「菊正宗」のブランドが商標登録されたのは1886年。それから130年もの間、菊正宗酒造は灘本流の酒造りにこだわり、日本酒の愛飲家たちに「生酛・辛口と言えばキクマサ」と言わしめ続けています。

しかしながら、2016年3月。菊正宗酒造は驚くべき新商品をリリースしました。「辛口と言えばキクマサ」という根底を覆す代物――その名も「百黙 純米大吟醸」。そして、この「百黙」という銘柄を、「菊正宗」に次ぐ新しい独立ブランドとして展開していくと発表したのです。

盤石なブランドを持つ菊正宗が、なぜ今、新ブランドの立ち上げに踏み切ったのか。生酛・辛口の名手である菊正宗酒造が醸す“純米大吟醸”は、一体どんなお酒なのか。名前のイメージ通り、これまでにメディアで「百黙」の全容が語られたことは、ほとんどありません。ならば……ここは、SAKETIMESの出番です。

菊正宗酒造の魅力に迫る特別連載の第10回では、菊正宗発の新ブランド「百黙」の知られざる開発ヒストリーを独占取材。「百黙」プロジェクトに携わったキーマン3名にお話を伺いました。

燗酒のキクマサが、本気で冷酒のてっぺんを獲りにきた

菊正宗の新しいブランドプロジェクトが発足したのは、2013年の春。現副社長の嘉納逸人氏が、本社3名の若手社員を中心メンバーとして招集して、動き出しました。そのうちの1人である営業部 マーケティング課長・広報担当の宮内大輔さんは、プロジェクト誕生の背景を、次のように語ります。

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「私たち兵庫の、とりわけ“灘五郷”と呼ばれる地域は古くから酒処として知られ、現在でも弊社のほかに白鶴さんや剣菱さんなど、大手といわれる酒造メーカーがひしめき合っています。都道府県別の清酒生産量も、兵庫県が日本一です。
けれども、最近の日本酒ブームでは"冷酒・地酒"がプッシュされており、特に飲食店では地方の酒蔵が造る大吟醸などに人気が集まっていて、弊社の商品も含め、兵庫の酒の存在感が薄いなと。しかし、私たちも兵庫の、灘の地酒なんです。『スーパーにも置いてある』『価格の安い商品だ』といった理由で、敬遠されるのは悔しいんです。そんな思いから、『冷酒で一番おいしい日本酒を、本気で造ろう』と、このプロジェクトが立ち上がりました。そしていま特に、食の多様化が進んでいると感じていましたから、これまでの食事に寄り添う『菊正宗』とは対になるような、お酒である必要性もありました」
(営業部・宮内さん)

菊正宗の新しいブランドプロジェクトには、4つのポイントがあります。
1つ目は、若手中心のチームであること。「次世代を担う造り手が、『菊正宗』と肩を並べるような、100年続くブランドを創出する」という意志の下、プロジェクトの中心メンバーは20~40代で構成されました。造りの工程では、10代のスタッフも登用しているそうです。

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2つ目は、米にこだわり抜くこと。一般的な灘流の造り方では、酒米の王様とも呼ばれる山田錦で麹づくりを行い、かけ米はほかの米を使うのが主流です。なぜならば、すべてを山田錦にしてしまうと、コストがかかりすぎてしまうからです。しかし「百黙」では、麹米もかけ米も100%山田錦を使用しています。加えて、最上級の酒米を産出する特A地区のものだけ。「ここには、菊正宗ならではの思い入れがある」と、百黙の販売戦略に携わった営業部長の春山祐二さんは言います。

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「兵庫の山田錦の産地には、昔から弊社との専属契約を結んでいる『嘉納会』という農家の組織があるんです。私たちは、嘉納会の方々がいいお米を作ってくれているおかげで、いい酒が造れている。でも、『嘉納会』の名前が表に出ることは、今までほとんどなかった。原料米の品種名を表記する場合には、その原料米の使用割合が50%を超えていないと、ラベルに表記できないことになっているんです。『嘉納会』へのこれまでの感謝と敬意を表するため、そして、キクマサだからこそできるクオリティを追求するために、今回の新商品開発では“嘉納会特A地区の山田錦100%使用”にこだわりました」(営業部・春山さん)

これまでとは真逆の新しい造り、試行錯誤の連続

そして、3つ目のポイントは「新しい造りを極めること」です。プロジェクトではブランド構築と並行して、コンセプトに沿った新製品の開発が進められました。

新たなブランドの旗手となる新製品に求められたスペックは「冷酒で日本一おいしい酒」。最低限でも全国新酒鑑評会で金賞を獲れるものを目指しました。そのためには、これまでに培ってきた“生酛辛口”の路線から離れ、「華やかな香りを出す純米大吟醸」の製造フローを、ゼロから作り上げる必要がありました。百黙の製造指揮を執った菊正宗総合研究所の所長・山田翼さんに、造りにおける苦労について伺いました。

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「元よりキクマサが得意とする“灘本流”の生酛の酒造りは、酒母の仕込みには時間をかけますが、醪を発酵させてお酒にするスピードは早い傾向があります。短期間で発酵させることで、キレのよい辛口になります。しかし、大吟醸はその真逆です。低温でゆっくり時間をかけて発酵させることで、香りと甘みを引き出す。こうした造りの経験は、今までの弊社では少なかったので、初めは失敗の連続でしたね。磨きの度合いや発酵中の温度などの数値を少しずつ変えながら、自分たちが納得できる味が現れるまで、調整を繰り返しました」(総合研究所・山田さん)

