなのでしょうか。

旭酒造の代表取締役社長・桜井一宏さん

「新型コロナウイルスとは、私たちがともに乗り越えていくべき新たな壁です。現在は、感染症対策と飲食店の営業が『ゼロか、100か』になってしまっています。感染症対策は必要ですが、そのために飲食店だけが営業を自粛すれば良いのかと言われればそうではない。逆に、飲食店が営業すると感染症対策ができなくなるというものでもありません。

感染を防ぎたい人たちも、飲食を通じて経済を回したい人たちも、本来は同じ方向を見ているはずなのに、話し合うことができないままボタンの掛け違いが大きくなってしまっています。飲食と医療の戦いになってしまうようなことは、誰も求めていませんし、誰にとってもメリットがありません。どちらか一方を苦しめるのではなく、ともに立ち向かっていくべきものなのです」

なんとなくわだかまりを抱えながらも、自分たちの都合を優先するか、すべてを我慢するかという選択を強いられている現在の状況に対し、桜井社長は「みんながモヤモヤとしていることを声に出し、すり合わせるということが大切です。今回の意見広告をきっかけに、良い方法をみんなで探していきましょう」と促します。

「意見広告を読んだ飲食関係の方々から、『自分たちがいま戦っていることが少し報われた気がした』というメッセージをいただきました。応援のメッセージがありがたいという話はよく聞きますが、批判に対して応援の声は伝わりにくいものです。お客さんという立場から、自分のすぐ近くで、応援の声を伝える努力をするだけでもまったく違うと思います。

また、意見広告にも書きましたが、コロナ禍の最前線にいるのは医療関係者のみなさんです。彼らへの敬意と感謝も決して忘れてはいけません。経済と医療への思いを両立しながら、冷静に考えていくということが必要なんです」

「意見広告はきっかけです。私たち自身も、この状況を変えていく取り組みを考えなければいけません」と語る桜井社長。現在、旭酒造では、6月26日に開催するファンとの交流イベント「獺祭の会」実施のために動き始めています。

「獺祭の会」の様子

コロナ禍の以前に開催された「獺祭の会」の様子

「昨年はほとんどの地域で行うことができなかった『獺祭の会』ですが、私たちも、日常やお客さんとの楽しみを取り戻すために動いていきます。2021年中に開催を予定している会では、参加者同士の間隔を充分に確保するなど、感染症の予防対策には万全を期するつもりです。6月に開催する回は、200人のゲストに対して、グランドプリンスホテル新高輪の2,000人を収容できる会場を借りました。

踏み出さないとわからないことはたくさんあるので、まずは動き出すことが大切です。そうしながら、飲食店やイベント業、観光業などのお手伝いもしていきたいと考えています。私たちの動きを参考にして、次に続いてくれる人たちが現れたら良いですし、続かなければ方向を変えて別の取り組みを行う。その繰り返しです。

感染症対策も経済も、まずは挑戦する。そしてうまく行かなければ引き返し、方向を変えていく。その繰り返しが必要だと思っています」

獺祭 純米大吟醸 夏仕込 しぼりたて

飲食店を守る正義を貫く一方で、日本酒業界の課題は前向きにとらえながら前に進もうとする旭酒造。その意見広告に込められた深い思いに触れた私たちもまた、考え、行動することが求められています。

(取材・文:Saki Kimura/編集:SAKETIMES)

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