近年、日本酒の評価が国内外で高まっている。新しい日本酒の味わいを提案する蔵元に注目が集まり、日本料理のみならず西洋料理とのペアリングを提供する飲食店も登場している。しかし、現状では、ワインのように高価格で取引され、プロダクトが持つ本質以上にバリューを持つ、「ラグジュアリーブランド」としての価値創出には至っていない。
では、日本酒がブランド力を強化していくために、今なにができるのか。モノの価値を高める「ブランディング」の重要性を、日本酒ブランド「SAKE100(サケハンドレッド)」を展開する日本酒スタートアップ・株式会社ClearのCEO生駒龍史と、元エルメス本社副社長であり、現在、日本のものづくり振興のために活動するシーナリーインターナショナル代表の齋藤峰明氏とともに考える。
「日本酒があるから人生が豊かになる」という贅沢さに、世界的な可能性がある
齋藤:40年以上フランスを拠点に生活してきたので、暮らしの中にあったのはワインとウイスキー。実は、日本酒に興味を持ったのは、ここ数年のことなんです。エルメスを退社し、生活の拠点を日本に移してから、「これからは日本酒を楽しもう」と。
エルメスフランス本社前副社長。高校卒業後渡仏し、パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部へ。在学中から三越トラベルで働きはじめ、後に(株)三越のパリ駐在所長に。40歳でエルメス・インターナショナルに入社、エルメスジャポン社長に就任。2008年よりフランス本社副社長を務め、2015年8月に退社。シーナリーインターナショナルを設立、代表に就任。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。エルメスでの仕事を語った本に『エスプリ思考〜エルメス本社副社長、齋藤峰明が語る』(川島蓉子著)がある。
生駒:それは嬉しいですね。僕は、すぐに赤くなるくらいお酒は弱いんですが、日本酒は大好きで(笑)。それで、日本酒の未来をつくることに人生を捧げようと2013年に会社を設立しました。
全国に1400ある酒蔵が、1カ月に平均3社廃業しているというのが日本酒の現状です。日本酒を取り巻く環境はとても厳しい。
そこで、まずは「日本酒における情報流通を変革し、多くの人に魅力を届けよう」と、日本酒に特化したWebメディア「SAKETIMES」を2014年にスタートさせました。
齋藤:「日本酒好き」を増やすところからはじめて、「日本酒ブランド」を世界に広げていこうとしているんですね。
生駒:そのとおりです。普段は日本酒を飲まない人も、どんな酒蔵がどんな思いで造っているのかを知ることで興味が生まれ、「飲んでみようかな」という行動につながりますから。
メディア立ち上げから5年で月間読者数が40万人、SNS上のフォロワーは3.5万人を超え(2019年時点)、英語版は160カ国以上で読まれるほどになりました。「SAKE」が世界に受け入れられる可能性を感じています。
齋藤:ブランドを育ててきた僕の経験から言うと、国によってライフスタイルや習慣の違いがあっても、良いものは絶対に成長していきます。
1970年代後半から80年代にかけて、三越でバイヤーをしていたとき、フランス産のワインやシャンパンを日本に紹介しても「甘くないワインは売れない」と受け入れてもらえなかった。でも、これだけ日本にワインが浸透した状況を見ればわかるように、数年で人々の評価は一変しました。
日本酒も、良いものは必ず世界のマーケットに浸透していくと思いますよ。
生駒:そう言ってもらえると、心強いです。2018年7月に、日本酒ブランド「SAKE100(サケハンドレッド)」を世に送り出したのですが、僕たちは世界の市場を見据えています。
齋藤:「SAKE100」はどんなお酒なんですか。
生駒:僕らの生み出した商品が、100年先の世界でも親しまれる日本酒であってほしい。そんな思いを込めて、「SAKE100」という名前をつけました。
長い歴史の中で連綿と造り続けられてきた日本酒だからこそ、それが可能だと思っています。「おいしい」はもちろん価値ですが、その先にある「心が満たされる」感覚だとか、「SAKE100があるから人生が彩られる」という豊かさを提供するお酒でありたいですね。
齋藤:僕は、外から日本を見てきたからこそ、「日本が世界に提供できるものは何か」をよく考えるんです。今、日本企業のブランディングを手掛けていますが、「外」からの目線だからこそ見えるものがある。