発酵中の温度管理は、高すぎれば香りや甘みが出ないし、低すぎれば酵母が増えず発酵が不十分になる。その間の適温を探り当てるまでに、3年もの月日が費やされました。

また、百黙の製造過程では「酒の造りの最中だけではなく、造った後にも気を配った」と、山田さんは続けます。

「今のトレンドに合わせて、なるべくフレッシュさを残そうと。そのためには、お酒を絞った後のことも考えなくてはいけないと気付きました。基本的に、清酒は絞ったその瞬間から劣化が始まります。なので、絞ったお酒の品質をキープするために、マイナス5℃で清酒を保管できるタンクを新設しました。あとは、出荷前に火入れをしてビン詰めする際も、これまでは自然に冷めるのを待っていましたが、火入れ後すぐに冷せるように生産ラインを整えました。造った後の管理については、百黙の開発を通して大きく改善・改良されました」(山田さん)

スペックは語らない、静かに次の時代を担う

菊正宗の新ブランドプロジェクト、最後の4つ目のポイントは「世界観を大事にすること」です。話題性もあり、米にもこだわっていて、造りも大きく刷新している――アピールできる要素を数多く持ちながらも、菊正宗はこの新商品のスペックを声高に主張することはありません。それどころか、知名度のある“菊正宗”という大看板さえも、あえて前面に出さないようにしています。あまりに控えめにも思える姿勢の裏にある意図を、宮内さんはこう説明します。

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「今の時代、情報にあふれているじゃないですか。日本酒もたくさんの銘柄があって、それぞれのメーカーが純米、吟醸、本醸造などいろんな製品を造っている。それに、同じ大吟醸でも、精米歩合が50%、30%、20%と、正直言ってどこかお客様を置き去りにしているようにも思えます。そんな中で『スペックよりも大事なものがあるよね』という話が、開発途中からよく出てきていました。もちろん、最高の材料、最高の技術で、最高のお酒は造る。でも、それは主張しなくていいよね、と」(宮内さん)

主張しないで、黙る。思いは飲んで、感じてもらう――新ブランドのコピーライターを務めた日暮真三氏は、そんな菊正宗側の思いをくみ取って、このブランドを「百黙」と名付けました。これは、寡黙な人が発する一言は的確で、人に感銘を与えるといった意味の「百黙一言」という言葉に由来しています。

ライバルは“菊正宗”

紆余曲折を経て、今年の4月より満を持して出荷され始めた「百黙」。全国展開はせず、現在は兵庫県内の登録店と、飲食店への供給に留めています。春山さんは「急がず、まずは地元に愛される銘柄に」と、先を見据えていました。

「宣伝にお金をかければ、ドンと認知を得ることも可能です。でも、今は地道に1本ずつ、まず地元の人たちに飲んでいただいて、認めてもらいたいんです。いま人気のある地酒は、どれも地元で愛されてますから。まずは、兵庫県内の人に『兵庫の地酒にキクマサあり』と再認識してもらう。それから、県外の人に『兵庫に百黙って美味い地酒があるんだけど、どうやら菊正宗が造っているらしい』と気付いてもらう。そうして、ゆくゆくは今の人気銘柄と肩を並べられるよう、育てていきます」(春山さん)

そう、「百黙」は単なるひとつの新商品ではなく、新たなブランドです。「まだスタートを切ったばかり、ここからが勝負だ」と山田さん、宮内さんは言葉をつなげます。

「まずは、今の商品を安定的に供給できるような体制を整えることが、直近の課題ですね。それと並行して、新しい商品開発も積極的にやっていかないと。菊正宗の中に色々な種類のお酒があるように、今後は百黙の中にもさまざまなラインをそろえていきたいですね。そうしないと、“菊正宗の一部”という見られ方から抜け出せませんから」(山田さん)

「最大のライバルは“菊正宗”ですかね(笑)。冗談っぽく言いましたけど、私たちは意外と本気でそう思ってるんですよ。ただ、350年の歴史に今日明日で勝てるわけがないですから。まずは10年、それから100年、ギュッと愛されるブランドにしていきたいですね」(宮内さん)

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今回の取材でインタビュアーとなったSAKETIMES代表の生駒は、百黙の裏側に隠されていたストーリーと、彼らが見据えているビジョンを聞いて、次のように感想を語っています。

「10万石近くの日本酒を製造し、日本中どこでも購入できる製造力と高い品質を誇るあの菊正宗が、『自分たちだって灘の地酒なんだ、大手だからという理由だけで敬遠されることが悔しいんだ』と考えているなんて、これまで想像していませんでした。“本流辛口”という自分たちの土俵からあえて飛び出し、失敗をくりかえしながらも挑戦する姿勢――お話を聞いていて、鳥肌が立つほどの感動を覚えました。本流辛口という130年の年月をかけて“革新”を積み重ね、“伝統”に昇華してきた菊正宗だからこそ、『次の100年へと続くブランドを創る』という言葉にも説得力があります。菊正宗の"次"を担う百黙、まだまだ流通量は限られていますが、これから世界に広く浸透していくことを確信しています」

現状に甘んじることなく、社会の変化に合わせて進化を続ける菊正宗。彼らの誇る最先端の技術と、長年培ってきた経験則、造り手としての矜持、飲み手への願い、農家への感謝、日本酒への愛……世の中に多くを語らない「百黙」には、一言二言では語りきれない思いが込められています。100年先を見すえた“覚悟の酒”は、私たちの五感にどんなメッセージを残すのでしょうか。「百黙」に出会えたその時には、ぜひお酒の声に耳を澄ませながら、味わってみてください。

(取材・文/西山武志)

sponsored by 菊正宗酒造株式会社