日本酒蔵の建物を有効活用する事例にはさまざまなものがありますが、そこにまた新たなプロジェクトが加わりました。

2021年7月17日にオープンした「酒坊“SHUBOU”多満自慢(しゅぼう たまじまん)」は、東京都福生市にある石川酒造の敷地内にオープンした体験型ゲストハウスです。

石川酒造外観

石川酒造の創業は、江戸時代末期の文久3年(1863)のこと。明治13年(1880)に多摩川の畔に酒蔵を建ててから現在に至るまで、新しい酒造りの可能性を追求しながら、福生の街とともに歩んできました。

石川酒造の中庭

まるで大きな神社の境内を思わせる敷地内には、清酒を造る蔵やクラフトビールの工房、史料館、レストランが立ち並び、「酒飲みのテーマパーク」と自称するほどの充実ぶりです。140年の歴史を刻む古い建物が多く残り、その中の6棟は国の登録有形文化財に指定されています。

そんな酒蔵の施設内に完成したゲストハウスは、日本酒ファンにとって一度は体験してみたい宿泊施設です。

日本酒を中心に人々が語らう空間

「酒坊 多満自慢」のラウンジ

体験型ゲストハウス「酒坊“SHUBOU”多満自慢(しゅぼう たまじまん)」は、木造2階建ての建物です。

「酒坊 多満自慢」のラウンジ

エントランスを入ると、広々とした吹き抜けのラウンジが宿泊客を出迎えます。「一つ屋根の下に泊まる」というコンセプトのもと、宿泊者同士の交流が自然と始まるようにテーブルやカウンターが点在していました。

「酒坊 多満自慢」のドミトリー

客室はカプセルベットのドミトリーが2部屋と、最大2名利用の和室が3部屋という構成。施設内に浴場はなく、男女別のシャワールームが用意されています。

「酒坊 多満自慢」の和室個室

和室は夫婦や家族での利用を想定していますが、設備はいたってシンプル。心地よく眠るために機能を特化していて、食事を楽しんだり、くつろいだりするのにはラウンジでしてもらうという趣向です。

「酒坊 多満自慢」のバースペース

宿泊者はゲストハウスに併設したレストランで食事をしてもいいですし、食べ物や飲み物を持参してラウンジで楽しむのも自由です。ラウンジの一角には、バーがあり、石川酒造の日本酒やクラフトビールをいただくことができます。

季節によっては中庭でのバーベキューなど、宿泊者同士が交流できる企画も準備中です。

日本酒の魅力を海外へと広げるために

北村商店の北村公克社長

北村商店 社長の北村公克さん

今回のプロジェクトの発案者は、醸造機械などの販売やメンテナンスを行う専門商社・株式会社北村商店 社長の北村公克さんです。

1911年に創業した北村商店の4代目として生まれた北村さんは、大学卒業後に大手食品メーカーに就職したのち、1996年に入社します。

当時の日本酒市場は需要低迷期に入り、醸造機器の販売も伸び悩んでいたころ。以来、「日本酒が再び人気を集めるにはどうすればいいだろうか」と、常に考えを巡らせていました。

この状況を打破するべく北村さんが出した結論は、「日本の人口は今後増えないことを考えると、新たな需要を開拓するとすれば、やはり海外しかない」ということでした。

2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に認定され、海外では和食ブームが起きていましたが、日本酒の評判はブームになるほどには高まっていませんでした。その理由を北村さんは次のように分析します。

「海外で展開する和食店の約8割は日本人以外が経営していて、正統派の和食を作っていません。ましてや、日本酒を適正に管理してベストな状態でお客に提供しているところも少ない。それで日本酒好きが増えるとはとても思えない状況です。唎酒師を置いた正統派の和食店が増えていかない限り、海外での日本酒の未来は開けないと考えていました」

そんな矢先の2016年3月に、政府は新たに「明日の日本を支える観光ビジョン」を策定し、訪日外国人旅行者を積極的に呼び込む政策を進めると発表しました。

「外国人が日本に来てくれるのであれば、これは絶好のチャンス。ひとりでも多くの外国人に日本酒の魅力を伝えることができれば、海外にも正統派の和食店が増え、日本酒の輸出が伸びて、取引先の酒造メーカーの活況に繋がります。そこで日本酒の魅力を伝える場として『酒蔵の敷地内にゲストハウスをつくる』というアイデアに思いついたんです」

訪日外国人向けの簡易宿泊所が数多く都内にオープンするなか、同じゲストハウスでも歴史を感じさせる酒蔵の敷地内にあれば、それは大きな差別ポイントとなります。

「酒坊 多満自慢」のエントランス

このように考えた北村さんは、ゲストハウス開業の理想的な場所として、北村商店の取引先であった石川酒造に打診します。

北村さんの構想を聞いた石川酒造の石川彌八郎社長は、「レストランなど酒蔵の施設を訪れるお客さんから『敷地内に宿泊できる場所が欲しい』という要望が以前からありましたが、ホテル経営は門外漢なのでこれまで見送ってきたんです。ですが、今回の北村さんのアイデアを聞いて、とても魅力を感じました」と、当時のことを話してくれました。

西多摩エリアの観光の入り口として

2020年3月に東京オリンピックの開催が1年延期された段階では、「コロナ禍も1年以内に終息するだろう」という目論見で2021年7月の開業を決めましたが、当面は、当初予定していた訪日外国人旅行者の利用は期待できそうにありません。

そのため、北村さんは日本人宿泊客の利用を増やす作戦をいろいろと練りました。

そのひとつが、ゲストハウスを起点としたアクティビティです。

西多摩エリアは、大自然を満喫できる秋川渓谷や奥多摩湖、アメリカンな雰囲気が漂う飲食店や雑貨屋が立ち並ぶ米軍横田基地周辺など、新宿から電車で約1〜2時間程度で行けるマイクロツーリズムとして利用しやすい地域です。

「外国人旅行者には、広く東京や日本酒をアピールする予定でしたが、短期滞在が主な日本の方に向けては、西多摩エリアや福生市といった、周辺地の観光を紹介していきます」

さらに、ゲストハウスでの体験にも力を入れていきたいと話します。

「近隣の方にも来てもらいやすいように厨房設備を当初の設計から変更して料理メニューを充実させました。お酒は、石川酒造の日本酒やクラフトビールのほか、日本酒を使ったオリジナルのカクテルも提供します」

北村商店の北村勇人社長

ほかにも、石川酒造にはすでに4種類の酒蔵内見学ツアーがありますが、さらに宿泊者限定で酒造りを実際に体験できる企画を調整中とのこと。また、西多摩エリアには、石川酒造の他にも3軒の酒蔵があることから、ゆくゆくは4つの酒蔵を巡るコースも提案していきたいと考えているそうです。

最後にどんな方におすすめかを伺ったところ「都心から1時間なので、忙しく働く方の少しの息抜きにもぴったりだと思います。また、貸し切りにも対応できるので、例えば仲間内での多摩川のサイクリングや大学のゼミの勉強会といった利用もしてもらいたいですね」と、話してくれました。

酒坊の外観

歴史ある酒蔵の雰囲気に包まれた宿に泊まり、美味しい日本酒とそれに合う地元の食材を使ったおつまみを味わう。

「酒坊“SHUBOU”多満自慢」は、日本酒の長い歴史と西多摩の自然・文化に触れることができる充実したゲストハウスでした。

(取材・文:空太郎/編集:SAKETIMES)

◎施設概要

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