長野県塩尻市の歴史ある宿場町・奈良井宿(ならいじゅく)で休眠状態にあった杉の森酒造が、名前を新たに「suginomori brewery(スギノモリ・ブルワリー)」として醸造を再開。2022年2月から、新ブランドの日本酒「narai」の販売を開始しました。

suginomori breweryの新ブランドnarai

休眠して使われずにいた建物全体の再生プロジェクトを通して、宿泊施設やレストランなどを併設するマイクロブルワリーに生まれ変わったsuginomori breweryのこれまでの軌跡を追いました。

「酒蔵のある宿泊施設」のアイデアから始まった事業継承

中山道の宿場町「奈良井宿(ならいじゅく)」に蔵を構え、酒造りを行ってきた杉の森酒造は、江戸時代後期、1793年(寛政5年)の創業。杉の森と木曽の山々に囲まれた奈良井宿で山の水と地産米を原料に日本酒を醸す歴史ある酒蔵です。

奈良井宿の町並み

杉の森酒造があるのは標高約940mの街道沿いのため、“日本一高いところにある酒蔵”ともいわれていました。隣接する鳥居峠は、中山道最大の難所であったこともあり、奈良井宿は当時の旅人に癒しを提供する宿場町として栄え、その町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

かつては「木曽五大名酒」とも呼ばれ、街のシンボルだった杉の森酒造ですが、2012年に約200年の醸造の歴史に幕を閉じ、休眠に入りました。

2020年秋ごろになり、この杉の森酒造を再生して、観光地としての魅力をさらに高めようとする酒蔵再生プロジェクトが本格的に立ち上がります。

当初の案では酒蔵の建物をリノベーションし、宿泊施設やレストラン、温浴施設で構成する計画でしたが、「古民家を再生してホテルや宿屋にする案件が日本全国で増えてきているので、同じようなやり方のままでは観光客を呼び込むのにも力不足」という指摘があがりました。

suginomori brewery蔵元のサンドバーグ弘さん

suginomori brewery蔵元のサンドバーグ弘さん

その助言をしたのが、京町家を改修してホテルにするなど日本の歴史的資源を活用した再生ビジネスで実績のある、株式会社Kirakuのサンドバーグ弘さんです。

小規模複合施設プロジェクト全体の事業アドバイザーを務めるサンドバーグさんは、「再生する対象の建物が長年酒造りを営んできた酒蔵なのだから、建物の一角に酒蔵を残して日本酒を造り、"酒蔵のあるホテル"とした方がストーリー性も生まれ、集客もできる」と、アドバイスをしたのです。

しかし、当時のプロジェクトメンバーの中に、酒蔵経営のノウハウを持つものはいません。そこで、サンドバーグさん自身が名乗りをあげました。

休眠後も酒造免許を持っていた杉の森酒造の蔵元も、「サンドバーグさんのやってきたことと、熱い思いがあるなら酒蔵を任せても良い」と話がまとまり、株式会社Kirakuが杉の森酒造を事業継承することになりました。

杉の森酒造の外観

杉の森酒造の玄関(現在は併設する施設の受付として活用されている)

その後、未経験ながら酒蔵経営に挑戦することになったサンドバーグさんは、酒造りを行ってくれるパートナーを探すため、全国の酒蔵を巡ります。

しかし、コロナ禍で日本酒需要が大きく落ち込んでいる最中で、「とても、それどころではない」「自分の蔵のお酒を捌くのにも難儀しているのに、追加で蔵を預かることは難しい」と、なかなか良い返事をもらうことはできませんでした。さらに、「250平方メートルの酒蔵なんて小さすぎて、採算が合わないのでは」「事業として絶対に成功しない」とまで言われてしまいます。

そんな状況でも、サンドバーグさんは、「成功しないとまでいわれて逆にやる気が増しました。そもそも私の本業のひとつが破綻した企業の事業再生でしたから、日本酒業界で儲かるビジネスモデルを独自に構築するぞと奮起しました」と、振り返ります。

