アメリカ・オレゴン州の清酒蔵「SakéOne」。吟醸クラスのプレミアムSAKEの製造にフォーカスした酒蔵であり、約30年にわたり地酒蔵として米国のSAKE市場を牽引してきました。
SakéOneはアメリカでどのようにSAKE文化を広めてきたのか、スティーブ・ボルステーク社長にお話をうかがいました。
プレミアムSAKEの特化した醸造所
SakéOne設立のきっかけは、青森県の酒造メーカー・桃川の元代表・村井達(とおる)氏と、日本の英語学校の校長をしていたSakéOne 初代社長のグリフ・フロスト氏の出会いでした。
1980年ごろのアメリカ・カリフォルニア州では、大関、宝酒造、月桂冠、八重垣といった酒造メーカーが相次いで醸造所を建設し、日本文化への関心が高まるアメリカ市場にSAKEを届けようと日本酒業界が動き始めます。
1992年、桃川との合弁会社としてSakéOneの前身となる会社が誕生。当初は輸入業者・インポーターとしてスタートし、桃川をはじめとした日本酒の輸入業務に従事し市場の開拓に注力します。5年後の1997年、満を持してSAKE造りを開始しました。
「アメリカでの醸造所建設に興味を持ちましたが、大手メーカーと同じことをやっても太刀打ちできません。そこで、SAKEを飲み慣れていない人々へ向けたリーズナブルな商品を造る大手メーカーに対して、SakéOneでは吟醸レベルのプレミアムSAKEに力を入れるというアイデアが生まれたそうです」
SAKE造りの場として選ばれたのは、グリフ氏の出身地であるオレゴン州。アメリカ各地の水質を調べたところ、オレゴン州フォレストグローブの水が桃川のあった青森県の水とよく似ていたのです。
また、オレゴン州の「クラフト文化」も、酒蔵建設のきっかけのひとつだったとスティーブ氏は話します。
「そのころ、オレゴン産のワインはアメリカ内で有名になってきていて、ポートランドではクラフトビール産業が盛んになっていました。地域の人々が、地元のクラフトワインやクラフトビールに親しみを持ち始めていたんです」
豊かな自然の中で、多様な野菜やフルーツが育てられているポートランドでは、生産者から消費者へ新鮮で安全な食材を提供する地産地消の考え方「ファーム・トゥ・テーブル(農場から食卓まで)」が定着しています。そのような文化が根付いた環境で、SakéOneは「地酒」としての地位を築いてきました。
「ワインの視点」を取り入れたSAKE造り
2011年、桃川が所有していたSakéOneの株式を白鶴酒造が買い取ったことで、SakéOneは白鶴酒造のグループ会社となりました(2014年、桃川株式会社は白鶴酒造の子会社に)。これを受けて、SakéOneは日本で輸出量トップを競う白鶴酒造の輸入販売業務を一手に引き受けることになります。
「白鶴酒造のインポーターになったことで、我々には実に多くのリソースが与えられ、営業とマーケティングの強化へつながりました。白鶴酒造にとっても、アメリカの市場を長年にわたって開拓してきた我々と提携できたことは強みになったのではないでしょうか」
製造面では、白鶴酒造から技術者がアメリカに派遣され、技術的な支援が行われています。
「白鶴酒造から酵母や麹菌のほか、アメリカ産の原料米の検査など、彼らの専門知識も提供してもらえる。つまり、白鶴酒造とSakéOneは素敵な共生関係にあるのです」
スティーブ氏がSakéOneの社長に就任したのは2008年のこと。スティーブ氏は、両親がオレゴンワインの醸造家であり、スティーブ氏本人も約30年ワイン業界に従事してきました。
そんな彼の持つ「ワインの視点」は、社長就任後にすぐに発揮されます。当時のSakéOneでは、カリフォルニア州サクラメントの大手生協から原料となるカルローズ米を購入していました。しかし、スティーブ氏がその米の生産地や生産者をたずねても、誰も知りません。調べたところ、毎回異なる農場からお米が届いていることがわかりました。
「同じ産地のぶどうを使えば、より安定した品質のワインが造れます。本当においしいと思えるお米の生産者をどうしても見つけたいと説得してリサーチしてもらい、J.T.トンプソンという農家と契約しました。彼の農家は数世代にわたり家族で農場を経営しているんですが、お米を育てるのに適したすばらしい土を持っています」
