灘五郷とは、兵庫県神戸市と西宮市の沿岸部に栄えた日本有数の酒造地。西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷の総称で、江戸時代中頃から下り酒の産地として発展を遂げ、現代でも日本酒の生産量は国内一を誇ります。

その特徴としてあげられるのが、「男酒」と呼ばれる辛口のお酒。これは微生物を活性化させるミネラル分を多く含んだ仕込み水「宮水」の利用と、天然の乳酸菌を育ててアルコール発酵をより進める「生酛造り」によって生み出された伝統的製法とも呼べるものです。

「灘の生一本」とは?

丹波流酒造り唄保存会公演 酛摺り唄:篠山市デカンショ館古くからできのよい清酒を「生一本」と呼ぶのは、元々は灘が発祥の言葉。"生"だからといって、火入れをしていない生酒ということではありません。

江戸時代に灘の銘柄を偽装して出回った地回り酒に対して、灘のブランドを守るために使われ始めた言葉で、「灘で生まれ育った生粋の混じりけのない酒」という意味です。また、「生一本」は、ひとつのことにひたむきに打ち込む姿勢を形容した言葉でもありますが、丹波杜氏の寡黙な仕事ぶりと男酒といわれる灘の酒質のイメージにも重なります。

現在では、灘酒研究会に加盟する酒造メーカーで「灘の生一本」の統一ラベルをつくり、各社の特徴と個性を出した商品シリーズを毎年発表しています。

現代につながる酒造りの技術が生まれた場所

灘五郷の古地図灘酒研究会は、灘酒の酒質の向上を目指してさまざま研究を重ね、情報発信している団体。現在加盟しているのは灘五郷の酒蔵10社です。

その発足は古く、すでに100年を越える歴史を有します。創設は大正14年(1917年)のこと。そのころの灘五郷における酒造りの中心は丹波杜氏をはじめとする職人集団でしたが、技師と呼ばれる科学的知見をもって醸造技術を進歩させる研究者が登場します。

もともと技師たちは大蔵省醸造試験所から民間へ下り、酒造会社に雇われる研究者でした。しかし、灘の酒蔵は情報を共有することで、一社の利益を越えた醸造界全体の酒質を向上させようとの意気込みがあったのでしょう。伝来の「技」から「技術」へと時代を変化させた人々によって新たな時代の酒造りを思考した結果生まれたのが、灘酒研究会ではないかと思います。

灘五郷の酒蔵が造る10本の「灘の生一本」

2018年9月に神戸市で開催された、灘酒研究会主催の「灘の生一本」試飲会をレポートします。

「灘の生一本」試飲会のエントランス看板神戸の中心地、JR三宮駅から生田神社の杜を抜けて山手へ向かって歩いて約10分。試飲会の会場は「北野工房のまち」です。同館1階にはアンテナショップ「灘の酒蔵通り」があり、各蔵から選りすぐりの銘酒を購入することができます。

「北野工房のまち」内のアンテナショップ「灘の酒蔵通り」灘五郷の酒蔵10社が発売した「灘の生一本」シリーズは、兵庫県産の酒米使った純米酒であることのほか、さまざまな認定基準を設け、灘酒研究会酒質審査委員会で基準をクリアされたもののみが統一ラベルで販売されます。

灘酒研究会の「灘の生一本」シリーズ◎「灘の生一本」参加各社の銘柄と酒質の特長

  • 「沢の鶴」:濃醇・旨みある・ふくらみがある・豊かな味わい・キレ良い。
  • 「剣菱」:熟成香・濃醇・旨みある・コクがある。
  • 「白鶴」:芳醇な香り・キレ良い・きれい・すっきりした。
  • 「菊正宗」押し味・キレ良い・おだやかな香り。
  • 「櫻正宗」:淡麗・キレ良い・ふくらみがある。
  • 「浜福鶴」:飲みごたえのある・適度な熟成・押し味しっかり・キレ良い。
  • 「道灌」:きれい・適度な甘味・適度な酸味・おだやかな香り。
  • 「白鹿」:豊かな味わい・ふくらみがある・まろやか・飲みごたえのある。
  • 「日本盛」:おだやかな香り・適度な酸味・きれい・キレ良い。
  • 「大関」:甘酸調和・おだやかな香り・なめらか・ふくらみがある・豊かな味わい。

筆者が、最初に試飲したのは浜福鶴。浜福鶴といえば吟醸酒の蔵というイメージが強いのですが、今回の純米酒は精米歩合75%でやや酸味が強いキリっとした辛口。いかにも灘らしい酒に仕上がっていると感じました。広く一般受けするという意味においては「大関」と「白鶴」のお酒などは流石だなと思うところでした。

同じく灘酒のなかでは、あまりなじみのない印象の「道灌」は、香りが印象的な優しい純米酒。逆に灘らしさを表現している蔵といえば、山田錦100%使用にこだわった「白鹿」と「櫻正宗」の2銘柄。

そして灘の技術の粋と呼べる生酛造りを前面に出した「菊正宗」や「沢の鶴」などは、灘の男酒を存分に楽しめるのではないかと思います。また、灘酒のもうひとつの特徴に「宮水」の存在がありますが、地元西宮の2蔵「白鹿」と「日本盛」のバランスが取れていて、のどごしのよい酒で味わっていただきたいと思います。

剣菱の「灘の生一本」

一番個性が際立っていたのが「剣菱」の10年熟成純米酒でしょうか。吉川地区産特Aの山田錦、山廃仕込み、10年古酒と、いろいろと強調できる要素を持ちながらラベルに一切ださないアクの強さは相変わらず。愛好者とそうでない方とでの受け取り方の差が大きく、とても面白く感じました。

試飲会の参加者に聞いてみると、「大関さんのお酒は女性に受けやすそうですね」「剣菱さんの黄色いお酒にびっくり!」「同じ地域のお酒でもそれぞれ個性があって面白い」という感想を聞けました。

こだわりの強い日本酒ファンにはあまり目だった印象を持たれないのかも知れませんが、小さな造り酒屋には出せない凄みが、「灘の生一本」シリーズから伝わったのではないかと思います。

酒米の使い方にあらわれる各蔵の特色

「灘の生一本」試飲会の会場風景酒質委員会の委員長を務めた、白鶴酒造の山内さんにお話をうかがうと、米の使い方に各蔵の特徴が現れているといいます。

「今回各蔵のお酒のスペックをみて目につくのが、使用米の多様さです。兵庫県といえば日本一の酒米・山田錦の産地。特に吉川地区の特Aの一級品を契約栽培で確保している蔵が数多く存在するのですが、意外にこのシリーズで山田錦を使っている銘柄が少ないのです」

白鶴酒造では自社開発米の「白鶴錦」を100%使用。菊正宗は「恋錦」、大関は「いにしえの舞」、日本盛は「夢錦」など、山田錦の代替としてこれからの酒造りを見据えた取り組みの姿勢がうかがえます。気候の変化や農家の後継ぎの問題などで、山田錦が安定的に取れなくなる懸念への対応と、日本の稲作を守る酒造メーカーとしての企業理念によるものでしょう。

灘の酒造メーカーが造る酒は常に酒質が一定に調整され、安定した味に保たれたものがほとんどという印象ですが、「灘の生一本」シリーズではブレンドなどで酒質を調整することがないため、その年によって味が変わるそうです。つまり、昔ながらの造り酒屋との違いがない、本物の灘の地酒が楽しめる良さがあるのですね。

(文/湊洋志)

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