「奈良井宿」の軟水に惚れ込んで

全国の酒蔵をめぐるなかで、サンドバーグさんの話をもっとも前向きに聞いてくれたのが、当時、京都で「澤屋まつもと」を醸す松本酒造の杜氏だった松本日出彦さんです。

2020年秋ごろにサンドバーグさんが訪ねた当初、「蔵が小さすぎるし、標高も高く、気圧の関係で酒造りには向かないのではないか」と、松本さんは不安を感じていました。

酒蔵の目の前にある水場

酒蔵の目の前にある水場

ですが、杉の森酒造が仕込み水に使用していた奈良井宿の軟らかな山水を飲んでみたところ、その味わいに驚き、「この水のテクスチャーは素晴らしい。この水なら上質な日本酒ができるかもしれない。酒造り再開に向けて協力しよう」と、アドバイザーを快諾してくれたのでした。

そうして松本さんが、酒蔵の配置や動線などを計画するのと並行し、全国の様々な蔵人にヒアリングをしながら現場責任者を募る中で名前があがったのが、現在のsuginomori breweryで杜氏を務める入江将之さんでした。

suginomori brewery杜氏の入江将之さん

suginomori brewery杜氏の入江将之さん

入江さんは1985年生まれの36歳。福岡県出身で、23歳の時に「鍋島」を醸す佐賀・富久千代酒造で酒造りのキャリアをスタート。その後、石川や兵庫などの蔵を経て、2016年から松本酒造で酒造りの腕を磨きます。

「酒造りが好きで、いくつかの蔵で経験を積んでから30歳になって松本酒造に入りました。松本酒造では、杜氏でなくても色々なことを試せる環境があり、酒造りのおもしろさを改めて感じていました」と、入江さん。

そんな中、suginomori breweryの話を知り、「自分の積んできた経験と、チャレンジするために蓄積してきたアイディアを活かせるのでは」と気持ちが高まったといいます。

2021年の初夏に奈良井宿を訪れた入江さんは、真っ先に仕込みに使う山から湧き出る清水を飲み、その味わいを確認。そして、コンパクトにして必要十分な設備が並ぶ蔵の計画を知って、「ここで酒造りに挑戦したい」と想いが固まります。

Suginomori breweryの全体俯瞰図

「酒造りというのはいろいろな制約があるものですが、コンパクトがゆえに、ひとりですべて責任をもって担えるのでタブーはない。自分でやりたいように酒を造れる魅力に、迷わず奈良井宿に移り住むことを決めました」と、入江さんは話してくれました。

「narai」を地域が誇れるブランドに

suginomori breweryのブランド名は、「narai(ナライ)」です。由来はもちろん、酒蔵のある「奈良井宿(ならいじゅく)」からインスピレーションを受けています。サンドバーグさんは、新しい日本酒の誕生に強い意欲を見せています。

suginomori brewery「narai(ナライ)」

suginomori brewery「narai(ナライ)」

「奈良井宿は、数多くの伝統的建造物が約1kmに渡って町並みを形成する日本最長の宿場。通り沿いは、歴史と文化を感じる美しい町並みです。そんな町に住んでいる人たちの多くが、新たな杉の森酒造の誕生を喜んでくれています。

そういった地域の方の想いも踏まえ、地名を新しい銘柄にしようと決めました。また、ウイスキー等のブランドでもよくあるように、地名が銘柄になることで地域が誇れるブランドに、そして世界的にも知られるようなブランドに育てていきたいです。そして、銘柄をきっかけに奈良井宿を知り、実際に足を運んでくれる人が増えてくれれば、観光の活性化にも繋がると考えています」

まずは、長野県安曇野産の酒米と宿場町の営みを支えてきた天然の山水で醸す「narai」を基本に、様々な実験を重ねていく方針です。

酒蔵内部に描かれた旧・杉の森酒造の仕込み蔵

内壁に描かれた旧・杉の森酒造の仕込み蔵

新しく生まれ変わったsuginomori breweryは、設備や道具の一つひとつにもこだわりが現れています。

四角い木製の甑

例えば、理想的な蒸し米のために考案したという四角い木製の甑(こしき)です。蒸す米をなるべく厚くならないように張り込めるので、蒸しムラが起こりにくいと言われています。

