美味しい日本酒が増えている一方で、"同じような味"の日本酒が増えていないでしょうか。それはもしかしたら、日本酒が精米歩合などの"スペック"に価値を求めてきたからかもしれません。

日本酒には、まだまだ大きな可能性が秘められています。今後、日本酒の市場を拡大させていくためには、スペック以外の価値で語ることが重要になっていくでしょう。そこで今回は、日本酒の新しい価値を探るべく、業界の最前線で活躍する3名に集まっていただきました。

東京国税局 鑑定官室長・宇都宮仁さん、「GEM by moto」店長・千葉麻里絵さん、木屋正酒造の代表兼杜氏・大西唯克さん

左から順に、大西唯克さん、千葉麻里絵さん、宇都宮仁さん

業界全体を技術面でサポートしてきた、東京国税局課税第二部鑑定官室長の宇都宮仁さん、人気銘柄「而今」を造る木屋正酒造の代表兼杜氏・大西唯克さん、"日本酒は宝物"をコンセプトにした広尾の飲食店「GEM by moto」の店長・千葉麻里絵さんです。

日本酒の新しい価値について、大いに語っていただきました。

精米歩合が大きな価値となった背景

宇都宮:精米歩合が大きな価値になったのは、精米の技術が高くなったからです。昭和60年代から精米機の性能が上がって、米を磨く技術が向上したことで、効率も品質も良い精米ができるようになりました。

30年以上前、僕が国税局に入ったころの純米酒は75%くらいの精米歩合で造られていて、酸が高くてとても飲めないようなものもありました。当時、吟醸酒はごく一部の人に向けられたお酒だったんです。米を磨くことによって、口当たりがなめらかで、雑味のない味わいが表現できるようになりました。精米歩合の価値は、当時の誰もが理解できたと思いますよ。

東京国税局 鑑定官室長・宇都宮仁先生

千葉:最近は、低精白でも美味しい日本酒がたくさんありますよね。

宇都宮:精米に加えて、洗米の技術が向上したからね。洗米は第2の精米というんだけども、高性能の洗米機が登場して、米をきれいに洗えるようになって、雑味の少ないお酒を造れるようになったんです。

大西:うちの場合、精米歩合の価値軸からは離れていると思います。「而今」ファンは、酒米の違いを楽しんでくれています。私の考えでは、旨味と余韻の美しさがもっとも表現できる精米歩合は45~55%くらい。磨きすぎてしまうと、米の個性がなくなってしまう気がするんです。精米歩合の競争は、造り手が値段の高い商品を売るための手段としたことから起こったのかもしれません。

宇都宮:米を磨くこと以外に、値段を高くつける理由が見つからなかったのかもね。

千葉:精米歩合のような数字のほうがお客さんにとってもわかりやすいのだと思います。でも、精米歩合1%のお酒が出てきたことで、その競争も終わってしまった

日本酒を"作品"として表現する

千葉:「GEM by moto」に来てくれるお客さんには日本酒ファンもいますが、ワインが好きだったり、単純に美味しいものが好きだったり......日本酒のことはよくわからなくても、店の世界観を気に入って来てくれる人が多いです。だからこそ、スペックを説明するよりも「この蔵はこういう"作品"を造っている」「こういうアーティストなんだよ」と、勧めるようにしています。

「GEM by moto」店長・千葉麻里絵さん

大西:僕らが造る酒を"作品"と言ってもらえるのは、すごくうれしいです。

千葉:精米歩合の価値ばかりが高まってしまったのは、造り手ではなく、伝え手の責任だと思います。造り手には、ひたすら酒造りに集中してほしい。なぜなら、造り手は日本酒を造った時点で、すでに充分な思いを込めているんです。その造り手から受け取った日本酒をどう伝えていくか。それが、飲食店や酒販店の役目だと思います。

大西:日本酒を通して何を表現したいのかが大事ですよね。酒米、精米歩合、水、酵母......同じ条件で造っても、造り手によってまったく違う味になりますから。"作品"と呼べるものを造っていきたいと強く思いました。

宇都宮:海外でも日本酒が売れるようになってきたけれど、外国人にスペックの話をしてもまったく伝わらない。向こうの人たちは、造り手がどんな気持ちで造っているのかが知りたいんだよね。

「地酒」から「自酒」へ

宇都宮:酒蔵の周辺で育てた米や自家栽培米を使用する酒蔵が増えましたが、"地域性"にこだわりすぎているようにも感じられます。

大西:僕も同じ意見です。地域性を言い過ぎているところがある。「地酒」はもはや、"地方の酒"や"地域の酒"という意味だけでは捉えきれません。同じ水を使っている近所の蔵でも、できあがる日本酒は同じ味じゃない。だからこそ「地酒」ではなくて、自分たちが意思をもって造る「自酒」に変えていかなければならないと思います。

木屋正酒造の代表兼杜氏・大西唯克さん

千葉:大西さんの造りたい世界観が地元の米を使うことでしか表現できないという結論なら、とてもかっこいいと思います。

宇都宮:地元の米を使うにしても、その選択はどこからきているのか。地元の環境を守るためなのか。自分の造りたいお酒に最適だからなのか。ストーリーを伝えていかないとね。

