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江戸っ子を魅了した灘酒(なだざけ)──美酒を生み出すことができた8つの理由とは?

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江戸時代後期、灘の酒が名実ともに日本一となったのは、江戸っ子を満足させる美味い酒を造る技術と、その需要に見合う供給体制のおかげでしょう。

歴史を振り返ると、灘酒が人気を博した理由として「西宮の水」「摂播の米」「吉野杉の香」「丹波杜氏の技術」「六甲の寒気」「摂海の湿気」が挙げられます。ここに「六甲山の急流」と「千石蔵による生産体制」を加えてもよいかもしれません。

灘の銘酒が生まれた8つの理由

1. 西宮の水

櫻正宗の当主・山邑太左衛門によって発見されたといわれる「西宮の水」。六甲山を源とする武庫川、夙川(しゅくがわ)、御手洗川(みたらしがわ)など、六甲山の花崗岩(かこうがん)を通り抜けてきた伏流水が、西宮・浜方の一角で海水と微妙に混じりあって湧き出す地下水です。

「西宮の水」は麹や酵母の栄養として欠かせないカルシウムやカリウム、リン酸などを適度に含みつつ、害となる鉄分をほとんど含みません。酒造りに適した水であったことから「宮水」とも言われてきました。灘の酒を支えた貴重な水ですね。

2. 摂播の米

江戸時代初期は摂津や播州などで収穫された地元米のほかに、全国的な米の集散市場である大阪・兵庫に近い立地条件を活かして、備前米、北國米、広島米、淡路米、讃岐米、備後米なども酒造りに使われていました。しかし時代が進むにつれて、再び地元の摂津米や播磨米への集中度が高まっていきます。

酒造好適米の最高峰とされる「山田錦」は、大正12(1923)年に、兵庫県立農業試験場で「山田穂」を母、「短稈渡船」を父として人工交配を行い、選抜固定を繰り返すなかから生まれたもの。昭和11(1936)年に「山田錦」と命名されました。

3. 吉野杉の香

当初、4斗の杉樽に詰められた灘の酒は、馬の背に乗せて陸路で輸送されていました。やがて、菱垣廻船や樽廻船などに積み込まれ、海路を使って江戸まで運ばれるようになります。

杉樽に詰められた酒は、馬の背や船内で揺られながら運ばれていく間、杉の香りを移すと同時に熟成が進み、江戸っ子たちを虜にする美味い酒になりました。

16世紀の終わりごろになると、この杉材を使った大桶がつくられるようになり、それまでの甕(かめ)による、100キロに満たない仕込量が1~1.5トンへと拡大します。大桶によって大量生産が可能になり、灘酒の発展に大きく貢献しました。

樽材として杉が使われたのは、その香りの良さだけではなく、木目に沿って簡単に割ることができるため、加工しやすかったことも挙げられます。竹の輪(タガ)で締めると酒が漏れる心配もなく、運搬しやすい点も大きなメリットでした。

4. 丹波杜氏の技術

諸白造りや寒造りが主流になる中、高度な技術を持った杜氏集団として丹波杜氏の存在が大きくなっていきます。

  • 酛期間と、醪期間に分ける作業方式
  • 「ぎり酛」と称した、酛を短期間に仕上げる技術
  • 酛や醪に応じた麹の老(ひね)、若の使い分け

など、酒の品質を上げながら作業効率も高める技術に加え、同じ米の量からより多くの酒を造る仕込み配合の改善など、現代における酒造りの基本となった多くの技術が生み出されました。

春から秋は米づくりに従事し、冬になると灘へやって来て酒造りに励んだ丹波杜氏は、その高い技術で日本一の酒造地・灘を支えたのです。

5. 六甲の寒気

六甲山を後ろに控える灘地区は、気圧配置が西高東低の冬型になると、西からの季節風が明石海峡で収束し、山沿いに強く吹き抜けます。「六甲おろし」と称されるこの寒気が醪の発酵温度を抑え、雑菌による汚染を防いでくれるため、酒造りに最適の環境が生まれました。

6. 摂海の湿気

大阪湾からの湿気は「六甲おろし」による冬の乾燥を適度に防いでくれます。現在のように温度や湿度を自動で調節できなかったころは、このような自然環境を味方につけることが、良い酒を造るための必須条件だったのでしょう。

7. 六甲山の急流

諸白造りが始まったことで精米の必要性は高まりましたが、従来の人力による足踏み精米は膨大な労力を必要とするうえに、その精米歩合にも限界がありました。せいぜい90%程度だったようですね。

そこで目を付けたのが、近隣の農家が菜種油を搾るのに使っていた、六甲山の急流を利用した水車です。

天明期(1781~1789年)に始まった、この六甲山の急流を利用する水車精米の活用によって、精米技術が飛躍的に向上。酒米をより削れるようになり、酒の品質を一気に高めることができました。また、一定時間内により多くの精米ができるようになり、大量生産と生産コストの削減を同時に実現することに成功したのです。

8. 千石蔵による生産体制

酒造りに最適な厳冬期に1日10石(1.5トン)の仕込みを100日間繰り返すことで、ちょうど1,000石(150トン)の酒を造ることができた大きな蔵を「千石蔵」と呼んでいました。

1日の仕込量が10石に決められると、白米を洗う、釜で米を蒸す、桶に仕込む、槽で醪を搾るなど、一連の作業とそれに必要な装置がすべて標準化されます。その結果、人員の配置や作業時間の割り振りなど無駄なく行うことができ、酒の品質を落とすことなく、100日間で1,000石の酒を造ることができたわけですね。

酒の需要が増えてくると、新しく千石蔵を建て増すという方式が採られ、人気銘柄ともなると、この千石蔵が何棟も建ち並ぶことになりました。

(文/梁井宏)

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梁井 宏

金沢の創業1625年の老舗酒蔵で、40年余りにわたり、酒造管理、商品開発、市場開拓などに携わってきました。同社を退職後は、酒関連の情報収集と併せ、現役時代からこだわってきた、「熟成古酒」の啓蒙活動に力を入れています。