そこで思うのは、日本のよさはもの自体の「機能性の高さや品質」以上に、「古来より持っていたライフスタイル」にあるのではないか、ということです。
現在の世界のライフスタイルは西洋中心です。西洋の考え方は「人間は、神様が創造した万能な存在」であり「自然を利用して発展していく」ということが中心にある。一方、日本の根底にあるのは、自然との共生です。
西洋にはない文化的な側面で、世界に影響を与えられることはたくさんある。日本古来から自然に寄り添ってきた日本酒には、大きな可能性がありますよ。
日本酒が持つ精神性が、新たな「ラグジュアリー」になる
生駒:「SAKE100」の新しい挑戦は、これまで日本酒市場にほとんどなかった高価格帯のマーケットを創造することです。
今の日本酒の価格は「原材料」に対して単一的に決められていますが、本来はワインのように、テロワール(原料を取り巻く環境すべて)や醸造技術、製造年、稀少性、デザイン性など、さまざまな要素が複雑に絡みあって決まるべきもの。
僕らが考え抜いて生み出した日本酒に、数万円という価値に見合った価格をつけることで、日本酒の評価を高めていけるのではないかと考えています。これは、日本酒の「ラグジュアリーブランド化」と言っていいかもしれません。
「ラグジュアリー=豪華絢爛」ではなく、「心を豊かにするもの」と捉えているのですが、斎藤さんは「ラグジュアリー」をどう捉えていらっしゃいますか。
齋藤:「ラグジュアリー」という言葉の難しさは、使われるほどに陳腐化してしまうところにあります。20世紀まで、ラグジュアリーとは、人が持てないものを持つ、人が行けないところに行く「希少性=贅沢」を指していました。
そもそも、「ラグジュアリー」のルーツは宮廷文化にあります。イタリア、フランスなどに高級ブランドが多いのは、そこに宮廷があったからでしょう。
西洋の豊かなライフスタイルへの憧れから始まり、セレブリティへの憧れ、権力を持った人への憧れと変容しながら、「ラグジュアリー」という言葉の意味も変化してきたのではないでしょうか。
生駒:たしかに、今は「ラグジュアリー」が一つのビジネスになっていて、マーケティングの手段になっている。本当に品格のあるものを扱うというより、「お金持ちが求める」ラグジュアリーな生活に寄った、「売れるもの」を扱っている気がします。
齋藤:そうですね。どんなブランドも最初は家族経営の生業でしたが、抗えない時代の流れから、ビジネスへと変容していった。
生駒:ただ、日本酒であれば、在りし日の伝統的なラグジュアリーを目指すことができるとも思っています。高品質な伝統産業という「生業」を支えながらも、世界中の人々の豊かさに寄与する最高級品を届け、ビジネスとしての地位を確立させる。これもまた挑戦です。
齋藤:僕も、日本酒は「日本ならではのラグジュアリー」を提案できると思うんです。今の「ラグジュアリー」は西洋人が作った世界です。その証として、世界のビーチリゾートは画一的で、西洋人が描く「天国」を形にしています。
だから、日本でものを作るとき、西洋の価値観に規定された「ラグジュアリー」を目指すところに間違いがある。それを「豊かさ」と結びつけるのは違うと思っています。
日本酒は自然の恵みである水とお米と麹のみによって、手間をかけて造られています。お酒ができると、生産者はその大いなる自然に感謝の気持ちを込めて神社に奉納しますが、ここには日本人の精神性がよく表れています。
こうしたものづくりにおける精神性こそが、これからのラグジュアリーにふさわしいのではないでしょうか。
生駒:同感です。日本酒の魅力のひとつは、その土地や気候、風土と密接に関わりがあるところです。さらに、お米や水だけでは味は決まらず、もろみの発酵管理や麹の生育の仕方といった醸造技術など複雑な要素が渾然一体となった結集の先に日本酒がある。
土地や造り手のアイデンティティがちゃんと表れているんです。
齋藤:僕が日本酒を飲む最上のシーンを思い描くとき、美しい自然が目に浮かびます。日本酒は「水」ありきですよね。自然の中で一番大切な「水」と、日本人の心象風景に欠かせない「米」に人の手を添えて造られている。
自然が授けてくれたものを、自然を眺め、敬い、感謝しながら飲む。それが日本人の、人間と自然とが対等にあるという精神性がもっとも反映された味わい方じゃないかと思います。
