2017年6月、菊正宗酒造の歴史に新たな1ページが加わりました。代表取締役副社長を務めてきた嘉納逸人(はやと)さんが、父・毅人(たけと)さんに代わり、代表取締役社長に就任したのです。

この社長就任を機に、かつて菊正宗当主に受け継がれてきた"名跡"を襲名。嘉納逸人改め、第十二代嘉納治郎右衞門(じろえもん)となりました。当代の祖父や父は引き継ぐことのなかったという名前を、なぜ今、襲名することにしたのでしょうか。

決意新たに事業へ臨むその心境や、現在菊正宗酒造を取り巻く市場環境、そしてこれからの戦略などを、社長ご本人にじっくりと伺いました。

今だからこそ改めて感じる、伝統の魅力

近年、既存イメージにとらわれない新機軸を打ち出し続けている菊正宗酒造。2015年以降、「辛口のキクマサ」「生酛造り」の伝統を守りながらも、「百黙 純米大吟醸(2016年4月発売)」「純米酒 香醸(2015年9月発売、2017年3月リニューアル)」「菊正宗 しぼりたて ギンパック(2016年9月発売)」と、新たなブランドをリリースしてきました。そして、これらの商品改革の後、満を持して執り行われたのが32年振りとなる代表取締役社長交代でした。

嘉納治郎右衞門代表取締役社長(以下、嘉納社長)は、その発表についてこう振り返ります。

インタビューに答える菊正宗酒造・代表取締役社長の第12代嘉納治郎右衞門(嘉納逸人)さん

「昨年あたりからずっと父(先代)とは話していたのですが、私自身、同世代の社員たちとともに『百黙』という新たなブランドを立ち上げたこともあって、軌道に乗るまでは副社長としてこの仕事に取り組みたい、という思いがありました。おかげさまでいいスタートも切れましたし、会社としても中期計画の節目であり、新たな計画年度のスタートであるこのタイミングで、新体制を発表したのです」

社長就任にかける意気込みは、45年ぶりとなった菊正宗当主の名跡襲名にも現れています。歌舞伎や落語など伝統芸能の世界では馴染みのある名跡襲名ですが、その多くはいわゆる"通り名"を継ぐというもの。けれども嘉納社長の場合、戸籍上でも改名をするとのこと。まさに不退転の決意が伺えます。

嘉納社長の様子

「祖父は戦後高度成長期、菊正宗が『家業から企業へ』と近代化を果たす中で、製造の効率化、安定供給に重きを置いて、合理的に経営判断を進めていきました。そういった流れの中では、名跡襲名というのは馴染まなかったのかもしれません。父もまたその流れを踏襲し、さらなる品質向上に尽力してきました。けれども効率化され尽くした今の時代だからこそ、改めて伝統の良さを見直し、それを体現するものとして、名跡を襲名することにしたのです」

伝統と革新によって普通酒カテゴリーの再興を

新たな船出を迎えた嘉納社長ですが、現在菊正宗を取り巻く状況について、冷静に捉えています。

「"日本酒ブーム"と言われるように、確かに若年層や女性層、海外からの注目は高まっています。一方で食への関心は二極化しており、グルメ志向の高い方もいれば、SNSやゲームなど娯楽が多様化したぶん、相対的に食への関心が低い方もいる。ライフスタイルや趣味嗜好が多様化する中で、いかに日本酒を"ブーム"で終わらせるのではなく、大きな関心を集めるために、私たちができることは大いにあります」

嘉納社長が重要課題のひとつと考えているのは、普通酒カテゴリーの再興。現在注目されている日本酒の多くは、大吟醸や純米酒をはじめとする特定名称酒。けれども日本酒全体の売上に対し、約35%に過ぎません。

ワイングラスで美味しい日本酒アワード2017で最高金賞を受賞した、菊正宗酒造の日本酒「菊正宗 しぼりたてギンパック」

「例えば、ワインがこうして多くの方に親しまれるようになった背景には、デイリーワインが果たした役割は大きいでしょう。1本数100〜1000円程度で楽しめるのですから。日本酒もまた、気軽に手に取っていただきやすい普通酒を、新たなお客様にも楽しんでいただけるようになれば、より暮らしに根ざした嗜好品になるのではないかと思うのです。普通酒は特定名称酒よりも規定が少ないため、よりチャレンジできるカテゴリーとも言える。ここに、我々の本懐である『伝統と革新』によって、新たな価値創造ができるのでは、と確信しています」

