今宵もまた、文学作品から晩酌のお膳立て。今回は、この連載でもお馴染みとなった池波正太郎作「鬼平犯科帳」から見つけた、柿の新しい楽しみ方を日本酒とともに味わいます。
興味を惹かれた料理が登場する作品は、主人公・長谷川平蔵が旧知のもと女郎おかねに端を発し、ある敵討ちに手を貸すというストーリーです。
平蔵はおかねと因縁のある浪人・新五郎に会うため、彼が寄宿している寺を訪ねます。実は、新五郎は平蔵が若いころに通っていた道場の同門であり、心休まる友人として親交を深めてきた仲でした。
中へ入って、新五郎は、すぐに酒の支度にかかった。
平蔵が持って来た柄樽の酒を、新五郎は押いただくようにして、
「躰が弱いくせに、これだけは、どうしてもやめられませぬ」
「のみようによっては、百薬の長ともうします」
「はい、はい」
小坊主が柿を剥いたのへ味醂をかけまわしたものを運んできた。
一口食べて、
「これはしゃれたものだ」
平蔵は、はじめての味わいに感心をした。
「坊さんというのは、あれで食べものには、意外な工夫をいたしますよ」
「なるほど」
「ま、一つ」
「いただきまする」
「燗のぐあいは?」
「結構でござる」池波正太郎 鬼平犯科帳(新潮文庫)「おかね新五郎」より
食通の鬼平が「はじめて」だと話す料理とはどんなものなのでしょうか。私自身、柿なますは食べたことがありますが、柿にみりんをかける食べ方は知りませんでした。期待が膨らみます。
「柿のみりんがけ」を再現
まず用意するのはみりんですが、時代を考えると、昔の製法で造られた本物の本みりんを使用します。"本物"とは少しおかしな言い方ですが、昔ながらの本みりんと安価で売られているみりん風調味料とでは、材料と風味が異なるのです。
まるでシロップのような、とろりとした口当たりと甘さを感じる本みりん。かつて、嗜好品として飲用されていたことも頷けます。
これを調味料として用いるとは、当時としては贅沢なことだったでしょう。
柿を短冊状に切って、みりんをかけ回します。
頬張ると、みりんの甘味と旨味をまとった柿が、口の中を瑞々しく満たします。鬼平同様、初めての味わいに驚きです。
文中の「坊さんの意外な工夫」とは、甘さの足りない柿を美味しくするための知恵なのか、あるいはおもてなしのための贅沢品なのでしょうか。いずれにしても、これを季節感の描写に生かす作者ならではの技法は、毎度お見事としか言いようがありません。
みりんのコクと「天狗舞」のコクを合わせる
さて、これにはどんな酒が合うでしょうか。
甘酸っぱい果物には吟醸酒という定石を踏むべきと思い、吟醸酒を用意しましたが、柿は甘酸っぱいというより単に甘く、酒の酸味が反発するようです。また、柿の渋のようなものが酒と複雑に混ざり合い、舌触りに違和感を残します。
甘いものには甘いものと考え、貴醸酒も試してみました。すると、確かに同調は感じられますが、デザートの水菓子と食後酒といった組み合わせになってしまい、小説の世界観とともに楽しむという本来の目的とはイメージが異なります。
そんなとき、「みりんのコクには、生酛造りのお酒が持つコクが合うのでは」と酒屋から提案されたのが、「天狗舞 生酛仕込 純米酒」でした。
この酒は燗にもぴったりで、広い温度帯で楽しむことができます。また、生酛の中でも華やかな味わいがするタイプではなく、昔ながらの生酛の味わいが楽しめる1本です。シーンの再現にイメージも合いそうだと感じ、これに決めました。
旨さの想像を掻き立てる山吹色の酒を、まずは常温で。香りはおだやかで深みがあり、ふくよかな酸を予感させます。一口含んでみると、濃醇な酸味とともになめらかなコクが口の中に広がります。そして複雑味が後に残り、余韻は長めです。
しかし、肴の甘みと交わると、酸味がぐっと強くなり、複雑味は若干苦みを増したよう。みりんとぶつかっているのでしょうか。相性を探ってみると、どうも腑に落ちないものがあります。
次に試したのは、人肌ほどの燗。酒はじゅわっと酸味をふくらませます。肴を食べると、常温のときより格段に寄り添い合っているようです。柿の後味を残した状態で飲み直せば、酒の旨味をさらに感じます。酸に口が慣れてきたのでしょうか、常温よりも飲み口と喉越しがなめらかです。
「これで決まり」と思いましたが、50℃あたりの熱燗にも挑戦。すると、酸味や旨みがまとまって、ドライな飲み口に転じました。酒自体はとても旨いのですが、質感が軽いぶん、肴の甘みが酒をいたずらに覆い隠し、相性のきっかけは失われてしまいます。
再び人肌ほどの燗で飲むと、先ほどよりも酒と肴の関係がなめらかに。この温度帯が良いと感じ、ようやく腑に落ちました。少し冷めるにつれて、さらに酸味と旨みのバランスが華やかになります。これぞ生酛という味わいも堪能でき、肴の甘みと酒のコクが自然に引き立っているのが感じ取れました。
鬼平に「結構でござる」と言わせた燗は、どんな具合だったのでしょうか。そんなことを思いながら、「天狗舞」で楽しむ燗の面白さはまた格別でした。
(文/KOTA)