また、標高が高く山に囲まれた冷涼な気候で自然放冷が可能なため、蒸した米を冷ます放冷機はありません。甑も動かしやすいようにキャスターをつけるなど、小規模な製造環境を最大限活用しています。

suginomori breweryの麹箱

麹造りでは箱麹方式を採用。洗米は小ロットでの洗いにこだわり、MJP式の超音波ジェット洗米器は、量の多い仲仕込みと留め仕込みの掛米だけに使います。

蔵では、最新の設備だけでなく、杉の森酒造で使われていた機器や道具も手入れをされて使われていたのが印象的です。

suginomori breweryの仕込みタンク

3,000リットル以上の大型タンクで大量生産する酒蔵が多いなか、suginomori breweryでは900リットルと1,800リットルの小型タンクを使用していました。その理由を「自分の目が行き渡る小規模の酒造りをするため」と入江さんは話します。

搾りは、小型の仕込みタンクと同じく低温の環境が整った冷蔵室で行い、すべて瓶詰め。ボトルは表面に直接印刷した特注のものを使い、デザイン性とラベル貼りの手間を省くという工夫の両立がされています。

suginomori brewery杜氏の入江将之さん

基本的にすべての作業を担う入江さんは、目指す酒質について「飲んだ時に多少のガス感を感じ、それに負けないしっかりとした輪郭とボディがあるお酒。酸は前向きに受け止め、旨味も考慮したお酒を造っていきたいですね」と、意欲を見せていました。

suginomori breweryの日本酒は、2021年10月に仕込みを開始し、仕込みタンク1本目の醪は、2022年1月に上槽されました。記念すべきファーストバッチはクラウドファンディングでの返礼品として応援購入された方に送られ、一般販売は2月10日から始まりました。

小規模の酒蔵で四季醸造をする意味

suginomori breweryは、「見せる酒蔵」として、宿泊施設、レストラン、テイスティングバー、温浴施設で構成された小規模複合施設のなかでもユニークな存在となっています。

「建物全体では酒蔵のほかに、宿泊施設やレストランが併設されています。レストラン『嵓 kura』の壁の一部はガラス張りになっていて、お客さんが麹室や作業風景を眺めることができるんですよ」と、サンドバーグさん。

suginomori breweryの仕込みタンク

レストランでは、近隣の山で育った山菜や地域の生産者が手がける野菜、魚類など、旬の食材や地域ならではの素材を使用し、奈良井宿に受け継がれる郷土料理や調理法といった食文化をアレンジしたメニューを構成していきます。ここでは「narai」も味わえる予定です。

宿泊施設「BYAKU Narai(ビャクナライ)」との連携にも力を入れる方針で、宿泊者を対象にした酒造り体験なども企画中です。

話をするサンドバーグさん

suginomori breweryのこれからの展開について、サンドバーグさんは次のように話します。

「『narai』は、国内外に幅広く、積極的に情報発信をしながら直販を中心に販売ルートを広げていく予定です。ありがたいことに、すでに多くの酒販店やレストランから扱いたいとのオファーをいただいています。

また、小型タンクを使った仕込みのメリットを活かしてご希望のお客さまにはタンク単位での販売も行います。たとえば、企業の得意先への贈り物といった新たな日本酒の需要をどんどん掘り起こしていきたいですね」

事業再生を通して、これまで数々の実績を積んできたサンドバーグさんは、従来の酒蔵では当たり前だったことも、疑問があれば新しい方法を考えて解決し、短期間で単年度黒字に持っていく構えです。

「小規模の醸造施設で四季醸造ができるメリットは、在庫を予測し製造計画を調整できることです。必要な量の日本酒を臨機応変に醸造できる新たなビジネスモデルを確立できれば、全国各地の酒蔵再生にも活かせ、日本酒業界のひとつの道筋をつくることができます。これが長い目で見たときの目標ですね」

suginomori brewery蔵元のサンドバーグ弘さん(写真右)と杜氏の入江将之さん

休眠中の酒蔵を再生しようと「奈良井宿」に集った、酒造りと事業再生のプロによる小規模でユニークなチーム。日本酒の国内需要が低迷し、地域に根ざした酒蔵が年々減少しているなかで彼らのようなマイクロブルワリーが事業を継承し、新たな酒造りを行うことに希望を感じずにはいられません。

(取材・文:空太郎/編集:SAKETIMES)

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