兵庫県・伊丹における酒造りの最盛期は、元禄時代。徳川幕府の開府とともに、酒樽を積んだ江戸行きの船が就航を始め、「伊丹諸白」の名が世に知れ渡りました。「いたみのさけけさのみたい」という回文が江戸町民の間で流行したといわれています。伊丹と聞けば、酒が連想されたのでしょうね。

そんな伊丹で、「伊丹郷町酒ガイド」というイベントが9月10日(日)に開催されました。伊丹郷町商業会の主催で、清酒発祥の地・伊丹を盛り上げるべく、飲食店が中心となって企画されたものです。

3回目の今年は、地元の2蔵元(老松酒造・小西酒造)と県外の6蔵元が出店。残暑の中、町内の飲食店による屋台や蔵元おすすめの日本酒、ステージパフォーマンスなどで大いに盛り上がりました。

「下り酒」発祥の地・伊丹で楽しむ日本酒

会場は、阪急伊丹駅から徒歩5分の三軒寺前広場。ここから伊丹のシンボル・有岡城まで続く石畳の道は「酒蔵通り」として親しまれています。

有岡城といえば、戦国武将・荒木村重の居城で、黒田官兵衛が幽閉されたといわれる城。その少し先を流れる駄六川に、大阪湾まで酒樽を運ぶ船着き場があったとされています。

戦国武将・山中鹿之助の子、山中新六が酒造業を始めた鴻池家は、馬を使って駄六川まで運んだ酒を船で江戸まで送りました。これが「下り酒」の元祖といわれています。地の利を活かし酒造業でにぎわった伊丹郷町は、最盛期には70軒以上の酒蔵が建ちならぶほど、日本有数の酒造都市へと発展しました。

伊丹と日本酒のつながりを紐解いたところで、「伊丹郷町酒ガイド」についてレポートしましょう。

イベントはお昼の12時にスタートしました。屋台には、各飲食店が自信をもって提供する酒のアテが並びます。各酒蔵もとっておきの日本酒を揃え、杜氏みずからがおすすめの酒を案内したり、酒造りのエピソードを話したりしていました。

ブースの一角には伊丹・鴻池生まれのゆるキャラ「たるまる」が登場。伊丹酒をアピールしていました。

全国から銘酒が集結!各蔵元の声をご紹介

夕方からは、蔵元によるセッショントークが始まりました。

「大倉」(大倉本家/奈良県)

伊丹と同じように「清酒発祥の地」を唱える奈良県からやって来たのは、大倉本家の代表取締役兼杜氏・大倉隆彦さん。ほぼすべてのラインアップで山廃仕込みに取り組んでいます。自家栽培米「ひのひかり」などを使用した、個性のある酒を持ってきてくれました。

「100人のうち2人でも気に入ってもらえればそれで良し。これがうちの酒造りですわ!」

相手の懐に飛び込むのが上手く、少々口が悪くても相手を不快にさせない人懐っこさが大倉さんの魅力。その人柄から醸し出される酒は、遊び心に満ちた一癖ある味わいです。多くの方が、100人中の3人目に手を上げたことでしょう。

「るみ子の酒」(森喜酒造場/三重県)

「るみ子の酒」で広く知られる、三重・森喜酒造場の森喜るみ子さん。「るみ子の酒」は、酒蔵を舞台にした漫画『夏子の酒』の作者・尾瀬あきら氏が森喜酒造場のために命名し、ラベルを描き下ろした酒です。

伊丹と伊賀の共通点は江戸時代に活躍した偉大な2人の俳人。「東の芭蕉、西のお鬼貫」と呼ばれた、松尾芭蕉と上島鬼貫でしょう。しかし、「るみ子の酒」の魅力については、五・七・五ではとても言い表すことはできません。

るみ子さんは現在、杜氏の役割を譲り、精力的に各地をまわっています。どこへ行ってもかなりの人気者なのだとか。お話をうかがっていると、酒にまつわる話題が次々に出てきます。そのなかでも、ご自身が忍者の末裔だというお話が印象的でした。忍者の子孫が醸した酒には、どんな秘密が隠されているのでしょうか。秘伝の忍術で仕込まれているのかもしれません。

「白老」(澤田酒造/愛知県)

