およそ40年前まで、日本には、何年も熟成させて楽しむ日本酒がほとんど存在していませんでした。しかし、日本酒の歴史を振り返ると、鎌倉時代にはすでに3年熟成の酒があり、江戸時代には5~10年寝かせた熟成古酒が造られています。

明治時代になると、政府の税制によって、年を越して熟成させる酒が姿を消してしまいますが、昭和40年代に入ると、熟成古酒に挑戦する酒蔵が再び現れ始めました。この"熟成古酒の失われた100年"を、日本酒造りの歴史とともに振り返っていきます。

前回の記事では、江戸時代の川柳や浮世草子に描かれた熟成古酒について紹介しました。今回は江戸時代の文献から、熟成古酒の価格や評判についてみていきましょう。

江戸時代の酒って、おいくら?

文政年間(1818~1829年)に出された『江戸買物獨案内』という、現代におけるチラシのような印刷物に、酒売場の案内として、酒の銘柄と一升分の価格が載っていました。

「江戸買物獨案内」

「大國酒 代三百三十二文」「布袋酒 代三百文」「明乃鶴 代二百六十文」など、目玉商品が大きく書かれているほか、清酒や焼酎、梅酒、保命酒、味醂(みりん)など、さまざまな酒類とその価格が書かれています。

「九年酒 代十匁」「養老酒 代七匁五分」「七年酒 代五匁」「六年酒 代六匁」......もっとも高価格な砂糖あわもりが代二十匁、次いで、尾州の藤袴が代十二匁。対して安いものは、高砂の代百八十文。実に幅広い価格が付けられていたようです。

九年酒の価格(代十匁)は一般的な清酒の2倍以上。しかし、七年酒の代五匁に対して六年酒が代六匁であることから、熟成の年数だけでなく、その品質が価格に反映されていたことがわかります。

江戸時代の貨幣は、金一両が銀貨で六十匁、銭貨で四千文でした。仮に、金一両を現在の10万円とすると、銀一匁は1,666円、銭一文は25円。つまり、安い酒は約4,500円、九年酒は約17,000円、もっとも高い砂糖あわもりは約33,000円という価格で売られていたと考えられます。

同じ時期に出された『江戸町中喰物重宝記』では、清酒・焼酎・果実酒などの酒類に関係なく、味わいを「甘口」「中から口」「極から口」に分類し、それぞれの価格を表示しています。

「甘口」には、梅酒・くこ酒・菊花酒をはじめとした果実酒や龍眼酒(甘酒)などが載せられ、価格は七~十匁。現在の貨幣価値で、10,000〜17,000円と、かなり高価格になっています。

「中から口」に分類されているのは、家康が愛飲したとされる忍冬(スイカズラ)酒や、チラシのなかで最高の値がついていた砂糖あわもりなど5点。それぞれ、九匁(約15,000円)、十五匁(約25,000円)の価格です。

「極から口」に載っているのは、十二匁(約20,000円)のあわもりや、七匁五分(約12,500円)のしゃうちうや九年酒からはじまり、三年酒や龍田川、しらぎく、満願寺などほとんどの清酒が三匁(約5,000円)、さらに安い高砂は百八十文(約4,500円)でした。

江戸の商人がつくったチラシから、江戸っ子たちが多種多様な酒を楽しんでいたことや、熟成酒が格別珍しいものではなかったことがわかります。

将軍も虜にした熟成古酒の魅力

『旧事諮問録』は、江戸末期の政策や財政などを、それぞれの担当者から直接聞き出した貴重な記録です。

14代将軍・家慶に仕えた奥女中の佐々鎮子(さっさしずこ)は、将軍が酒を飲むときの様子や、その酒が何年間も熟成させた特別な酒であったことを話しています。

慎徳院(家慶)様はお酒盛りの時、私どもへ、甘いものがよいか辛いものがよいかと仰いますので、甘いものと申し上げるとご機嫌が悪うございますから、辛いものと申し上げますと、お燗鍋で、お手ずからお注ぎ下さるのでございますが、それが大きなお吸い物椀の蓋などでお受けするものでございますから、ザアッと強くお注ぎ遊ばすと、モウあなた、袂の中までも流れ込むのでございます。それがまた大層お慰みになるのでございました。慎徳院様はそういうお方でございました。その酒は御膳酒と申して、真っ赤な御酒でございます。嫌な匂いがいたしましてネ。あれは幾年も経った御酒でございましょう。

『真っ赤な御酒』は、まさに濃熟な熟成古酒そのもの。『嫌な匂い』という表現から、奥女中の彼女には好ましくない酒だったようですね。しかし、時の最高権力者が好んで飲んでいたことを考えると、決して不味いものではなく、何らかの魅力をもった酒だったのでしょう。

また、『訓蒙要言故事(くんもうようげんこじ)』の「祇園会」のくだりには、以下のような記述があります。

京童が言うに、古酒を祇園會(ぎおんえ)と云い新酒を御霊祭(ごりょうさい)と云。なんとなれば、古酒は味が濃くて、体全体がうるおうように酔う、ちょうど祇園大社の祭が上京、下京共に賑わう様子と似ている。新酒は味が薄くて、頭ばかり酔って体は全然酔わない。御霊の小社の祭が上京ばかり賑わって、下京は寂しいのと同じだ。

飲んで美味いだけではなく、体全体が潤うように気持ち良く酔う古酒に対し、新酒は味が薄く、頭しか酔わない。それを、京童にとってもっとも身近な祇園祭と御霊際に例えて、わかりやすく表現しています。

これはまさに、熟成古酒の大きな特徴といえるかもしれません。日本酒関連のイベントでは、ついつい飲み過ぎてしまう参加者が少なくありませんが、熟成古酒を中心に提供している会では、悪酔いをする人がほとんどいないようです。

(文/梁井宏)

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