最近は、北海道の「彗星」や岩手県の「結の香」、山形県の「雪女神」など、いろいろな酒米が開発されています。ある程度まで米を磨いて、低温で発酵させ活性炭濾過を極力せずに造る。醸造技術が安定してきたことで、米の違いや田んぼの違いが感じられるようになっていくのではないかと期待しています。

大西:酒屋さんが冷蔵庫で保管してくれるようになったことも大きいですよ。そのおかげで、活性炭濾過をしなくても安定した酒質の商品を届けることができるようになりました。

宇都宮:ピュアで繊細。きれいなお酒を造る技術が発達して、米の個性が出やすくなってきたのだと思います。日本酒は伝統産業だけど、さまざまなイノベーションがあって、今の日本酒がある。芸術品でありながら、それを支える技術も発達したんです。

大西:日本酒はテクニックであり、アートであり、サイエンスでもあるんですね。

「自分の納得するお酒を造って、人を喜ばせたい」

宇都宮:日本酒の新しい価値に関して、ふたつ考えがあります。ひとつは、私たちは日本酒を情報といっしょに飲んでいるということ。消費者が求める情報やストーリーは大切な価値です。ただ、品質の落としどころ。造り手が期待するものと消費者が期待するもののバランスですね。

「精米歩合が35%だから、5,000円で売れますね」という価値観から開放されたときにどんな日本酒造りを目指すのか、それは個々の蔵で考えていくしかない。答えのない世界でしょう。

木屋正酒造の作業風景

大西:僕は、杜氏としてお酒を造っていますが、経営者でもあります。酒造りに携わって16年、毎日同じことの繰り返しで、しんどいことも多いんです。造る量を増やすと、そのぶん労力も増え、精神的にも体力的にもキツくなってくる。何のためにお酒を造っているのかと考えたとき、僕のまわりにいる農家さんや酒屋さん、飲食店さん、お客さん......みんなを幸せにしたい、人の役に立ちたいってことなんだと。

そう思ったときに、もっともっとがんばれる気がするんですよね。自分の納得するお酒を造って、人を喜ばせたい。

もうひとつ、最近、商品寿命が短くなっているのが怖いです。市場が新しいものを求めすぎているのだと思いますが、新商品がバンバン生まれては消えていく。短命で終わってしまう商品ではなく、「リピートしてくれるファンがいるかどうか」も商品としての価値だと思うんです。酒米を育てている農家さんのことも考えれば、蔵が継続的に発展していかないと。

宇都宮:サステナビリティですね。

Gem by Motoで接客をする千葉麻理恵さんの写真

千葉:私が蔵元さんに求めるのは「どういうお酒が造りたいか」という造り手の思想ですね。その答えが明確な人は、意外と少ないんです。「こんなお酒を造りたい!」という思いが込められたお酒は、飲んだときに感じるパワーが圧倒的に違っていて。多少のオフフレーバーがあったり、上手くいかなかったシーズンがあったりしても、かわいくてしょうがない。そのお酒がちょっと甘すぎたら、少ししょっぱい料理に合わせるとか、なんとかしてあげたいって思えるんです。そういうお酒とは、心中するくらいのつもりでやっています(笑)。

極端な話、店で売れないお酒はありません。お酒の味わいは、組み合わせによって無限に変化します。提供するときの言葉、料理、酒器、空間、音楽......だから、話題のお酒をただ仕入れて売れればいいなどといったスペックや他人の評価ではなく、自分が気に入ったお酒をしっかりと自分の言葉で伝えることが大事だと思います。

伝え手がつくる価値

千葉:日本酒の価値として、「時間軸」の考え方もありますね。熟成させることで、新酒にはないスパイシー感やオイリー感、そして複雑味のある香りが、料理と組み合わせたときに力を発揮してくれます。古酒の味わいや香りがネガティブに捉えられてきた側面もありますが、ポジティブな表現に変えていきたいですね。

木屋正酒造の代表兼杜氏・大西唯克さんと「GEM by moto」店長・千葉麻里絵さん

大西:熟成させる温度によって状態が変わってしまうので、どんな環境で熟成されたのかを明確にしないと、飲食店さんもお客さんもわからないですよね。

宇都宮:カテゴライズが明確じゃないと伝わりません。たとえばワインの世界では、マデイラやシェリーなどのように造り方や味わいごとにジャンルをつくってしまうんです。日本酒は、熟成酒といっても吟醸酒を低温貯蔵した繊細なものから重厚な香りと味をもったものまであるので、わかりづらくなっている。

大西:僕の好きなカメラの世界でも、スペック競争になると、解像度に行き着いてしまう。でも、オールドレンズには深みがあって、アート性みたいなところで楽しめる。そういう価値がわかってもらえるといいのですが......。

千葉:日本酒業界の人たちも、日本酒の世界にばかりいないで、いろいろなものを見て、いろいろなものを食べないと。限られたものしか食べていないと、許せる味が少なくなってくる。味覚の経験値は、酒造りにも出ますよね。