スティーブ氏が大学卒業後にワイン業界で働き始めたころは、まだアメリカではオレゴンワインは認知されていませんでした。そんな状況で市場を開拓し、オレゴンワインの躍進に貢献してきたスティーブ氏。彼がSAKE業界に足を踏み入れた2008年は、アメリカでのSAKEの認知度も今よりもずっと低いものでした。
「ワインでもSAKEでも、同じことを繰り返していると感じます。品質がよくて、オーセンティックであれば、アメリカでビジネスを成長させるチャンスはある。ワインであれ、SAKEであれ、私がやるのは『飲む人の気持ちを理解しようとする』ということです」
純米大吟醸から缶入りのお酒まで製造
SakéOneの造りのリーダーである杜氏を務めるのは、桑原匠氏。初代杜氏 グレッグ・ローレンツ氏の後継として、2018年に入社しました。
「先代のグレッグは醸造経験のないところからのスタートでしたが、タクミは日本のほか、アメリカでの醸造経験があります。日米両方で培った醸造の経験と、質の高いお酒を造りたいという強い思いは誰にも負けません」と、スティーブ・ボルステーク氏。
そんな桑原杜氏の技量を最大限に引き出したのが、アーカンソー州産の山田錦を精米歩合40%まで磨いたSakéOne初となる純米大吟醸「Naginata(なぎなた)」です。開発には延べ4年の時間がかかりました。
「経験豊富なタクミがいたからこそ実現できたお酒です。目標は、海外醸造で一番のSAKEです。各コンペティションでどのような結果を出せるか見たかったのですが、今年は新型コロナウイルスの影響で参加できなかったので、来年のチャレンジに期待します」
SakéOneが製造する商品は主に4ブランドあります。看板商品である吟醸酒の「Momokawa」、梨やココナッツのフレーバー酒「Moonstone」、フルボディな原酒「G」、そして約一年半前にリリースされた缶入りの「Yomi」です。
Yomiは、新型コロナウイルス感染が拡大する前は、サンフランシスコのスポーツスタジアムでの販売も決まり、販売も好調だったそうです。
「Yomiは若い飲み手をターゲットにしていますが、とてもうまくいっています。フルーティーなアロマが出ていて、アルコール度数は13%と比較的低めです。
缶入りワインが市場に並び始めたときに、これはSAKEでもできるんじゃないかと思ったんです。味のタイプは異なりますが、輸入している缶入りお酒の売れ行きがよかったことも理由のひとつです」
このように、インポーターとして得た知識は、醸造面でも役立っています。
「インポーターとしてディストリビューター(卸業者)とやりとりをしていると、どんなタイプのお酒が売れていて、どんなところにチャンスがあるのかという市場の情報が集まってきます。たとえば、スパークリング日本酒が売れているなら、うちでも造ってみよう!といったようにプロジェクトが進んでいくんです」
インポーターとして学んだ知見を活かす
SakéOneのテイスティングルーム(現在はテラス席のみ営業)では、自社商品と輸入した日本酒の両方を提供しています。ポートランドや地元の人たちはもちろんのこと、近隣のワイナリーを訪れる流れで立ち寄る観光客も多いのだそうです。
また、「SakéOne Club」というメンバーシップ制度もあり、メンバー限定のイベントも開催しています。3つのコースがあり、「Kura Club」はSakéOneの商品と輸入酒、「Tezukuri Club」はSakéOneの商品のみ、「Toji Club」には両方のプレミアム商品が、それぞれ年に4回届けられるという仕組みです。
「お客さんが普段飲んでるものを聞いて、それにあわせておすすめするお酒を選んでいます。自社製品と輸入品も合わせて、ラインアップの幅が広いのが強みになっていますね。現地醸造のお酒と輸入酒の違いとして重視しているのは、『香り』と『余韻』。ワインは長いフィニッシュを楽しむものなので、それに近づけるようにしています」とスティーブ氏。
アメリカ中のスーパーマーケットで商品が並べられるほど認知度が高いSakéOne。その背景には、アメリカの地酒蔵のパイオニアとして歩んだ30年間の歴史と、市場への深い知見がありました。
ますます発展するアメリカのSAKE市場を見つめながら、造り手として、インポーターとして、SakéOneはこれからも進化を続けていきます。
(取材・文/Saki Kimura)
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