醸造アルコールを添加する「普通酒」は、"経済酒"と呼ばれることもあるように、コスト重視のお酒と言われてきました。比較的安い酒米をあまり精米せずに使い、大容量のタンクでできるだけ手間を省いて仕込むことでコストを下げるため、特定名称酒に比べると味わいが豊かになりにくいのが現実です。

そんな現状を憂慮し、安いけれども特定名称酒並みに美味しい、"超プレミアムな普通酒造り"に挑んでいるのが、栃木県真岡市にある辻善兵衛商店の蔵元杜氏・辻寛之氏。

"超プレミアムな普通酒造り"にはいったいどんな工夫があるのでしょうか。特定名称酒に劣らないお酒を造るための、蔵独自の取り組みに迫ります。

安くて美味しいお酒を造るために

辻善兵衛商店は宝暦4(1755)年創業。260年という長い歴史をもっています。辻寛之氏は16代目の蔵元。茨城県内の酒蔵で2年間修業した後、蔵に戻ってきました。最初の1年は南部杜氏とともに酒造りをし、翌年から蔵元杜氏に就任しています。

平成10BY(醸造年度)から独自の酒造りをスタートさせました。当初は思った通りにいかないことも多かったそうですが、徐々に美味しいお酒を安定して造ることができるようになっていきます。

当時の主力銘柄は「桜川」。メインの普通酒と本醸造酒に加えて、年に1度だけ、全国新酒鑑評会に出品するための大吟醸酒を造っていました。

しかし、辻さんは「今の時代は純米酒や純米吟醸酒が主流。うちの蔵もそこに力を入れよう」と、新しい銘柄「辻善兵衛(つじぜんべえ)」を立ち上げます。

これが奏功し、「辻善兵衛」は蔵の屋台骨を支える商品に育っていきました。ところがその一方、業界全体で普通酒の売り上げが落ち込む現状には歯止めがかかりません。そんな状況を見た辻氏は、10年ほど前、次のように考えました。

「日本酒は国酒であり、大切な文化でもある。そんな日本酒に追い風が吹き始め、純米吟醸酒を中心とした特定名称酒を外で飲む人が増えている。しかし、日本酒がひとつの文化であるならば、生活に密着した存在であるべきだ。自宅で毎日、食事に合わせてちょっと飲むという家飲みのスタイルが復活してほしい。ただそのためには、若い人にも『安くて美味しい』と思ってもらえるような高品質の普通酒を造らなければならないだろう」

そして、普通酒が特定名称酒に比べて美味しくないと言われる理由を考えました。

最大の問題は「炭素を使った濾過」と「搾った後の温度管理」にあるのではないかと感じたのだそう。

「炭素を使って濾過すると、雑味だけでなく旨味も取れてしまい、味気ないお酒になってしまいます。また、普通酒は搾った後に火入れをしてタンクに貯蔵し、瓶詰めの際に再度火入れをして出荷しますが、ほとんどの蔵では、火入れ後の熱くなったお酒を急冷することはありません。そのため、味わいの変質はさらに進んでしまいます。日本酒本来の味わいからずいぶん離れたものになってしまうのは、この2つが最大の原因だと確信しました」

そこで辻氏が着手したのは、炭素濾過を徐々に減らし、最終的にゼロにできないかという試み。挑戦してみると、味わいは改善されたものの、お酒の色が黄色になってしまいました。

「これだけ色がついていると、古いお酒だと思われてしまう。どうすれば色を薄くできるのか」と考え、お酒を火入れした後に急速冷却することを思いつきます。専用の装置をメーカーから借りて実験してみると、違和感のないレベルまで色を落とすことができました。

この他にも、麹の造り方など、さまざまな工程で工夫を重ねているとあっという間に数年が経過。辻氏はその数年の間に、普通酒の質を高めるポイントはやはり「温度管理」だという結論にたどり着きました。

早速、火入れ後の急冷を行なうための装置を本格導入。さらに、貯蔵タンクのある部屋に冷房を完備しました。

ストイックに続けてきた酒質の改良

商品化にあたって意識したのは、税込で一升瓶2,000円(四合瓶1,000円)以下で販売することでした。麹米には酒造好適米を使うものの、掛米には安い一般米を採用。仕込みの量を従来の普通酒と同じ規模にするなどの工夫を凝らし、一升瓶1,998円(四合瓶999円)という低価格を実現しました。

商品名は「プレミアム・スタンダード桜川」の略で「PS(プレミアム エス)」。ラベルの質感にもこだわりました。「若い人にも手を伸ばしてもらいたくて、ラベルにはコストをかけました」と話しています。

2015年の夏に発売したところ、手頃な値段なのに美味しいと評判になりました。

「取引先の酒販店からは、普通酒はお客さんに説明するのが難しいので売りにくいと言われることもありますが、おかげさまでリピーターも増えているようですね」

同年11月の栃木県清酒鑑評会・燗酒の部では第1位となる県知事賞を獲得。この影響もあってか、売り上げは順調のようです。

3回目の造りとなった28BYでは、酒質向上のための改良をいくつか加えました。そのひとつは、多くの普通酒で行なわれている四段仕込みをやめ、三段仕込みに切り替えたことです。

「普通酒の造りでは、醸造アルコールを添加することでお酒が薄くなるのをカバーするため、四段目として酵素剤と蒸米を投入するのが一般的。ただ、これが普通酒特有の蒸れた香りの原因になっているような気がしていました。実際に熟成させてみると味が重くなったので、翌年は四段目に入れる量を減らし、3年目の今季は完全にやめてしまいました。そのぶん、前年よりもドライな味わいに仕上がっています」

さらに、今までは1回火入れの生詰酒(要冷蔵)でしたが、瓶詰めの際にもう一度火入れをすることにしました。1回火入れでも冷蔵管理さえしてもらえば大丈夫と考えていたものの、時間の経過にともなう変質が心配だったのだとか。

そこで新しい設備を入れ、火入れ後のお酒を短時間で冷却できるようにしました。つまり、お酒が高温にさらされる時間を短縮することに成功したのです。おかげで品質はさらに安定し、常温での流通も実現することができました。

留まることのない、辻氏の酒質改良。最終的にどのようなお酒を目指しているのでしょうか。

「究極の晩酌酒ですね。常温にしても、冷やしても、燗につけても美味しいお酒。華々しさはないけれど、落ち着いてゆっくりと飲むことができ、最後まで飲み疲れしない酒質を目指しています。ひと口目は『まあ、普通だな』、でも続けて飲んでいくと『あれ?なんだかもう一杯飲みたくなるなあ』、そして気がつけば『あ、こんなに飲んでしまったのか』というお酒が理想ですね。甘みのあるタイプが人気という時代の流行に逆らうような、米の旨味を残しつつも全体のバランスが良い、ドライなお酒を極めたいと思っています」

辻氏の醸す、超プレミアムな普通酒は今後も進化を続けていきそうですね。

(取材・文/空太郎)

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