宇都宮:日本酒はお酒単独での美味しさを求めすぎている。世界には、日本酒に合う料理がたくさん存在するので、もっと広げていかないと。世界は日本酒を待っています。「日本酒には、欠点を表す用語しかない」とよく言われますが、サービスをするための日本酒用語が、今までなかったんですよね。

利き酒師のテキストとテイスティング用の日本酒の写真

千葉:「ポジティブな言葉で伝える」と言いましたが、なんでもかんでもポジティブに言えばいいということではなく、専門的な裏付けをもって、ポジティブな表現をしていかなければなりません。

宇都宮:そういう勉強が、特に伝え手には足りていないかな。

大西:造り手は酒蔵にずっとこもっているから、自分の体臭がわからないのといっしょで、自分で造ったお酒の香りがよくわからなくなる時があるんですよね。外に出て客観視すると、自分でも気が付かなったことを教えてもらえます。

宇都宮:造り手と伝え手がいっしょに日本酒を伝えていくことが、一番大きな価値になるかもしれませんね。

日本酒の価格は安すぎる?

宇都宮:1本2〜3万円の日本酒を造ろうとしたとき、精米歩合以外の価値として何をもってこれるか。熟成なのか、原料米なのか......。

大西:価格は商品に対する自信の現れでもあるから、造り手みんなが自信をもたないと、全体の価格が上がっていかないですよね。ひとりでやると浮いちゃって「あそこの酒は高い」とか言われる。

東京国税局 鑑定官室長・宇都宮仁先生、「GEM by moto」店長・千葉麻里絵さん、木屋正酒造の代表兼杜氏・大西唯克さん

大西:日本酒に携わっている人たちが、あまり休みをとれていないのも問題です。酒屋さんも飲食店さんも、週休2日のところはほとんどありません。実際、僕も酒造り中は半年くらい休みがないんです。もちろん社員は休んでもらっていますが、正直、人員に余裕がないのが現状です。理想的な働き方をするには、値段も少しずつ上げていきたい。そういうシステムをつくっていかないといけません。

千葉:次につながっていかないですよね。

大西:「日本酒に携わると幸せになれる!」ぐらいの世界じゃないと。

千葉:四合瓶で1~2万円のお酒を造っても、お客さんがついている蔵は売れると思う。ただ、飲食店が一番困ると思うんですよね。グラス一杯の値段を50円上げるだけでも怖いんです。ワインのソムリエは、お客さんの前でプレゼンして、5万円でも10万円でもちゃんと売る。造り手の哲学や専門的な知識をしっかり勉強しているから、本当の価値を伝えられるんです。この差は大きいと思う。

大西:造り手と同じで、多くの飲食店も何をしたいのかもっと主張すべきですよね。

千葉:私は少し目線を変えてみようと新しい試みをしています。永山本家酒造場(山口県)とコラボして「貴 純米大吟醸生酒 ゴリさんボトル」という日本酒を造って、価格を四合瓶で3,240円にしたんです。SNSの反応をみると「高い!」という声もあったけど、実際、あの値段でもギリギリでやっています。

付属のQRコードからアクセスして見る映像には、映像監督やデザイナーが関わっているので、ひとつの作品なんです。高いと言う人は「山田錦の精米歩合50%」「原酒」「アルコール度数14度」みたいな、スペックの情報しか見ていただけていないのかもしれませんが、日本酒をあまり飲まれてない人たちに新しい楽しみ方を提案したいと思っています。

千葉麻理恵さんが立ち上げたdotsakeprojectの第一弾日本酒

宇都宮:批判されてもいいっていう覚悟を決めることが大事だよね。言う人は絶対言うから。酒蔵・酒販店・飲食店が、少し高くても良いものを造って売っていく覚悟をもつこと。「GEM by moto」に来るお客さんだって、安いから来ているわけではないでしょう。体験とか驚きとか、日本酒の新しい価値を見つけに来ている。

千葉:そうですね。飲食店では一期一会の体験をお客様に与えるのが価値になります。造り手はラベルやパッケージにお金をかけることも、価値につながると思います。ただ木箱に入れるだけでなく、瓶そのもののデザインも含めて。デザイナーと組んでいる酒蔵も増えてきました。

大西:これまでは、お酒を造ることだけで精一杯だったんですよね。やっと最近、デザインを勉強したり、外部のパートナーに依頼したりできる余裕が出てきたので、積極的に取り組んでいきたいです。ただ、ジャケットがワインっぽくなるのはイヤなんですよね。日本酒らしさを感じながらもかっこいいものを目指します。

日本酒の新しい価値とは?

今回、日本酒業界を牽引する3名の方々と、日本酒の新しい価値について考えてきました。日本酒の価値を決める大きな軸となっていた精米歩合などのスペック競争から日本酒が解放されたとき、私たちは日本酒にどんな価値を見出すことができるのでしょうか。

もちろん、スペックもひとつの価値であることを認めつつ、造り手、伝え手、そして飲み手のそれぞれが、もっと自由に日本酒を捉えていくべきなのかもしれません。

(文/橋村望)

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