愛知県知多半島の常滑市で、「白老」を醸す澤田酒造の6代目・澤田英敏さん。「実は婿養子なんです」と、気の優しい笑顔で教えてくれました。

神戸生まれの澤田さんが婿入りしたのは、三河地方で1848年から酒造りを続けてきた伝統ある酒蔵。三河地方といえば、酒だけでなく、みりんや酢、しょうゆなどの発酵食品が盛んに造られた土地です。江戸への下り酒は伊丹や灘から送られたものだけかと思いきや、"知多の下り酒"が灘に次ぐ出荷量を誇った時期もあったのだとか。

澤田酒造では、江戸時代の手法をできるだけ残した手間のかかる酒造りを続けてきました。肝になるのは「麹」。麹米を小分けにして麹蓋に盛り、何度も場所を変えることで温度や湿度を調節しながら、均一に麹菌を繁殖させていくやり方に今も取り組んでいるのです。酒造りで一番たいへんなのは、深夜に起きて行う作業。麹蓋を積み替えるために何度も起きなければならない日々の苦労を話してくれました。

「千代むすび」(千代むすび酒造/鳥取県)

こちらは、鳥取県境港市にある千代むすび酒造で営業課長を務める佐々木翔さん。前日は熊本に出張だったそうで、当日の朝に飛行機で伊丹まで来たのだとか。

千代むすび酒造のこだわりは、何といっても米と水。鳥取県産の酒造好適米「強力」を使っているのが特徴です。一反辺りの収穫量が少ないことや、穂が高く大粒であることから、商業ベースで栽培するのが難しい米といわれてきました。現在は、鳥取県内にある9つの酒蔵が強力を使って酒造りを行っています。

そして、米以上に興味深いのが仕込み水のお話。蔵のある場所が海に近いため、海水の影響を受けてしまう井戸水は仕込みに不向きなのだそう。そのため、島根県にある人里離れた山の麓まで水を汲みに行っているのだとか。冬場の路上凍結によるスリップや崖の脇を通る細い一本道など、数々の危険を背負いながら往復しているそうです。

銘醸地・灘でも、多くの蔵が宮水を運搬して使用しています。昔は"大砲"と呼ばれる手押し車や船を使って夜中に運んでいたようで、水運びは決まって若い衆の仕事でした。1日でもっとも寒い朝方に水を汲んで運ぶ作業が一番辛かったという話も聞いたことがありますね。千代むすび酒造でも水の運搬は若い蔵人の役割だそうです。

「明鏡止水」(大澤酒造/長野県)

長野県佐久市で「明鏡止水」を醸す、大澤酒造の杜氏・大澤実さん。「明鏡止水」という銘柄名のように、澄み切った味わいの酒質を目指しています。職人気質を強く感じさせる雰囲気の方でした。

大澤酒造のおすすめは、"秘蔵酒"と名を打った、酒蔵でしか飲めない酒。こちらはビールサーバーに入れて販売していました。中身は氷点下保存の生酒。「明鏡止水」のイメージをしっかりと感じることができる、自慢の一品でしょう。

「遊穂」(御祖酒造/石川県)

石川県で「遊穂」を醸す、御祖(みおや)酒造の杜氏・横道俊昭さんです。

能登杜氏四天王のひとりである農口杜氏の下で修業し、2005年から杜氏に就任しました。「ほまれ」という銘柄で地元に親しまれてきましたが、県外や海外の市場に打って出るブランド「遊穂」にも取り組んでいます。

横道さんは、消費者の反応を確かめることをとても大切にしているのだそう。造った酒の評価をお客さんから直接聞くことが、一番のモチベーションなんだと話していました。そう口にした瞬間、穏やかだった表情がキリッと引き締まったのが印象的でした。

地元・伊丹の「老松」「白雪」は根強い人気を誇る

最後に紹介するのは地元・伊丹で酒を醸す老舗蔵、伊丹老松酒造の高橋さんと小西酒造の久松さんです。

1688年創業の伊丹老松酒造からは将軍の御前酒として格式高い「老松」、1550年創業の小西酒造からは日本最古の銘柄「白雪」が提供されました。伊丹の人間にとって小西酒造の「白雪」は格別な存在。「やっぱり白雪じゃなきゃ」というお客さんも多くいたようです。
 

酒のスペック以外にも、蔵の歴史や風土、その土地に住む人々の人情などに触れることで、日本酒の楽しみ方はもっと広がります。日本各地から銘酒が集い、日本酒の楽しさをわかち合える「伊丹郷町酒ガイド」。また来年、お会いしましょう。

(文/湊洋志)

この記事を読んだ人はこちらの記事も読んでいます