その思いが形となって現れたのが、パック詰め普通酒の「菊正宗 しぼりたて ギンパック」です。低い精米歩合ながら、その華やかな香りと味わいで「ワイングラスでおいしい日本酒アワード 2017」メイン部門において最高金賞を受賞するなど、まさに「パック酒革命」をもたらしています。

ワイングラスでおいしい日本酒アワード2017のメイン部門トロフィー

パック詰め普通酒が、メイン部門最高金賞を受賞するのは史上初

菊正宗酒造がビジョンのひとつに掲げる「伝統と革新による価値創造へ」。それは残すべきものを残し、変えるべきものを変える、信念に基づく判断と選択の繰り返し。時代が移ろう中で、前社長がしきりに口にしてきた「品質本位」「知恵と工夫」という思いが指針になっていると嘉納社長は語ります。

「父が社長に就任してから数年足らずの1988年、業界に先駆けて主力商品のすべてを本醸造化しました。今、社長就任挨拶で全国のお客様と接していると、『キクマサはブレないね』とよくおっしゃっていただくんです。祖父や父が必死に伝統を守りながら、新たな挑戦を選択してきたからこそ、皆様からの信頼をいただいていると思うんです。私もその思いをしっかり受け継いでいきたいのです」

世界へ伝えたい"日本酒のある食卓"という豊かな文化

和食がユネスコ世界遺産に登録されたことで、海外各国でも日本酒への関心が高まっている昨今。海外戦略を強化する蔵元も増えていますが、菊正宗はどんな戦略を考えているのでしょう。

何を隠そう、菊正宗が最初に海外へ輸出されたのは、明治初期。1877年にイギリスへ渡ったのが初めてでした。その後、1967年には米国HEUBLEIN社と代理店契約を結び、1970年には酒造業界で初めて「輸出貢献企業」として表彰されるなど、いち早く海外との接点を作ってきたのです。なかでも中国市場の勢いは目覚ましく、現在、海外売上の約6割を占めているそうです。

インタビューに答える菊正宗酒造・代表取締役社長の第12代嘉納治郎右衞門(嘉納逸人)さん

「中国語で『正宗』というのは、『本物の、正統な』という意味。その言葉のイメージもあって、食への意識の高い中流層やビジネスパーソンを中心に大きな支持をいただいています。また従来は、上海や北京など都市部中心だったのが、最近では内陸部の取引先も増えています。それだけ広く日本料理屋や寿司屋が浸透し、大衆に受け入れられている、ということでしょう。和食を入口に、日本文化そのものへの関心も高まってきています。これからも海外のお客様のニーズに応えながら、さらにこれまで取引のなかった第3国への販売ルートも開拓し、日本酒だけでなく、それにまつわる価値観や文化を伝えたいと考えています」

そして、菊正宗がこれから見据える未来について、嘉納社長は続けます。

「私たちが継承しているのは、まさに"食卓を囲み、酒を酌み交わす"という日本の食文化。食に寄り添い、楽しめる日常の酒こそが日本人のアイデンディティに刷り込まれた世界観としてあるのです。ですから、ライフスタイルが多様化する中でも、菊正宗が江戸時代から培ってきた『生酛造り』という技術や『本流辛口』という味わいは守っていきます。一方で、世代や性別問わず、これまで日本酒になじみのなかった人びとの暮らしにも菊正宗の酒はより添っていきたい。そのために『百黙』や『ギンパック』といった新たなブランドを提案しています。それらを通して、より多くの方に日本酒への関心を持っていただけたらと思います」

晴れやかな門出や祝いごと、あるいは厳かな、静けさに包まれるとき。そして、食卓を囲み、語らう時に、日本酒はいつもそこにあります。日本古来から培われてきた豊かな文化を内包しているからこそ、私たちは日本酒を飲む時、そこはかとない安堵感と高揚感を得られるのかもしれません。

暮らしがめまぐるしく移り変わる時代だからこそ、まずは「食卓で一杯」。菊正宗で一息入れて、日常を振り返ってみてはいかがでしょうか。

(取材・文/大矢幸世)

sponsored by 菊正宗酒造株式会社

 

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