生駒:それは面白いですね。たしかに、日本酒の成分の80%が水で、決定的に土地と紐づいているのが水です。酒蔵さんも「日本酒の味で一番ごまかせないのは水だ」と言います。当たり前に足元にあるものが代替不可能な原材料であるというところに、日本酒と自然との結びつきを感じます。
齋藤:「自然の上に人間がある」という西洋のアイデンティティにはない、「自然からいただく」という日本の価値観が入ることで、世界はより豊かになる。こういった、豊かさを提供するものが、本当の「ラグジュアリー」なんじゃないでしょうか。
「足元にある価値」に気づき、体験価値を向上させる
生駒:ライフスタイルや娯楽が多様化している今、日本酒以外にも楽しめるものがたくさんある。だからこそ、日本酒をただ売るのではなく、文化を作るように体験価値を上げていきたいと考えています。
日本酒の出荷「量」を追うのではなく、限られた時間の中で、最上の体験ができる日本酒とは何か。お客様の時間の「質」を高めることに貢献できるブランドを築いていきたいですね。
齋藤:体験価値と単価を同時に上げようとしたとき、一番の障壁はなんですか。
生駒:「日本酒はこうあるべきもの」という固定概念ですね。社会全体で見ると、日本酒を知らない層はたくさんいます。彼らに「日本酒でこういう体験ができます」「金額はこれくらいです」と提案すると、受け入れてもらえることが多い。
ただ、業界内からは「そんなに高い酒を売って、庶民に根付いた日本酒を変えるのか」「安くておいしい日本酒を奪うのか」といった声もあります。
酒蔵は地元に根付いているので、そこで造られる日本酒にも「地域に還元するもの」としての側面があるんです。一気に高価格帯になると、まわりから「金儲けに走った」と言われかねない。
だからこそ、スタートアップの僕らがリスクを背負って、未踏の道を進む。そうすることで、産業全体の構造が少しずつ変わっていくと思います。
僕が掲げる「日本酒の未来をつくる」というビジョンは、決して「みんなもっと日本酒を飲むべきだ」という意味ではありません。世界中にあるそれぞれのライフスタイルに、日本酒を飲むという「選択肢」を広げていきたいんです。
齋藤:僕は、これまでのキャリアの3分の2以上を海外で過ごしてきました。でも、三越にいたときもエルメスにいたときも、ずっと大切にしてきたのは「日本人の価値観」です。
僕は外国人として初めてエルメスの役員になりましたが、エルメスの価値を外国人の視点で見られるところに僕の存在意義があった。それで、「エルメスはものがいいから世界中で人気がある」と言うフランス人役員たちに対して、それだけじゃないんだと説明してきました。
宮廷のライフスタイルへの憧れなど、文化的、歴史的な背景が絡まり合ってエルメスのブランド価値ができている。でも、足元に当たり前にあるカルチャーの価値は、そこで生活している人はなかなか気づかないんです。
生駒:なるほど。なぜ齋藤さんがエルメスの副社長というポジションから、日本に拠点を移し、日本の価値観を大切にしたブランディングに携わるのか、少しわかったような気がします。
齋藤:日本の良さを「発信する側」になろうと思ったのは、日本を外から見てきた自分にしか気づけないものがあると思ったからです。日本の精神性は里山にあると思っていますが、その心象風景はどんどん失われています。
日本的な価値観がなくなることは、世界的にも大損失です。西洋中心の世界にいたからこそ、何とかしなくちゃという危機感がある。だから今、日本企業のブランディングから伝統工芸の発信、地方創生まで、いろいろなことに興味がありますよ。
本当の価値は「モノそのもの」にはない。たとえばバッグなら、価値があるのは「お母さんが何十年も使ってきたモノを、大人になった自分が使っている」「子どもの頃から、大事なイベントにはこのバッグを使っていた」という、そのモノに詰まっている作った人の想いや使う人の思い出です。
お酒も同じで、単においしいだけでなく「このお酒を、あの人と飲んだ」「そのとき、あんな話をしたな」という記憶を、何年たっても反芻できることに価値がある。
生駒さんには、日本酒と一緒にどんな思い出を作ってもらおうか、という視点でも「SAKE100」を発展させてほしいですね。
(執筆:田中瑠子 編集:大高志帆 撮影:木村雅章 デザイン:岩城ユリエ)
※当記事はNewsPicksからの転載記事です。
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